なぜ毒親のブログを書いているのか

いつまで書くのかと、以前にメッセージを

もらったことがありました。

 

当初、書くことで少しでも楽になりたくて

始めたブログでした。

 

書くのは最初こそ辛い思いもしたと思います。

その頃の気持ちはあんまり覚えていのです。

 

ただ書くことで気持ちは大いに整理出来ました。

 

自分がされた現実を客観的に見られたので

親と縁を切ってもいいんじゃないかと思えたし

親はなぜあんな言動が出来たのかと

分析してみたりもしました。

 

こんな辛いことばかり思い出して

それを書き連ねて幸せなのか、と問われると

困っちゃうんですが

 

吐き出すことは意外にも癒しというか

治癒につながりました。

 

 

最近、なぜ母はあそこまで残忍になれたんだろうと

分析していたんですが1つ結論が。

 

 

毒弟って父の子なのかなって。

 

父の浮気に耐えかねたらしい母は

年中、実家に戻っていました。

 

わたしを妊娠している時も

父は不倫をしていたと耳にタコができるほど

聞かされました。

 

で、幼いわたしを連れて実家に戻り

離婚する気で働き始めたのが「おじちゃん」の会社です。

 

「おじちゃん」は妻帯者で大きな息子さんもいて

今でいうW不倫。

 

わたしは優しくてなんでも買ってくれるし

ドライブや食事に連れて行ってくれる「おじちゃん」が

大好きでした。

 

その「おじちゃん」と母がただならぬ関係だと気づいたのは

2~3歳でした。

 

後部座席にわたしを乗せて、助手席には母。

「おじちゃん」は大黒ふ頭に車を停めました。

辺りは真っ暗。

 

母は煙草を吸いませんでしたが

箱から1本煙草を取り出し、それを咥えて

ライターで火をつけると、そっと「おじちゃん」の

口に咥えさせました。

 

わたしはギョッとしました。

なんだかそれはとても淫靡で艶めかしい

見てはいけない光景な気がしました。

 

「ママはタバコ吸わないのに」そう後部座席から抗議じみた声を

あげると、母は「いいの!」とだけ。

 

後日、そのことを祖母に話すと

母は「この子は嘘ばかりつくのよ!」

 

間もなく、その辺の記憶は曖昧ですが

父と一緒に暮らすことになり、新しい社宅に移り

すぐに弟が生まれました。

 

祖母は「おじちゃんのことは絶対にパパに言っちゃいけないよ」

そう何度も言いました。

 

長くなりそうなので

また続きを書きます。

最近、毒親の漫画が多くて

なんとなく読んでしまいます。

 

なかには同じ毒親育ちでも

理解できないものもあったり。

 

いじけたり、世の中を妬んだり

そういうことをせずに済んだわたしは

きっと親兄弟、親戚以外には

恵まれていたんだろうと思います。

 

そして、中には

「これ、うちのこと!?」

驚くほどにわたしのされた事や

言われた事と全く同じことがあったりします。

 

こんなこと、あの人たち以外にも

思いつく人がいるんだ・・・・

 

こんなこと、あの人たち以外にも

する人がいるんだ・・・・・

 

そんな衝撃を覚えました。

 

 

母親が娘に対して

 

髪の毛を短くさせる

 

下着を買い与えない

 

下着姿、全裸で外に出す

 

生理を嫌がり生理用品も

買い与えない

 

 

毒母あるあるだということが

衝撃でした。

 

 

「お父さんに言って

(髪の毛を)鷲掴みにして

引っ張りまわしてもらうからね!」

 

「いやなら、今のうちに髪、切っちゃいな!」

 

ザンギリ頭にされたこととか。

 

 

「洋服だって下着だって

パンツの一枚だってあたしの金なんだから」

「追い出すときには置いて行って当たり前だ」

 

そう言って、全裸で外に出された事が

2度ほどありました。

 

ブラジャーはなかなか買ってもらえず

「こんなのするのは恥ずかしいことなんだ!」

 

生理は小学校高学年で始まったので

小6のころには服装によっては

胸のラインが透けました。

 

ある日、家族で歩いていた時に

すれ違いざまの男性の目線に気づいた父が

「そろそろつけさせろ!透けてるじゃねえか。

みっともない」

 

母はそれでも渋りました。

 

散々、恩に着せて1枚だけ。

サイズもあっていないブラジャーを

もらいました。

 

1枚だけ。

 

バンドエイドやティッシュを駆使して

胸を隠すしかありませんでした。

 

中2の時にいたたまれず

自分でお年玉からもう1枚。

スポーツブラの可愛いのを買いました。

 

当然、罵声を浴びました。

 

色気づいていやらしい!!

 

その後、毒母が

「替えがいるだろうから」と

お古をくれたのですが・・・・・

 

うっす~~~~~~~い生地で

ストレッチの効いた

一般人は絶対につけないような代物でした。

 

なかにティッシュを入れなければ

クッキリと透けるような。

そして入れたティッシュの形さえ

透けるような。

 

書いていて笑ってしまいます。

 

 

最近、生理の貧困という言葉を聞いて

びっくりしました。

 

我が子に生理用品を与えられないのか

そもそも与えないのか

 

女の子の尊厳に関わることなのに。

 

一番、身近で最大の味方のはずの

母親に尊厳を傷つけられるなんて。

 

毒母と言われる人たちは

感情の起伏が激しく

それでいて、他人には上手に

自分を良く見せるので

その存在に気付いてくれる大人は稀です。

 

そして気付いたとしても

手を差し伸べてくれるような人は

更に稀です。

 

親に虐待されて殺されるこどもの数を見ると

本当にそう感じます。

 

そもそも

自分の腰までもないほどの体格の人間を

殴ったり、蹴ったり、投げたり

そんなこと、まともな人間はしないのです。

 

でも、こどもはそれに気付けない。

だって、それが当たり前の日常だから。

 

運よく周囲が気付いても

警察か児相に連絡するくらいしか

思いつきません。

 

引き取るわけにはいきませんから。

 

きっと警察も児相も

一生懸命に動いてくれているのでしょう。

 

でも、実親が最優先されてしまう。

 

もし、私の子供時代に児相や警察が動けても

あの口の上手いサイコパスに

敵うとは思えません。笑

 

その後、自分たちに恥をかかせたと

更に暴行されるのは明らかです。

 

虐待の通報をする時に

一番怖いのは、結局こどもが

更に虐待させることなので

現状だと、躊躇って通報できない人も

いるんだろうなあと思います。

 

 

漫画の話に戻ります。

 

自分とあまりに同じだと辛くて

なかなか読み進めることが出来ません。

 

虐待を理由にあまりに

捻くれてしまった人の漫画も

それはそれで不快で読めなくなります。

 

でもいずれにしても

それが世の中に出ているという事は

きっと過去を断ち切って

再生出来たってことなのだろうなと思うと

ちょっとホッとするのです。

 

 

 

 

毒親育ちの友人の娘さんが

「W子さんもこれ読んでみて」と漫画を貸してくれました。

 

真綿の檻

 

1巻目は両親と弟のいる女性の話。

自分自身にも経験のあるような場面が随所に。

 

読みながら母も自分の鬱憤を

わたしにぶつけていたのだろうか。

などと考えさせられました。

 

息子はなにをしても可愛い。

息子が食べっ放しにした食器を

一緒にシンクに持っていかない娘は

意地悪で性根が腐ったクズだからしつけなくては。

 

そんな事をよく言われました。

 

わたしがうっかり食器をテーブルに残したまま

席を離れれば罵詈雑言が飛びました。

 

でも息子がそうするのは当たり前。

先に席を離れた娘が戻って

流しに運べばいいだけなのに、と。

 

いや、自分がしろよ、と思います。いまなら。

だって可愛いんでしょ?

 

一事が万事そんな感じでした。

 

第二話以降は、ちょっと長い話になって

寝たきりになってなお、嫁である母親を

いびる祖父。

自分の親の世話を妻に押し付けて

娘を暴行する父親。

そんな苦労を一身に背負う母親。

彼らと暮らすことで心が麻痺していく娘の話で

こちらの方がわたしに近くて

どれもこれも思い当たることばかりでした。笑

 

この母親、娘の幸せが許せないんだと

わたしは思います。

 

毒母にそっくり。笑

 

夫が以前言った

「W子ちゃんのお母さんは

 W子ちゃんより自分を大事にしてくれる

 旦那さんと結婚して欲しかったんだよ」

「でもさ、そんな人いないよね」

 

ほんとです。

いねーよ!!笑

 

でも、あの時はこの人、何言ってんだろ?

そう思ったんです。

洗脳されてしまっていたので。

 

毒母は娘を不幸にするためなら

手段を選ばないんです。

 

娘の夫を陥れ、娘の友人を排除し

娘の立場を悪くする言動しか取らない。

 

義父の通夜の席に

どぎついピンクのマニキュアで現れたこと

あの時は、それでも駆けつけてくれたんだと

自分で自分に言い訳をしましたが

いまなら大人として有り得ないと思います。

 

義兄嫁は意地悪な人ですが

駆けつけた彼女のお母様は

控えめで、それでいて配慮のできる

物静かな人でした。

わたしは正直、うらやましく思い

そんな自分を毒母に対して申し訳なく

感じました。

 

あれなら、来ない方がよかった。

 

「あんたが肩身の狭い思いをしないように

あたしは駆けつけてやったんだ」

だからマニキュアも落とせなかったんだと。

 

考えてみたら

本当に毒母の親族には迷惑を掛けられ

恥をかかされ、それでも

大事にしていた自分が

本当に馬鹿みたいで。

 

小学校高学年の頃に

自分の親が異常だと気づいていたのに

心底軽蔑できていたのに

どこでどう間違って

洗脳か自己暗示か

素晴らしい両親と可愛い弟になってしまったのか。

 

情けなくて。

呆れます。

 

 

真綿の檻は尾崎衣良さんという

深夜のダメ恋図鑑を書いている方の作品で

あの面白い作風と真逆で

びっくりしましたが

グイグイ引き込まれてしまいました。

 

貸してくれた理由が

「お母さんもW子さんも

こんな状況で虐げられてきたのに

毒親と絶縁するの事にいまだに

罪悪感を抱いて、なんか似てると思った」からだそうです。

 

わたしは子に

「昭和はみんなそんなだったんじゃない?」

そう言われて、言葉を飲んでしまったけれど

「昭和だろうがなんだろうが

お母さんとW子さんのされてたことは異常だから。

周りの友達のお母さんだっておばあちゃんだって

そんなことされてないから」

 

その言葉がなんだかとても嬉しくて。

 

「今ならお母さんもW子さんも

ちゃんと児相に助けてもらえたし

親たちは逮捕されたのにね」

 

そういえば、小3の時に

保健の先生が「アメリカなら

この子のされていることは虐待」と言ってくれたこと。

あの言葉は高学年になった時に

虐待を考えるきっかけになりました。

 

昭和だろうが平成だろうが

令和だろうが

保護者がこどもを暴行するのは

犯罪なのにね。

 

 

真綿の檻の試し読みができるサイトを

貼っておきます →  真綿の檻