どうも。わらびです。

今回は前回に引き続き和田川にある橋、東軍馬橋を探索しました。

 

===↓他の和田川の探索はこちら===

 

南軍馬橋(軍施設の名を残す古い橋)

和田川旧河道(和田小学校と旧街道脇を流れていたかつての流路)

 

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地図内、東軍馬橋と記載のある橋が今回の主役です。

前回探索した南軍馬橋のすぐ下流に位置しています。

 

和田川はその名の通り和田地域を流れる河川で、錫山付近を源流とし木屋宇都、玉利、和田を経て木ノ下川と合流したのち錦江湾に注ぎます。

下流付近は河川の改良が十分ではなく令和の豪雨でも一度氾濫。その半面鹿児島市随一の昔からの橋や護岸といった遺構が現存する河川でもあります(前回からの使い回し)

 

東軍馬橋はそんな和田川の下流に架かる橋で、軍施設由来の名前のルーツとちょっとしたアーチの意匠を持ちます。

 

南軍馬橋からそのまま連続で探索。

白いコンクリート製の橋本体に、薄いアーチのような意匠が施されています。この一昔前のモダンさが近代を感じさせます。

「東軍馬橋」という名前は南軍馬橋と同様、日本陸軍の福元軍馬育成場(軍馬補充部福元支部)に由来します。

架橋年月の詳細は不明。隣の南軍馬橋と同時期かそれより少し後程度ぐらいではないかと思います。

 

アーチと石積みの橋台。どちらも古いものでかなり風化していました。

特に橋脚付近は強い地震が来たら逝きそうなぐらいのヒビが入ってしまっています。

こんなんでも一応現役の橋です。

 

下流側から見た東軍馬橋。

本来の欄干の上に高いフェンスが設置されています。

そしてこちらも橋脚付近にヒビがありますがどうやら浅いようで思ったより深刻では無さそう。

 

橋脚の土台部分は石積みになっています。

元々は全て石積みだったのか、最初から現在のようなコンクリート製の橋脚だったのかは分かりません。

 

橋上。こちらは舗装がされています。

かつてはこの正面から和田小学校裏への道がありましたが区画整理で消滅。

東軍馬橋はその道のカーブの手前の場所で対岸の田畑とを結ぶ役割を担っていました。

 

橋上から見た和田川上流側。

奥に見えているのは南軍馬橋です。

 

橋上から見た下流側。

奥に見えているのは和田橋と和田小学校。

 

豪雨での損壊・河川改修とそれに伴う新橋の架橋が続く鹿児島において、このような橋が残っている事は大変珍しいことです。

しかし令和の豪雨でこの一帯の和田川が氾濫したこともあり、近いうちにこれらの橋も消えてしまうかもしれません。

 

今回はここまでとします。

 

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南軍馬橋(軍施設の名を残す古い橋)

和田川旧河道(和田小学校と旧街道脇を流れていたかつての流路)

 

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