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ものかき子*クロニクル

主婦・母・そしてフリーライター。

3足のわらじを器用に履きこなせるのか??私!!!

「勝手に編集後記」もアリ。

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そういえば、娘は中高一貫の女子校に進学した。

中学受験を考えた当初は、中身が半分男の子のような娘には共学ししかありえない!と思い

共学の受験しか考えていなかったが、

学校とバレエの両立を考えた時に、いい具合の共学が見つからず。。。。。


結局第一志望は女子校にしたのでした。


なので、学校選びは慎重にしました。

うちの子の雰囲気に合う女子校を探すために、せっせと学校説明会に足を運び、

「ここだっ!!!!」という学校にめぐり合えたのも、とっても幸せなことでした。



かくいう私は、中高は公立でもちろん、共学。

娘の入学式の時、びっくりしました。

300名近く体育館に入ってくるのが、全部女の子で。

もう、圧巻ですよ。

担任の先生はしばらくは、「顔と名前は一致しません」と断言。

でも、その気持ち、わかるわー。

しかも、みんなおんなじ制服着てるんだし。


という訳で、私にとって未体験ゾーンである女子校。

女子校について勉強すべく、辛酸なめ子さんの「女子校育ち」を読了。


まあ特に女子校の恋愛事情なんかは、びっくりしながら読ませていただきました。(笑)


そういえぱ、うちの子って低学年までは人目を全く気にしないタイプだったたんだけど、

5.6年生から人の目をちょっと気にするようになってきたのよね。

それには、男の子の目も含まれておりして。。。。


そういう意味でも、男子がいない環境というものは、

あるがままの自分をのびのびと出せるいい環境なのではと思ってオリマス。


「女子校育ち」の冒頭にレディ・ガガがカトリック系の女子校出身と書いてあって納得。

女子受け、いいですよね。

というか、ガガ様は私も大好きだし♪


娘には目指せ!レディ・ガガ!  とは言わないまでも

小学生時代に押さえ込んだ個性を徐々に解放していただきたい。


小さい頃は本当に個性的で面白い子だったのですよ、わが子ながら。


そういえば、中学に入ってから、娘の友達はかなりの個性派ぞろい。

娘の話を聞いてるだけで、とっても楽しいのです。










3月11日3時ごろ、自宅に戻った。

思いのほか、自宅の中は大丈夫だった。


不安定に置いてあったお札や写真たてなどが台から落ちていた程度。

数分おきに余震がくる。

家の中にいると、揺れを余計に感じる。


大きな余震になると、テレビがグラグラ揺れていた。

3時15分頃、おそらく一番大きな余震の時、

私はちょうどトイレに入っていて、大きな揺れを感じてもどうにもできない状況だった。

なんだか、怖いやら情けないやら。。。。

後で気づいたんだけど、トイレって割と安全な場所なんですってね。

いやー、でもお尻出したままだとものすごく不安ですよ。(笑)


さて、このあたりで気になってくるのが子供のこと。

学校に行ってるのだけど、どうしてよいのかわからない。


私は下校予定の4時まで待ってみることにする。

学校からは何も連絡が来ない。

携帯電話も繋がらない。

緊急時のメールももちろん来ない。



窓が外の様子をうかがっていると、ランドセルをしょったお子さんと母親の姿が見えた。

「やっぱり今日は引き取りになったんだ。」

そう思って、学校に行きことにした。


学校に着くと、子供たちは防災頭巾を被って校庭にいた。

引き取り訓練って毎年面倒だと思っていたけど、まさか実践の時がくるなんて思ってもみなかった。

子供たちは明るくいつもの様子だった。

先生達は情報を知らないようで、どれただけ規模が大きな地震だったかまだ把握できていないようだった。

私は緊急メールが来ていないことを先生に告げ

「引き取りだということがわからないお母さん方がたくさんいると思います。」と言った。

娘の担任の先生は若い先生でそんな時どうしたらよいか対応がわからないようだった。

ただ、決められたことは守らなければならないという信念はあるようで

「予め申告があった引き取り人以外は子供を引き渡すことはできません。」とおっしゃった。

先生の言うことはもちろん正しい。

でも、こういう緊急事態には柔軟な考え方も必要だと私は考えた。

なので私は

「今は電話も携帯も繋がりませんので、近所でまだ学校に残っている子のお宅を回って、引き取りになった旨を伝えます。」

そう言って、娘を引き取った。


近所を回ろうと思っていたけど、帰り道に続々とまだ残っている子のお母さん達に会うことができた。

そして、娘の親友である子の家に行こうとした時、その子のママにも会えた。

なんだか、彼女は大きな帽子を被っていた。

その時はそのことについて触れなかったが、後々聞いたら、なんと美容院でパーマを当てている最中に地震が来て、しかも停電してしまったらしい。

なのであの時、彼女の頭はびしょ濡れだったそうだ。

だから、あんなに大きな帽子を被っていたらしい。



そんなこんなで親子無事に再会。

そういえば、旦那さんはいいのか悪いのか大阪に出張中だった。

当然、しばらく旦那さんとは連絡がとれなかった。





















東北地方太平洋地震から3ヶ月経ちました。

あの直後はこれから、ものすごく世の中、価値観が変わっていくのだと思ったのですが、

横浜に住んでいるとどちらかというと徐々に地震前のように戻った感じもします。

でも、世の中ってちょっとずつちょっとずつ変わっていくものなのでしょうか?


地震の直後は私なんかが、地震のことについてブログに書くのはとてもおこがましいように感じました。

被害にあわれた東北地方の方々のことを思うと、

無傷で、停電もしなくて、お水もちゃんと出て

普通に暮らせる状況の私が地震について軽々しく書いてよいものかと。。。。


でも、大きな被害はなかったけど、それなりの体験談を記録として書き留めておこうかと思います。


●3月11日●

午後2時46分。

その時、私は電車に乗っていました。

ちょうど駅に停車していた時、電車の車体がグラグラと揺れ始めました。

しばらくしても揺れは収まらず、向かいに座っていたおばさまが

「電車のこちら側はガケよ!」と叫ぶ。

私が利用していたのは田園都市線。

田園都市線には踏み切りがありません。

線路は地下になっていたり、高架っていたりして一般道と交わることがないのです。

停車中の駅はちょうど高架になっていました。

なので、ガケというかまあ線路は一般道より高くなっていたのです。

私は電車が横転しては大変と思い、ホームに降りる。


ホームに出ても揺れは収まるどころか、どんどん大きくなってく。

高架の造りがあまりよくないのか、大きく揺れる、揺れる。

普通には立っていられない状態で、皆さんしゃがむか、看板に捕まっていた。

私は近くにあった看板に捕まりながら、その場にしゃがんだ。

すると、目の前がちょうど継ぎ目になっていて、ミシミシと音を立てながら、そこから白い粉があがっていた。


その駅の近くには、線路と平行するように東名高速道路がある。

私はかがみながら、ふと前を見ると、東名高速が“グワングワン”と揺れていた。

(もしかすると、“ぐわんぐわん”と揺れていたのは、私の方かもしれないけど。。。。)

「ウソでしょ!ウソでしょ!」私はそう心の中で思っていた。

だって、いつも地震は少し待てば、収まるものだと思っていたから。


しばらく大きな揺れが続いたけど、なんとか落ち着いてきた。

その駅から自宅までは車で15分くらいの距離。

私はタクシーを捕まえて、自宅まで帰ることを即断した。


改札を出ると、運よくタクシーがいた。

私はそのタクシーに飛び乗った。

タクシーの運転手さんは、地震の時、ちょうど東名の真下にいたらしく、

大変な恐怖感を味わったようだ。

やはり、グワングワンと揺れていたのは、私だけではなかったのだ。

(この駅周辺は道路が万年渋滞状態なので、動きたくでも、動けない状態だったよう)


私は今まで体験したことのない大きな揺れにただ事ではないと思い、運転手さんにラジオを聞かせて欲しいとお願いした。

私の予測では震源地は大変なことになっていると感じたのだ。

人間とは勝手なもので、大きな揺れを感じながら、震源地は絶対自分のところではないと思ってしまうのだろうか。

でも、私はその時、震源地は大変なことになっていると感じたのだ。

それには一つ、過去の経験がある。

それは、阪神淡路大震災だ。

私はその時、名古屋にいた。

あの日の明け方、名古屋でも少し揺れた。

ストンととした、たて揺れだった。

今回はそれとは比べ物にならないくらいの揺れ方だった。

(後から思うと、直下型とプレート型の違いもあるということにも気づきましたが、その時はそのような知識もありませんでした)


ラジオからは宮城県が震度7であることを報じていた。


そして、しばらくすると、道路の様子が少しおかしいことに気がついた。


信号が消えているのだ。


通学途中の子供たちを近くにいた大人達が誘導していた。

私は「これからどうなってしまうんだろう」という思いを胸に、無事に家に辿り着くことができた。