オペラと美食と | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

イタリア・オペラに於いて、プッチーニ、ベルディと並んで日本人にお馴染みの作曲家といえば、

 

 ジョキアーノ・アントニオ・ロッシーニ

       Gioachino Antonio Rossini

 

音楽室に掲げられていた、ふくよかな顔立ちの肖像画をご記憶の方も多いでしょうが、今日はその彼の命日・没後150周年にあたります。

 

       

 

ロッシーニは1792年、トランペットを吹く父親と歌手の母親の間に生まれました。

 

両親は早くから彼に音楽教育を施し、6歳の時には父親の所属する楽団でトライアングルを叩いたとか。

 

20歳前から早くもオペラの作曲を始めた彼は、21歳頃には作曲家としての地位を確立、有名な 『セビリアの理髪師』 を24歳の時に完成させています。

 

端正な顔立ちでもあった彼は一躍売れっ子作曲家となり、彼の才能を高く評価したベートーベンが自分の曲が彼ほど大衆に受け入れられないことを愚痴った程でした。              

 

1829年にパリで大作 『ウィリアム・テル』 の初演を成功させるなど、37歳までに19年間で39曲・・・特に20歳から7年間で27曲もの作曲をこなしたロッシーニ。

 

中には同じ旋律を使い回したりするなど、かなり要領がいいというか、いい加減なところもあったようですが、音楽の才能は超一級品でした。

 

ところが彼は、37歳にして作曲活動を殆ど休止してしまいます。

 

生涯の残り半分以上を何に費やしたのか?・・・それは、料理でした。

 

政府と交渉して年金を確保したロッシーニは、ボローニャに移り住んでトリュフを掘るブタを飼育したり、まるで北大路魯山人の如くパリでプライベートの美食家専門レストランを切り盛りし、貴族や有名人を接待。

 

クッキングの世界でも一流だった彼は、後のフランス料理に〝ロッシーニ風〟 と命名される料理を残す程でした。

 

しかし晩年は様々な病気を発症し、日本ではちょうど明治維新の真っ盛りだった1868年11月13日、手術後に感染した丹毒により76歳でこの世を去りました。

 

生前は超売れっ子だったにも関わらず、人生の後半を料理に捧げたからか、死後は2,3曲の有名な歌劇の作曲家という程度の扱いが続きます。

 

しかし近年は再評価の動きがあるとか。

 

そして皆さんにお勧めしたい彼の作品は、歌劇

 『ウィリアム・テル』

※特に序曲が有名ですので、皆さんもご存じのはず。
  カラヤン/ベルリン・フィルの演奏でお聴きください。
   有名なのは、3分過ぎから。 時間のない方は9分頃から。(↓)

 

 

ただ、あまりに壮大なオペラなので、全曲を収めた演奏があまり残されていません。

しかしこの作品は、ベルリオーズをして 「第2幕は神が創った」 と言わしめるほどの名作ですので、興味のある方にはこちらのDVDをお勧めします。

       

収録は1988年と少し古いですが、ミラノ・スカラ座の黄金期を築いたリカルド・ムーティの演奏ですので、聴き応え・見応えは十分です。

演奏時間は4時間ありますが、これを鑑賞ながら
音楽と料理に人生を捧げた多才の人・ロッシーニに、献杯! 笑3

 

 

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