このブログの元々のタイトルは
自問自答、でした。
幼少期から虐待を受け
常に責められ続けた私は
常に自問自答する人間になりました。
自問自答しすぎて前回の続きを書くのに
こんなに時間が経っていたなんて。びっくり。
弟は父の実子なのか。
毒母と「おじちゃん」
毒祖母と「おじちゃん」
毒母姉妹兄弟と「おじちゃん」
そして私と「おじちゃん」
その関係性を出来る限り
思い起こし、分析すると
毒弟はおそらく「おじちゃん」の子だという
結論になりました。
母方の親戚で唯一人、私に優しかった祖父は
「おじちゃん」が嫌いでした。
温厚な人なので表立って嫌うというそぶりは
なかったけれど
「おじちゃん」が祖父母の家に来ると
挨拶だけして自室に籠ってしまいました。
誘われても決して一緒に外出もしませんでした。
私はよく毒母に
「おじちゃんに会いに行って来な」と言われました。
行けばなにか買ってくれたり、美味しい食事に
連れて行ってくれたりした「おじちゃん」
話の中で必ず聞かれるのが
「毒弟ちゃんは元気?」ということ。
まあ毒弟とは言わず彼のあだ名でしたが。
不思議と名前ではなく、毒母が好んだ
「〇〇ちゃん」という呼び方でした。
私はずっと不思議でした。
毒弟とおじちゃんはほとんど面識がないのです。
毒父は息子を溺愛していました。
私のことは「6畳間の端から端まで
すっとばすくらい張り倒してやるんだ」
と笑いながら語っていた毒父でしたが
どんなに毒弟が悪さをしても
万引きしようが、他人を暴行しようが
「あいつは悪くない」
「周りが悪い、教師が悪い」が口癖で
30過ぎて実家暮らしの毒弟が
来客にあいさつ一つしなくても
なにも言いませんでした。
わたしがそんなことをすれば
「二目と見れない顔」になるまで暴行するくせに。
週末、毒祖母の家に行かされるのも私だけ。
私の知る限り、毒弟は「おじちゃん」に会ったことは
ないはずです。
それなのにおじちゃんに会えば必ず
「〇〇ちゃんは元気?」
そうさりげなく聞かれるのです。
おじちゃんと二人きりで会うようになった中学生の頃から
ずっと、そう聞かれ続けました。
ずっと小骨が喉に引っかかったみたいな
違和感があるまま、結婚してしまうと
おじちゃんに会う事もなくなりました。
ところが毒両親が揃って始めた趣味のスポーツで
偶然、そのおじちゃんが理事を務めていたそうです。
権威に弱い毒父は、散々おじちゃんを嫌っていたくせに
突然、仲良しに。(笑)
ある日、実家に顔を出すと、その同好会の仲間たちを
招いて宴会をしていました。
そしてそこにおじちゃんも招待していたのです。
毒母は全くおじちゃんと会話することなく
おじちゃんは居心地悪そうに見えました。
毒父はほろ酔いで
私が孫を連れてきているとおじちゃんに言いました。
私にしてみれば異様な光景でした。
所在無げなおじちゃんに私は言いました。
「なんだか変な状況だね」と。
おじちゃんは「そうだね」
「でもW子ちゃんが幸せそうで
お母さんも孫が生まれて幸せそうで良かった」
そこで私は何を思ったのか
思わなかったのか。
「おじちゃんがお父さんになるんだと思ってた」
そう言ったのです。
するとおじちゃんは
「そうだね。
ごめんね。
だけどね、そのことはお父さんには
口が裂けても言っちゃいけないよ」
「そう思ってた時もあったけど、
でも、もう昔のことだからね。
だからお父さんの耳に入れちゃ絶対ダメだ」
そして「そういえば、今日はいないけど
〇〇ちゃんは元気?」
そう聞いてきたのです。
「もう帰ってくると思うけど。
おじちゃん、ほとんど面識ないのに
いつも気に掛けてくれて。
お母さんも嬉しいと思う。」
その時点ではなにも疑っていなかった私は
そう言いました。
すると「〇〇ちゃんが元気ならよかった。
立派になったろうね。」と言ってすぐ
「僕はそろそろお暇しますよ。」
私は台所にいる毒母に
「おじちゃん、もう帰っちゃうって」と伝えに行くと
「あら、そう」とだけ。
そして他人行儀な挨拶をして
おじちゃんは帰って行きました。
毒父は自分が理事と旧友だということに出来て
満足そうでした。
その後で毒母が「お父さんたらさ」
「まるで自分がおじちゃんと親しかったみたいにさ」
そんなことをブツブツと言っていました。
この時もまだ私はおじちゃんと毒母を疑うなんて
そんな気持ちは微塵もありませんでした。