小学生時代、私がプロ野球と共にTV中継で熱狂したのが、プロレスでした。
ジャイアント馬場やアントニオ猪木の日本人レスラーはもちろんですが、ザ・デストロイヤーやビル・ロビンソンにも憧れたものです。
そして当時の外人レスラーで、もう1人忘れられないのが
ボボ・ブラジル 選手
Bobo Brazil
今日は〝黒い魔神〟と恐れられた、この実力派レスラーの命日・没後20周年にあたります。
私は長いこと彼が名前通りのブラジル人だと思っていましたが、実際は1924年にアメリカ・ミシガン州で生まれた、本名ヒューストン・ハリスというアフリカ系アメリカ人。
「人種差別のないプラジルに行きたい」 という彼の願いが、リングネームの由来だったそうです。
1951年にリングデビューを果たしたのですが、本当は〝Boo-Boo Brazil (ブー・ブー・ブラジル)〟というリング・ネームのはずだったのに、プロモーターが間違えて〝Bo Bo Brazil〟とポスターに印刷してしまい、結局その名を使うことになったのだとか。
しかも〝ボボ〟というのは黒人に対する蔑称なのだそうですが、当時は白人レスラー優位のプロレス界・・・それを名乗ってヒール役にならなければ、黒人レスラーは生き残れなかった時代でした。
しかし私が生まれる前年の1957年に初来日を果たすと、身長195cm・体重120㎏の恵まれた体躯と抜群の身体能力で人気を集めます。
あの223cm・230kgの〝大巨人〟アンドレ・ザ・ジャイアントと引き分けたのですから、実力はトップクラスといっても過言ではないでしょう。
〝鉄の爪〟フリッツ・フォン・エリックと互角の握力を持ち、ドロップ・キックも強烈でしたが、何と言っても有名だったのが 〝ココ・バット〟 と称された頭突き。
相手の頭を押さえてのジャンピング・ヘッドバットは強烈で、対戦レスラーは七転八倒。
当時やはり頭突きで有名だった大木金太郎とのヘッドバット勝負は、大いに観客を沸かせました。
※この〝ココ〟も〝頭の中が空っぽ〟という黒人に対する侮蔑の言葉だったそうな。 ったく酷い話です。
私もそれに触発されて、学校の休み時間に手当たり次第に同級生を捕まえては頭突きをしまくり、仕舞いには自分がクラクラ・・・。 オバカ
そんな彼が日本・・・特に九州地方で大人気だったのには理由が。
九州巡業の時には、彼のリングネームが高らかにコールされると男性の観客は大喜び、女性は思わず顔を手で覆って俯いたとか。
そのワケは彼のリング・ネームにあるのですが・・・格調高い(?)拙ブログでは、申し上げられません。
そしてジャイアント馬場を破り、インターナショナル・ヘビー級王座を獲得した1968年・・・ちょうど私がテレビにかじりついていた頃に彼は全盛期を迎えましたが、その後1970年代に入るとタイトルを奪還され、日本人選手の引き立て役に回るように。
特に試合開始前に手渡された花束をムシャムシャ食べるパフォーマンスでヒール役に徹する姿は、全盛期の強さを知る私には見るに耐えない光景でした。
1990年代に入って現役を引退しレストラン経営で成功するなどしましたが、1998年1月20日・・・脳卒中により73歳でこの世を去りました。
もしかしたら、ココバットのやり過ぎが災いしたのかもしれませんネ。
しかし人種差別が激しい時代に裸一貫で生き抜いた彼の活躍は、後進の有色人種プロレスラーに計り知れない勇気を与えたはず。
少年時代の私の胸をときめかせてくれた〝黒い魔神〟のご冥福を、あらためてお祈りいたします。