11月9日という日は、世界史的に大きな政変や出来事が起きた特異日ともいえます。
ちょうど100年前の1918年にはロシア帝政が崩壊し、29年前にはベルリンの壁が崩壊しました。
そして、もうひとつ・・・今からちょうど80年前の今日起きた
水晶の夜
Kristallnacht
というナチスによるユダヤ人大量虐殺事件も、忘れてはならない歴史の汚点であり、転換点でした。
ナチス・ドイツ(国家社会主義ドイツ労働者党)の台頭により、1933年1月に首相の座に就いたアドルフ・ヒトラーは、同年3月『反ユダヤ主義的措置の実行に関する指令』を同党に発し、更に翌月には『職業公務員再建法』を施行し、国内の非アーリア系官吏や公務員などを強制退職させるなど、反ユダヤ人政策を強化。
ユダヤ人迫害が強まる中、1938年10月6日、ドイツより反ユダヤ主義だった隣国ポーランドが突然新しい旅券法を布告し、ドイツ在住のユダヤ人の国内流入を阻止。
ドイツで迫害されポーランドに入国できなくなったユダヤ人たちは、両国の国境付近の家も食糧もない無人地帯で放浪を余儀なくされ、大勢の餓死者が出たとか。
ドイツ在住だった父親のそんな窮状を耳にした、フランス在住で当時17歳だったポーランド系ユダヤ人青年ヘルシェル・グリュンシュパンは、その窮状とナチスの非人道ぶりを世界に知ってもらおうと、リボルバー拳銃を手にフランスのドイツ大使館に赴き、応対に出たラート三等書記官を銃撃。
(皮肉にも反ナチス主義だった)ラート書記官は病院に搬送されたものの、11月9日午後4時30分に亡くなってしまいます。
この事実を知ったドイツ市民は激怒し、同日夜から翌10日にかけてラートの出身地フランクフルトなど国内各地で暴動が発生。
177のシナゴーグ(ユダヤ教会堂)や7,500ものユダヤ人が経営する商店・企業、更にはユダヤ人居宅や学校・病院も襲撃され、撲殺されたり強姦されたユダヤ人が何人も。
暴徒に割られて路上に散らばったショーウィンドウの破片が月明かりに照らされて水晶のように輝いていたことから水晶の夜(クリスタルナハト)と呼ばれたこの暴動を、警察や消防は鎮圧するどころか傍観。
これが政府の指示による〝官製暴動〟であった根拠となっており、その指示を(ヒトラーの了解を取り付けて)発したのが宣伝相ゲッペルスという説が有力。
しかも10日に逮捕されたのは、暴動を起こしたドイツ人ではなく被害者のはずのユダヤ人3万人だったというから、驚き。
逮捕・連行されるユダヤ人
彼らを収容するために複数の収容所が拡張され、釈放されたのは数週間後。
ナチス党政権はこの暴動を〝煮えたぎる民族精神の正当な蜂起〟などと正当化し、逮捕された殺人容疑者をもその後不起訴になるか無罪判決を受けて釈放されたと言いますから、もう無茶苦茶。
そしてこの暴動がその後のユダヤ人迫害に拍車をかけることに。
一方、暴動のきっかけを作った暗殺犯グリュンシュパンは裁判継続中の状態でフランスの刑務所に拘置されていましたが、フランスがドイツに降伏したためドイツ国内の収容所に移送され、1942年9月以降の消息は不明。
逮捕された直後のグリュンシュパン
おそらく収容所内で殺害されたとみられています。
そのグリュンシュパンの両親がポーランドへ強制送還されたものの、1939年にソ連に脱出し戦後イスラエルに移住できた事が、唯一の救いだったと言えましょうか。
それにしても、同様の民族弾圧が21世紀になった現在でもウィグルやチベットで行なわれているのに、なぜ日本のマスメディアは報じないのでしょう?
自国の総理大臣は偏向報道・情報操作までして引きずり降ろそうとするのに・・・。