このブログに会いにきてくださり、ありがとうございます。
最初にお知らせです。
次回は、「裏・浄化タイム」をお届けします。
では、本題に入ります。
前回の「いろはのせ」に引き続き、
今回は、"死"や"死後"のことに焦点を当ててお伝えしていきたいと思います。
臨死体験者が、よく「お花畑を見た」とか、
「三途の川があった」とか言っていたりしますが…
主宰者ひろによると、
死んだ後は、その人が「死んだらこうなるであろう」と
思い描いているイメージが出てくるそうです。
たとえば、「死んだら地獄に行く」などと思っていたら、
それが投影されますので、地獄を見るそうです。
ですので、意外と死後のイメージは大事だそうです。
"死ぬこと"は"怖いこと"などと
強く思っていると、
"死"を否定しているようなものですので、
"死んでいる自分"を受けいれられなくて、
ゼロに移行するのが難しくなったりもするそうです。
"死ぬこと"を「お迎えがくる」と言ったりしますが、
ひろによると、誰かがお迎えに来てくれるということはないそうです。
「死ぬときは1人」とも言いますが、
「誰かに連れていってもらおう」と思うのではなく、
自らゼロへ移行していかないといけないそうです。
すぐゼロに移行する人もいれば、
そうでない人もいるそうですが…
なかなかゼロに移行できない人は、
良いことでも悪いことでも、
この世に"執着"があるそうです。
なかには、"執着"によってゼロに移行できなくて
この世にエネルギー体として留まってしまう人も
いるそうですが、
そういう方は、また肉体を持って
データ(創始以来の誰かの体験)を体験したいと思うそうで…
生きている人の肉体を借りようとしたりするそうです。
そして、肉体を借りたいエネルギー体は、
同じようにエネルギーの重たい人のところへ
行くそうです。
エネルギーの重たい人とは、
ノイズ(外からの不要な情報)にまみれていたり、
データのエラーの中に留まっていたりして、
本来の自分として生きられていない人です。
エネルギーを軽くしたいと思った方は、
このブログでお伝えしている浄化をしてみてください。
日々、瞬間瞬間、浄化を継続して実践して、
「我に返る」体験をしていくことで、
エネルギーは軽くなっていくそうです。
亡くなった方自身に"執着"があるだけでなく、
生きている人間に"執着"があることによって、
亡くなった方がゼロへ移行できないということもあるそうです。
前回書いたように"D&D"になって
生きている人間が亡くなった人を引っ張ってしまうのです…
ですので、生きているわたしたちが、
浄化をしていくことが大切になってきます。
人が亡くなった後、
この世では、お葬式をしたり、法要をしたりしますが、
ひろによると、
お坊さんが読経をしたから、
49日経ったからといって、
ゼロに移行できるというわけではないそうで…
儀式をしたりするのは、
すべてこの世に生きている人が
自分たちが区切りをつけていくために
やっていることだそうです。
もし、儀式をしても、
自分の中に亡くなった人に対して"執着"を感じたら、
自分の中の亡くなった人に向けて
浄化をしていきましょう。
お墓参りは、お彼岸など決まった時だけでなく、
「行きたいな」と思った時に行って浄化をしましょう。
浄化を続けていくことで、
まるでバルーンの重りを外すように、
亡くなった方は、ゼロへ移行していくことがきるそうです。
前回のアメンバー限定記事「不安の渦」にも書きましたが、
ひろによると、
わたしたちは、不安や恐怖でコントロールされて、
眠らされているそうですが…
"死"についても、"怖いこと"というイメージを植え付けられて、
それにより行動しているそうです。
けれど、わたしたち日本人は本来、
"死"に対する包容力を持っている民族だそうです。
ただ、ノイズによって、それが埋もれているそうです。
管理人せんとは、近しい身内では、
祖父母を亡くしていますが…
亡くなった人とは会えなくなりますし、
"死"による別れは悲しくつらいものではあります。
自分を責めたり、誰かを責めたり、
後悔したりすることもあるでしょう。
けれど、わたしたちは、みな
生まれる前にどういう人生を送るか
自分で設定してきて、ゼロへ戻っていきます。
ですので、ひろによると、
亡くなった人は、ゼロというおうちへ
戻っていっているようなものだそうです。
ひろは、今回の記事の打ち合わせでは、
ゼロのことを"素"とも言っていました。
"ゼロになる"、"素になる"とは、
本来の自分に戻っていくということです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。



