日本人なら、おそらく1度はコレを食べたことがあるはず。
今日・5月17日は、この
お茶漬けの日
なのだそうな。
今からちょうど10年前の2012年に、(当然のことながら)永谷園さんが制定したとのこと。
その根拠は、永谷園の先祖である永谷宗七郎義弘の命日だから。
1681(延宝9)年生まれの宗七郎(後に入道して宗円)は、山城国宇治田原郷湯屋谷村(現・京都府綴喜郡宇治田原町湯屋谷)で製茶業を営んでいました。
永谷宗七郎義弘
当時よく飲まれていたのは〝煎じ茶〟という、色が赤黒く香りも味も薄い、決して美味しいとはいえない代物だったとか。
一方、抹茶は一部の茶師(茶の生産・販売をなりわいとする者)によって厳しく管理・販売されており、庶民にとっては高嶺の花でした。
そこで宗七郎は、「もっと安くて美味しい茶を庶民に飲んでもらいたい」と新しい茶の製法開発を決意。
〝煎じ茶〟は、若葉・古葉を残らず摘み取り、灰汁で煮た後よく絞って粗く揉み、日乾や風乾で仕上げられていました。
それを宗七郎は15年の歳月をかけ、その年の新しい葉だけを摘み取って蒸した後に指で揉みながらホイロ(乾燥炉)の上で乾燥させる・・・つまり、加熱して酵素の働きを殺すことにより褐色化を抑え、茶葉を緑色のまま加工することに成功。
この『青製煎茶製法』が、その後日本緑茶製法の主流となりました。
そして自ら開発した煎茶を売り込むべく、宗七郎は江戸へ。
従来の煎じ茶と違うことから殆どの茶商が興味を示さない中、日本橋の茶商・山本嘉兵衛がその味を認め〝天下一〟と命名して販売し、たちまち江戸中の評判に。
※この山本嘉兵衛こそ、『山本山』 の始祖。
1778(安永7)年5月17日に98歳で大往生を遂げた宗七郎は、その偉業を称えられ地元・宇治湯屋谷では茶宗明神として祀られています。
そして彼から数えて10代目となる永谷嘉男氏が今からちょうど70年前の1952年に販売開始したのが、お茶漬け海苔。(↓)
その翌年、彼の手によって株式会社永谷園本舗が設立されました。
つまり63歳の私が生まれる前から、お茶づけ海苔はあったわけです。
ここ数年は炭水化物を控えるためあまりお米は食べないようにしている私ですが、今日はこの記念日に敬意を表して、久しぶりにお茶づけ海苔を小さな茶碗でいただくつもりです。