「〝北〟の人間でも、ソウルに行けるのか?」
全く予期しない質問をぶつけられた私は、一瞬頭が真っ白。
(えぇ~、そんなこと知らないょ~。)
そこで私はA社長に、 「それは保険会社には分かりかねますので、旅行会社に確認させていただけますか?」 と電話を拝借。
当時は携帯なんて存在していませんでしたからネ。
旅行会社の担当者に質問内容を問いただすと、
「いやァ、どうですかねェ・・・多分行けるとは思いますけど。」
(何だょ、旅行会社のくせにはっきり分からないのか!)
一瞬ムッとしましたが、一刻も早く事務所を出たい私は受話器を手にしたまま、思わずこう叫んでしまいました。
「そうですか。 大丈夫なんですネ。 どうもありがとうございます!」
(あ~あ、言っちゃった。)
電話を切るなり、社長の顔を見て、精いっぱいニッコリ。 社長さんは
「そうか、良かった。 ソウルに行くのが楽しみだ。」
と上機嫌。 やっと解放された私は事務所の外に・・・そしてドアを閉めた後は駅まで猛ダッシュ!
帰社するや否や、私は紹介してくれた方に電話で猛抗議。
「何で相手の素性を教えてくれなかったんですか!」
すると彼はカラカラと笑いながら、
「いやァ、ごめんごめん。
だって本当の事を言ったら、ナベちゃん行かなかったろ?
それにキミなら知らずに行っても、何とかするだろうと思ったんだョ。」
おいおいっ、それって褒め言葉か?
兎にも角にも、この件は一件落着。
私もいつしかこの恐怖体験を忘れていたのですが・・・1年以上経ったある日、オフィスの電話を取った女子社員が私にこう告げたのです。
「渡辺さん、Aさんって方から電話ョ。」
その名前を耳にした瞬間、私は心臓が口から飛び出すかと思いました。
5回ほど深呼吸をして電話口に出ると、A社長はいきなり、
「おぅ、アンタか。
去年契約した保険だけどさァ。 あれ分割払いになってるけど、
少し安くて済む一括払いもできたっていうじゃねェの。
何でちゃんと説明しなかったんだョ!」
(だって、説明は要らないっていったの、アンタでしょうが!)
な~んて思っても口に出せるワケはなく、「す、すみませ~ん。」 直立不動で受話器を手にしたまま、机に頭をぶつける程おじぎをする私。
(嗚呼、事務所に来いって言われたらどうしょう・・・。)
ほんの数秒間のはずでしたが、私には1分以上にも感じられた沈黙の後、
「・・・まぁ、いいか。 どうせ大した金額の差じゃねぇし。 じゃあナ。」
そういってA社長は電話を切ってくれました。
(だったら電話なんかかけてこないでょ。 でも、よ、良かったァ~!)
幸い(?)、私はその翌月に転勤辞令を受けて東京を離れることに。
その後何回も転勤で東京と地方を行ったり来たりしましたけど、東京を離れるのが嬉しかったのは、この時だけでしたネ。
【 教 訓 】
郵便受けや入口に
社名が入っていない事務所には、
迂闊に入っちゃいけません!
えっ? そんなことよりA社長夫妻は無事ソウルに行けたのかって?
その後ご本人からの〝お呼出し〟がなかったですから、オリンピック観戦には行けたのでしょう。
・・・多分。 シ~ラナイッ!