〝JUDO〟や〝SUMO〟など、日本古来の武道はそのまま横文字で海外に通用するものが多いですが、陸上競技でも日本名がそのまま世界で通用する種目があります。
それは何でしょう?・・・って、今日のお題でもうお分かりですょネ。
〝EKIDEN〟
そう、駅伝です。 (ちなみに〝TASUKI〟もそのまま通用するとか。)
この日本発祥の長距離リレー競技が日本で・・・いや、世界で初めて行われたのが今から97年前の今日・1917(大正6)年4月27日のことでした。
早稲田大学・東京高等師範学校・第一高等学校から選抜された関東軍と、愛知県立第一中学校の生徒を中心に編成された関西軍との対抗戦となった 『東海道53次駅伝競走』 は、京都・三条大橋をスタートして東京・上野までの約513kmを昼夜をぶっ通しで走破(!)するという強行軍で、中継地点は全23区間。
正月恒例となって箱根駅伝は2日間・5区間往復217.9kmを10選手で走りますが、この時の箱根~東京は4区間だったそうですから、世界初の駅伝は選手にとって相当ハードだったはず。
ということは、このレースを企画したのはさぞ有名な陸上選手だった・・・かと思いきや、実は考案したのは、運動とは全く無縁の俳人、
と き ぜんまろ
土岐 善麿 氏 (1885~1980)
という人物でした。
土岐氏は東京・浅草生まれで、実家は真宗大谷派のお寺。
現在の日比谷高校~早稲田大学英文科を進みましたが、島村抱月に師事し俳句の道に。
卒業後読売新聞社の記者となった土岐氏は、仕事の傍ら歌集も出版。
その批評を書いた石川啄木共々俳壇のホープと目される人物だったとか。
その彼が、なぜ駅伝に関わったのか?
実は1917年が東京遷都50周年に当たり、その記念博覧会が東京・上野で開催され、当時社会部長だった土岐氏がその協賛事業として企画したのが、この駅伝だったのです。
なぜスポーツとは無縁の土岐氏が・・・と思いますが、考えようによっては素人故にこんな斬新なイベントがアイデアとして浮かんだのかもしれません。
『駅伝』 という単語自体は日本書紀にも出てくるそうですが・・・その昔道路網には30里(約16km)毎に〝駅〟と呼ばれる中継所がありました。
東海道五十三次などを利用した朝廷の使者が到着すると、次の駅まで乗り継ぎの馬を利用する〝伝馬制〟が敷かれていたことから、当時の大日本体育協会副会長だった武田千代三郎氏によって命名されたこの 『駅伝』 という競技は、この初レースの成功によって定着。
このレースで関東軍のアンカーを務めた金栗四三氏が、3年後に創始したのが箱根駅伝・・・読売新聞グループがこの正月恒例行事を後援しているのも頷けますネ。
その後も様々な駅伝競技が開催され、今ではすっかり国民の間に浸透した感があります。
団体戦故に、選手一人一人が限界を超えて走る悲壮感が、浪花節の好きな日本人の共感を呼ぶのでしょう。
さて、この日本人好みで海外にもその名が浸透している〝EKIDEN〟・・・オリンピックの正式種目になる日が来るのでしょうか?
できれば、2020年の東京五輪で実現してもらいたいものですが。