Study Hard -63ページ目

聖域

 この私ですら、ほんの少しも実態がわからない学生集団がある。C学と選対駒場の和だ。

 選対駒場の和が自治会っぽい立看を銀杏並木に放置する時期になると、夏めいて来たなと感じる。
 今日は演説してるかなと気になって仕方がない。来週から午前中に駒場に行こう。彼らが俺を待っているから。

 清掃活動は明日(訂正:7/5土曜日)を予定。

休学の健全性(⊃無矛盾)に関する諸考察

 とりわけ症状らしきものが酷くなったのとこのブログの更新頻度が急激に低下したのが一致している。ここの更新頻度は精神の健康のバロメーターということか。そんなわけはない。

 疑似科学擁護ではない疑似科学批判批判は場を混乱させるだけだからやめろ馬鹿。と思ったが、実は自分もパワーヘルス擁護になってないパワーヘルス批判批判をやっているので同じ穴の狢であった。かかったな、と思ったら、中二病。

 疑似科学批判には訴えの利益がない。kwskを見ながらそう思う。

 今日はS津君にそそのかされて文理が統合された記号論理学の講義に行ってみた。数学は記号論理ではないにせよ、さすがにあの程度の内容を数学科が理解できていなければヤバい。それでS津君の持っていたフランス革命事典を読んで「ヴァレンヌなどという革命にとって本質的にどうでも良いことに何故夢中になったのか」などと思っていると、野矢先生がしばし講義内容から大きく踏み出して独演を始めた。
 それは決定可能性から始まり無限の濃度に関する言説で頂点に達するのだが、そこで得体の知れない違和感を覚えた。即座に質問しようとしたが無視され、地団駄を踏んでいるうちに講義は終わった。そこで改めて講義後に質問に行くと、ああ、あんなに心が晴れたのはこの3ヶ月というものまったく無かったと言ってよろしい。
 野矢先生は「非可算濃度自体認めていない」のだ! 真理の探究者たちには理解されないだろうが、それを聞いた瞬間に私の体は硬直し、直後躍動した。非可算濃度が存在しない系について考えることは極めてエキサイティングだ。直ちにそれがどのようなものであるか理解するのはまったく不可能だが、聞いた瞬間に完備性から選択公理に至るまでに対してヴェールのように覆いかぶさる何かが観えるではないか。

 「無限論の教室」という著作に上記のことを書いているそうだ。明日、久しぶりに、目的を持って本屋に行こうと思う。
 少しだけ明日が待ち遠しい。

(追伸)
 「無限論の教室」の紹介のようなものを複数読んでみたのだが、「著者が非可算濃度に対して疑念を持っている」「実数もデジタルでないか」といったことに言及したものが見当たらない。著者の意図を細かく汲むことが出来るほど訓練された人はそうはいないのか。まあ、入門書的な体裁をとっている本にまさかそんな「極めて危ない内容」が記されてるなんて誰も思わないだろう。

(追伸の追伸)
 もういい加減言うのも馬鹿馬鹿しいが、"0.999...=1"について見解を聞けばまったくのド素人かそうでないか位はわかる。かけ算と引き算を駆使して説明したらキチガイ、数列を使って説明したらダメ大学生、怪訝そうな顔をして無視したら数学者である。ついでに言うと、実数の範囲なのだから"0.999...=1.000..."と書くのがよろしい。

新たし

 賢明で劣悪なるsensiken的諸兄に今さら指摘すべくもないが、独裁者とは選ばれたる代表である。それでは、選ばれていない(自称)代表とは何かというのが気になるところだ。と言っても、私は間接民主制云々ではなく、駒場の話をしている。

 集合論的世界観に則れば、代表とは代表元であれば良く、従って誰が代表かよりも適切な集合を形成できるか(一般の集まりは集合ではない)が焦点となる。すると驚くべきことに、学生の代表という概念を成立させるためには、学生全体が1つの性質の良い集まり(要は集合)でなければならない。それは千単位の人間に対して共通の性質が存在することを意味し、確かに大学生であるといった共通要素を見出せるので空でないことは確かだが、それが具体的に何であるかを知ることはほとんど人間の探究に等しい。
 というわけで政治の言う代表が、一般に代表元として機能することは難しい。代表元を取りうるならば、どれを選んでも良いのだから、選ばれたとか選ばれてないという表現に意味がない。選出する必要があるということは、集合としての性質が対象に関して十分に均質でないか、集合でないことを意味している。

 数学の言う代表元とは、例えば3で割った余りが1になる自然数の集合に属する任意の元のことである。この集合を(1)と書こうが(4)と書こうがどうでもよろしく、代表元の取り方が一意に決まらないからこそ集合という抽象的対象のまま扱う。
 駒場の諸兄は、好意的に見ても代表を選ぶ以前に類別にすら到っていない。彼らはどうやら3で割った余りなどには興味がなく、ただ自然数であれば何でも良いぐらいの勢いである。つまり、そこにはただバラバラの個別の元があるのみであり、主張も類別も欠片もない。だからこそ彼らは、自分が自然数の代表であると主張する。何故なら彼らもまた自然数だからだ。理由になってないが。

 選ばれていない代表とは、類別されていない集合の元であるという仮説を立ててみた。
 そうしてみると彼らが選ばれた代表を非難する理由さえ分かる気がする。選ばれていない代表の拠り所は均質性であり、人間の集団においてはほとんど意味のない肩書きと同義である。だから選ばれざる代表たちは、学生であるとか人間であるという具体的性質をほとんど伴わない類別にしがみつく。そこには争点も対立もないのだが、彼らにとっては代表面して旨い汁を吸いたいだけなのだからどうでも良いことだ。

 きっと彼らは集合論が理解できないに違いない。1と{1}の区別もできぬまま、個人の発見は集団の否定でないと理解できぬままに、今日も分断されたまま連帯している。