今日・『文化の日』 の恒例行事として必ず報道されるのが
文化勲章
の授与式。
皇居に於いて天皇陛下から直接親授される名誉ある勲章ですが、この受勲が始まったのは今から82年前の1937(昭和12)年から。
同年2月11日に公布・施行された文化勲章令(文化勲章ハ文化ノ發達ニ關シ勲績卓絶ナル者ニ之ヲ賜フ)によって制定されました。
同令には、橘の五弁の花の中央に三つ巴の曲玉を配し、鈕(章と綬の間にあるもの)にも橘の実と葉が用いられるなどのデザインも決められています。
※一説には、当初桜花を用いる予定が、昭和天皇の意向で橘花に変わったとか。
文化勲章令に記されている通り、我が国の科学技術や芸術など文化の発展や向上にめざましい功績のある方に授与される勲章ですが、栄えある第1回目の受賞者は、日本画の横山大観や小説家の幸田露伴ら8氏。
しかしなぜか翌1938年から2年間は受賞者はなし。
1940年には4氏が授与されたものの、またその後2年間は該当者がなく、終戦の年・1945年も授与されませんでした。
1946年以降現在に至るまで、文部(科学)大臣が〝文化の発達に関し勲績卓絶な者〟を文化功労者の中から選考・推薦し、内閣府賞勲局で審査した上で閣議に於いて決定され、毎年5名前後に授与され続けており、今年即ち本日の6名を含め現在まで累計413名の方が受賞しておられます。
ちなみに過去最年少受章者は、あの湯川秀樹博士・・・なんと36歳。
iPS細胞で有名な山中伸弥教授でも50歳での受賞でしたから、その若さが際立ちます。
また最近ではその山中教授をはじめノーベル賞受賞者には即授与されるのが恒例となっていますが、湯川博士の場合はノーベル賞受賞前に授与されている点で、その選考の先見性が高く評価できます。
現在では天皇親授により授与される大綬章と同位に位置づけられている名誉ある勲章ですから、誰もが皆喜んで・・・と言いたいところですが、国民栄誉賞同様、辞退した方が過去に何人かいらっしゃいます。
史上初めて受賞を辞退したのは、1955年の陶芸家・河井寛次郎さん(1890-1966)。
この方は自分の作品にも銘を入れないことで知られ、名利を求めない姿勢を貫かれた方で、人間国宝や芸術院会員の推薦も辞退したそうですから、筋金入り・・・というか、ある意味ご立派。
1968年に辞退した洋画家・熊谷守一さん(1881-1977)の理由は、「これ以上、人が来てくれては困る」からだったとか。
更に1995年に辞退した女優・杉村春子さん(1906-1997)は「勲章は最後にもらう賞、自分には大きすぎる過ぎる。 勲章を背負って舞台に上がりたくない、私はまだまだ現役で芝居がしていたい。」と仰いましたが、これは現役時代に国民栄誉賞を辞退したイチロー選手と同じ感じがします。
もう一人は、ノーベル賞を受けながら1994年に文化勲章を辞退した作家・大江健三郎さん。
辞退理由は、私には良く分からないので割愛させていただきます。
さて、彼らとは逆に、異例の受賞者も過去にいらっしゃいました。
それは、この3人のアメリカ人なのですが・・・誰だかお分かりになりますか?
ヒントは、授与されたのがちょうど50年前の1969(昭和44)年だったことですが・・・。
そう、正解はこの年の6月に人類初の月着陸に成功したアポロ11号のニール・アームストロング、マイケル・コリンズ、エドウィン・オルドリンの3宇宙飛行士なんです。
※月面着陸に関する過去記事は、こちら。(↓)
彼らが凱旋旅行で日本に立ち寄った10月末に、皇居ではなく首相官邸で当時の佐藤栄作首相から授与されました。
日本の科学技術や文化の発展に貢献したかどうかは疑問ですが、他国でも勲章を授与されている関係で、日本が苦肉の策で文化勲章を授与したそうですが・・・まぁ、いいですかネ?
いつか火星に初めて降り立った宇宙飛行士に、また文化勲章を授与することになるのでしょうが・・・果たして私がそれを目撃することが出来るかどうか?