象 徴 | ナベちゃんの徒然草

ナベちゃんの徒然草

還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

「アメリカのシンボルって、何?」 と問われれば、きっと多くの方は

 

 自由の女神

 

と答えることでしょう。 

 

地上からトーチまで約93m、正式名称を

 

Liberty Enlighening the World (世界を照らす自由) 

 

というこの像がフランスからアメリカに寄贈されたことは皆さんもご存知のことでしょうが・・・では、ここで問題です。

この巨大な銅像を作ったのは、誰?

 

     

正解は、


フレデリック・オーギュスト・バルトルディ

      Frédéric Auguste Bartholdi

という、フランス人彫刻家・・・そして今日は、彼の命日・没後120周年にあたります。

 

     

バルトルディは1834年、アンザス地域圏のコルマールで生まれました。

 

家系は裕福でイタリア系の父親は弁護士を務めており、多くの芸術家が貧困や複雑な家庭環境に育ったのに反して生活の心配をすることはなく、故郷コンマールとパリで彫刻を学んだ彼は多くの作品を無償で制作したといいます。

とはいえ、彼は生まれた直後に父親と死別するという悲惨な体験をしていますが・・・。

 

『自由の女神』制作の端緒は、アメリカ建国100周年を祝うため法学者ランヴイエが〝自由を謳う像〟の贈呈を提案したこと。

制作費は、これに賛同するフランス国民の寄付で賄われました。

そしてその大役が1874年、ランヴイエの指名によりバルトルディに決定。

確かな造形力と豊かな表現力で評価されていたとはいえ、彼は当時まだ31歳。

 

おそらく相当なプレッシャーだったと思いますが、彼はスエズ運河々口に建設を計画していた灯台のスケッチを出発点に試行錯誤を重ね、ドラクロワの傑作『民衆を導く自由の女神』をモチーフにして、女神像を作り上げていきました。

   ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-ドラクロワ

 

右手に松明を持ち、左手にはアメリカ独立記念日(1776年7月4日)とフランス革命が勃発した日付(1789年7月14日)が刻まれた独立宣言書が。


そして足元には引きちぎられた鎖と足枷があり、それを踏みつけることで一切の弾圧・抑圧からの解放を表現し、人が自由であることを象徴するデザインに。


そして最も重要な顔のモデルは、何と彼自身の母親だったとか。

女神像の顔の右側に立つ女性が、その母親だそうですが・・・どうでしょう、似てますか?


     

小さくてよく分かりませんが・・・女神も、顔だけだと結構怖そう。😅

 

像の骨格はエッフェル塔を作ったキュスターブ・エッフェルが担当し、10年の歳月をかけて作られた女神像は一旦分解されてフランスの軍用輸送船・イゼール号でアメリカへ。

台座部分の建設は、新聞社主・ピューリッツァー(↓)の「あなたの25セントを!」という募金キャンペーンによりアメリカ国民から集まった10万ドルの資金で進められ、厚さ2ミリの銅板で作られた女神像は再度組み立てられ、見事リバティ島に建ち上がりました。

 

 

1886年10月28日に行われた除幕式には、生憎の雨模様にも関わらず当時のクリーヴランド大統領をはじめ何と100万人以上の観衆が集まり、顔に掛けられたフランス国旗をバルトルディ自身が除幕したといいます。

まさに一世一代の晴れ舞台だったでしょうネ。

その後も彫刻に生涯を捧げ、1904年10月4日に70歳でこの世を去ったバルトルディ・・その作品の多くは故郷コンマールのバルトルディ美術館に所蔵されているそうな。

パリにはもう行き飽きたという方は、次回是非訪れてみてください。

またフランスに行かずとも、アメリカの象徴を作った彫刻家の名前を憶えていただければ、何よりの供養になるかと・・・。🙏

 

 

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