来たる2020年の東京五輪でメダルラッシュが期待される、柔道。
男女共に有望選手が目白押しですが、女子の柔道競技は当然のことながら男子よりかなり遅れてのスタートでした。
そして意外にも当初は日本より海外の方が女子柔道が盛んで、日本選手が勝てない時代が続いていたのだそうな。
これでは柔道の本家としては拙いと思ったのでしょう、我が国で初の女子柔道の公式戦
第1回全日本女子柔道体重別選手権大会
が講道館で開催されたのが、今からちょうど40年前の今日・1978(昭和53)年7月28日のことでした。
この時50kg以下級で優勝したのが、当時中学2年生だった山口 香(かおり)選手。
6歳の時にTVドラマ 『姿三四郎』 を観て柔道に興味を持った彼女は、近所の道場に通い始め、唯一の女性ながら男の子を投げ飛ばしていたといいます。
ところが中学生になって体格差が出てきて男子に勝てなくなった山口さんは、中学を卒業したら柔道を辞めるつもりだったそうな。
そんな時、幸いにもこの大会が開催され、出場したら優勝。
以後(途中階級が52kg以下に変更になったものの)大会10連覇を飾り、〝女三四郎〟の異名を取ることに。
1980年 3連覇を達成した山口選手
ただやっと大会が開催されたとはいえ、当時はまだ女子柔道は世間から奇異の目で見られていたそうな。
記者らから聞かれる質問は、かけた技のことよりも 「柔道着の下に何を着ているのか?」 とか 「男の人と組むとどんな気持ちがするんですか?」 なんて、くだらないものばかり。
また男子の場合は中学を卒業すれば強豪高校・大学の柔道部で活躍できましたが、当時は女子を受け入れる高校・大学はなく、山口選手は仕方なくそれまで通っていた道場で稽古を続けたのです。
そんな恵まれない環境の中でも、彼女は1980年に開催された第1回女子柔道世界選手権から出場し、1984年の第3回大会では見事日本人選手初の金メダルを獲得。
更に1988年のソウル五輪で銅メダルを獲得した彼女は、日本女子柔道界のシンボル・立役者として長年活躍されました。
※1986~1993年までビッグコミックスピリッツに連載された人気コミック 『YAWARA!』 ・・・中高年の方ならご存知でしょう。
同作の主人公・猪熊柔のモデルは、この山口選手なんです。
谷(田村)亮子選手が〝やわらちゃん〟と言われていましたが、それは彼女が自分のことを 「福岡のやわらちゃんで~す」 と言ったのが発端・・・ですから彼女は同作のモデルではありません。
現在の日本女子柔道があるのは、まさに山口選手あったればこそ。
その山口さん(現・六段)は1989年に引退後も女子柔道のために貢献を続け、現在は筑波大学体育系教授・全日本柔道連盟女子強化委員として活躍されています。
数年前に起きた柔道指導者によるセクハラ事件でも、女子選手のバックアップをしたことで注目されました。
現在現役の女子柔道選手はもちろん、柔道を応援する私たちファンも、黎明期に頑張った山口さんの存在を忘れてはなりませんネ。