改 名 | ナベちゃんの徒然草

ナベちゃんの徒然草

還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

ペリー来航以来、開国を巡って国内が混乱した日本・・・幕府軍と新政府軍が衝突した内戦=戊申戦争が勃発し、明治維新前後には多くの日本人が戦死しました。


その悲劇を憂えた明治天皇が、主義思想は違えども日本国のために尊い命を失った人々の名を後世に伝え、また戦没者3,588柱を合祀鎮祭すべく今からちょうど150年前の1869(明治2)年創建されたのが、『東京招魂社』。


これを明治天皇自らが、『春秋左氏伝』 の 「吾以靖国也(吾以って国を靖んずるなり)」を典拠として


 靖 國 神 社

 

と改名され、別格官幣社に列されたのが創建から10年後、つまり今から140年前の今日・1879(明治12)年6月4日のことでした。

    

 

現代に至るまで、同神社には西南戦争などの内戦や日清・日露・太平洋戦争や満州事変などの戦闘で亡くなった英霊246万6千余柱が合祀されています。


(※当初祀られた祭神は〝忠霊〟あるいは〝忠魂〟といわれていましたが、日露戦争が勃発した1904年以降は、藤田東湖の漢詩文   

 『英霊いまだかつて泯(ほろ)びず、とこしえに天地の間にあり』

から〝英霊〟と称されるようになったとのこと。)


その英霊の中には、幕末の志士・吉田松陰、坂本龍馬、中岡慎太郎、橋本佐内らや、戦争に従軍した女性看護師5万7千余柱も合祀されています。

 

その一方で西郷隆盛や江藤新平ら西南戦争などで政府に反旗を翻した人たちは、たとえ明治維新に貢献していても祀られていません。


また有名な乃木希典・東郷平八郎の両元帥も、戦闘で亡くなっていないため祀られていないそうな。


もっともこの両名は、ご自身の名が冠された神社がありますが・・・。


つまり同神社には、軍人だけでなく戦争で命を落とした民間人やシベリア抑留中に亡くなった軍人、また戦争犯罪人として処刑された方々など身分・軍功・性別の区別なく、〝祖国を守るという公務に起因して亡くなられた方々の神霊〟として平等に祀られているのです。

 

創建当初は軍が管轄し、また靖國神社と改称し正規の神社となった後も内務省と陸・海軍省によって共同管理されるという特殊な存在であった同神社は、戦後の政教分離政策によって宗教法人となり政府からは独立した形となっていますが、軍神を祀るという特殊な形態から様々な問題が提起されています。

 

特にごく一部の外国からはA級戦犯が合祀されていることで首相ら政府要人が参拝することを強く非難する声が上がっていることも事実。

 

細かい点についてここで論ずることは避けますが、私は基本的に戦争で命を落とされた先人に対し敬意を払い、その霊を慰めることは日本国民として・・・いや人間として当然であり、義務だと思っています。

 

また東京裁判でA級戦犯とされた軍幹部についても、確かに戦争をいたずらに長引かせるなどの非はあると思いますが、そもそも国際法を無視し後づけで作られた法に基づいて行われた東京裁判自体違法であると考えますから、彼らも英霊とされたことに対して抵抗感はありません。


実は終戦直後、GHQは同神社を焼き払い跡地にドックレース場(!)を建設しようとしたことがありました。


当然の如く反対運動が巻き起こり、ローマ教皇庁代表で当時上智大学学長でもあったブルーノ・ヒッテル神父は意見を求められ、


「いかなる国家も、その国家のために死んだ戦士に対して敬意を払う権利と義務があると言える。 それは戦勝国か敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない。」

 

と、靖國神社を焼却することはGHQの犯罪行為だと断言しました。

私はこの見解を全面的に支持します。

 

従って一部の外国が国家指導者の参拝を非難することは明らかな内政干渉であると言わざるを得ません。

 

私はこれからも毎年初詣に靖國神社を訪れ、英霊に感謝し国家安寧を祈り続けるつもりです。笑3


また修学旅行等で上京する小・中・高校生には、靖國神社に参拝すると同時に、英霊の遺品やゼロ戦などが展示されている 『遊就館』 を見学することを強くお勧めします。

 ※『遊就館』に関する過去記事は、こちら。(↓)

 

そして、本殿右脇にあるパール判事の石碑も是非ご覧いただきたく。

 

それこそが、生きた歴史の勉強になるはずですから・・・。扇子

 

 

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