抜 擢 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

皆さんは〝山下跳び〟って、ご存じでしょうか?


かつて黄金時代を築いた日本の男子体操において、跳馬のスペシャリストといわれた山下治広選手が編み出した新技のことなのですが・・・。


彼はこれを更に進化させた〝新・山下跳び〟を引っ下げ、見事1964年の東京五輪で金メダルを獲得しました。


そして今からちょうど40年前の今日・1977(昭和52)年1月17日・・・世間をアッと驚かせた、もうひとつの〝山下跳び〟が飛び出したのです。


日本を代表する大企業・松下電器(現・パナソニック)が松下正治社長の会長就任と共に、3代目の新社長に


 山下 俊彦  取締役


の就任を発表。


人々が驚いたのは、この山下氏が当時の松下電器の役員26名のうち、下から2番目の平取締役だったこと。


24人抜きの、まさに〝山下跳び〟の離れ業だったのです。

         


山下新社長は、当時57歳。


1919年大阪に生まれ、学歴は(大阪市立泉尾工業)高校卒。

松下電器傘下のランプ工場に就職したものの、10年後に一担退社。


1956年に松下電子工業に復職し、後に関連会社・ウェスト電気に出向し、同社の経営立て直しに成功し頭角を現すと、1965年に松下電器産業・冷機事業本部長、1974年に同社取締役に就任。

そして、その3年後に突然の社長指名を受けたわけです。


松下幸之助翁が出席する同社役員会では誰も意見する者がない中、山下氏だけがはっきりと意見を述べたことが、〝経営の神様〟の目に留まった・・・そう当時報道されたことを、当時高校3年生で大学受験を控えていた私も朧げながら記憶しています。


しかし当初、山下氏本人は頑なに社長就任を拒んだとか。

(でも、それはある意味当然ですょネ。)


幸之助翁や松下正治氏の再々の説得にようやく首を縦に振ったものの、社長就任会見では、


「失敗したら、私を選んだ人にも責任がある。」


という異例の談話も飛び出しました。

この人事に関しては、大人気コミック 『課長 島耕作』 の中でも初芝電産の社長に中沢取締役が抜擢されるストーリーとして描かれています。

作者の弘兼憲史さんが1970~73年まで松下電器に在籍していましたから、当時の同僚等から情報を仕入れて描いたのでしょうネ。


          


しかしさすがは抜擢されただけの人物・・・山下氏は9年間の長きに渡って社長を務め、次々と改革を打ち出し同社の発展に大きく貢献しました。


幸之助翁はこの抜擢人事に関して、


「世界の繁栄は時代と共に回っている。 21世紀にはアジアに繁栄が巡ってくると思う。 とするならば、日本国民はその受け皿を作るための活動をしなければならない。


松下電器もその先端に立って、その受け皿になることを前提に経営を進めていかねばならない。 そういう観点から、社長となりうる人材を選んだ。」


というコメントされました。

この言葉・・・松下電器を日本に、経営を政治に、社長を総理大臣に、それぞれ置き換えれば、そのまま現在でも通用する言葉だと思いませんか?


さすが20世紀最高の経営者といわれる幸之助翁の眼力・見識は素晴らしいですが・・・もしこのカリスマ経営者が生きておられたなら、総理大臣に誰を抜擢するのか?


是非〝天の声〟を聞いてみたい、と思う私です。

ただ個人的には、松下政経塾出身者は除外していただきたいですが。うー



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