ヒグマ | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

個人的には好きな政治家でした。
私と同じ田舎者で、ゴツい顔や体つきに親近感がありましたから・・・。

今日は、かつて〝北海のヒグマ〟と渾名され人気があった自民党のタカ派、

 

中川 一郎 衆議院議員


の命日・三十七回忌にあたります。

 

        

 

中川氏は、1925(大正14)年に北海道広尾郡で農業を営む父・文蔵の子として生まれました。
 

小学生時代から農作業の手伝いをしたことが、彼の頑丈な体を作ったとか。

九州帝国大学農学部を卒業した彼は、父親の勧めに従って北海道庁に入庁。

1951年に北海道開発庁が設置され、そこの開発担当官に。

 

そして2年後に同庁長官となった大野伴穆の秘書官になったことが、政界入りのキッカケとなりました。

 

1959年、その大野氏から 「オレのところに来い」 と言われ、父親の反対を押し切って役人を辞め秘書となった彼は、1963年に北海道5区から立候補して当選、以後連続7期議員バッジを守りました。

1973年に渡辺美智雄、石原慎太郎両氏らと共にタカ派議員が集まって 『青嵐会』 を結成した彼は、佐藤栄作・田中角栄両首相から大蔵政務次官に任命され、福田赳夫内閣では農林大臣を拝命。

※〝ヒグマ〟という渾名をつけたのは、福田首相だったとか。

更に鈴木善幸内閣では科学技術庁長官を務め、党内での地位を固めていきました。

 

ニューリーダー候補の一人として注目されるようになった彼は、国会の敷地内で立ちションしているところをFOCUS 誌に撮られ、

「農家の出だからねェ、畑ではいつもやってることなんですョ。」

というコメントとともに、庶民派(?)の一面を見せたことも。

・・・でも実は彼、飲酒した時など場所を選ばず放尿するクセがあったそうですから、政治家になってからも常習犯だったようで。

 

       中川一郎

 

しかし1982年に総裁選に立候補するも最下位で敗退した辺りから、以前と様子が変わったという証言が。

明るい酒を飲む酒豪で通っていた彼が、グチをこぼしたり酔いつぶれるようになったというのです。

そして1983(昭和58)年1月9日、ホテルのバスルームで死亡しているのが貞子夫人によって発見されました。

 

総裁選後は惨敗の後遺症で眠れず、睡眠薬を服用していたといわれ、公式発表では最終的に自殺 (※但し遺書は発見されず) とされました。

 

が、ドアノブに紐をかけて首を吊るという不自然な亡くなり方から、総裁選の借金やソ連諜報機関との関わりに絡んだ他殺説も囁かれ、真相は闇の中。

 

 そして一郎氏の遺志を継ぎ、勤務先だった日本興業銀行を辞めて地盤を引き継いだのが長男・中川昭一でした。

 

       中川昭一

 

安倍信三・麻生太郎両氏と近く、麻生内閣では財務大臣を務めたものの、海外出張中の〝酩酊会見〟 で辞任に追い込まれ、選挙で落選。

そして10年前の2009年10月、自宅で死亡しているところを発見されました。

 

酩酊会見以前から昭一氏の飲酒にまつわるトラブルが囁かれており、また落選後から睡眠薬を服用し遺体からはアルコール成分が検出されたとのこと。

 

落選 - 飲酒と睡眠薬 - (謎の)死亡 ・・・57歳の父と56歳の息子が同じような運命を辿ったところに、政界の闇の深さ・恐ろしさを感じるのは、私だけでしょうか?

 

あらためて、志半ばでこの世を去った中川父子のご冥福をお祈り致します。

 

 

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