翻 弄 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

下剋上は当たり前、たとえ親子であっても殺し合いになるのが珍しくなかった戦国時代・・・その激動期に最も運命を翻弄された女性といえば、


 お市の方


ではなかったでしょうか。


今日は、織田信長の妹にして2人の武将に嫁いだ、この悲運の女性の命日にあたります。


1547(天文16)年頃に生まれ、絶世の美女と謳われた彼女は21歳で近江の浅井長政と結婚。


これにより織田家と浅井家は同盟関係を結ぶことに。


しかし1570(元亀元)年、両家の間での誓約を破り信長が越前の朝倉氏を攻撃。 これに怒った浅井氏が朝倉氏と共謀し、織田軍を挟み撃ち。


この兄の大ピンチを知ったお市の方は、小豆を入れて両端をヒモで縛った袋を織田陣営に陣中見舞いとして送り届けることで挟み撃ちを知らせます。

それを見た信長は自軍が袋の鼠状態であることを瞬時に悟り撤退・・・辛うじて命を長らえた、とされています。(金ヶ崎の戦い)


夫・長政とは仲睦まじい夫婦だったとのことですが、その作戦を兄に知らせることは夫への裏切り行為・・・兄と夫の間に挟まれた彼女の心中は、いかばかりだったのでしょう?


当然の如く長政の裏切りに激怒した信長は、朝倉義景を姉川の合戦で撃破したのち長政の居城・小谷城を攻略。


共に死のうとするお市の方を制した長政は、信長に対して彼女と3人の娘の助命を嘆願。


信長がこれを受け入れると、長政本人は切腹して果てました。
(※但し長男は殺され、次男は強制出家。)


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その後9年間は、お市の方と3人の娘は信長の庇護の元で暮らしましたが、その信長が本能寺の変に倒れると彼女は兄の重臣であった柴田勝家と再婚。


しかし今度は信長の後継者として台頭してきた秀吉と勝家が衝突。

1583(天正11)年の賤ヶ岳の合戦で秀吉は柴田軍を破り、勝家は切腹。


秀吉からもたらされた助命の話を断り、お市の方は夫・勝家の後を追って4月24日に自害して果てたのです。


秀吉自身もお市の方に惹かれていたといわれていますが、その一方でお市の方の息子・万福丸の処刑を行ったのも秀吉といわれています。


彼女にしてみれば、命に代えても秀吉に屈することはできなかったのかもしれません。


お市の方を手に入れることが出来なかった秀吉は長女・茶々を側室にし、彼女は秀頼を生みます。


しかしその後、茶々は大阪夏の陣で息子共々自害することに。


一方、三女・小督は徳川秀忠の正室として3代将軍家光を出産。


時代・・・いや、武将たちに運命を翻弄された挙句に自らの命を捨てながらも、残した娘たちが日本の歴史に少なからず影響を与えた〝悲運の美女〟の冥福を、あらためてお祈り致します。笑3



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