新たし | Study Hard

新たし

 賢明で劣悪なるsensiken的諸兄に今さら指摘すべくもないが、独裁者とは選ばれたる代表である。それでは、選ばれていない(自称)代表とは何かというのが気になるところだ。と言っても、私は間接民主制云々ではなく、駒場の話をしている。

 集合論的世界観に則れば、代表とは代表元であれば良く、従って誰が代表かよりも適切な集合を形成できるか(一般の集まりは集合ではない)が焦点となる。すると驚くべきことに、学生の代表という概念を成立させるためには、学生全体が1つの性質の良い集まり(要は集合)でなければならない。それは千単位の人間に対して共通の性質が存在することを意味し、確かに大学生であるといった共通要素を見出せるので空でないことは確かだが、それが具体的に何であるかを知ることはほとんど人間の探究に等しい。
 というわけで政治の言う代表が、一般に代表元として機能することは難しい。代表元を取りうるならば、どれを選んでも良いのだから、選ばれたとか選ばれてないという表現に意味がない。選出する必要があるということは、集合としての性質が対象に関して十分に均質でないか、集合でないことを意味している。

 数学の言う代表元とは、例えば3で割った余りが1になる自然数の集合に属する任意の元のことである。この集合を(1)と書こうが(4)と書こうがどうでもよろしく、代表元の取り方が一意に決まらないからこそ集合という抽象的対象のまま扱う。
 駒場の諸兄は、好意的に見ても代表を選ぶ以前に類別にすら到っていない。彼らはどうやら3で割った余りなどには興味がなく、ただ自然数であれば何でも良いぐらいの勢いである。つまり、そこにはただバラバラの個別の元があるのみであり、主張も類別も欠片もない。だからこそ彼らは、自分が自然数の代表であると主張する。何故なら彼らもまた自然数だからだ。理由になってないが。

 選ばれていない代表とは、類別されていない集合の元であるという仮説を立ててみた。
 そうしてみると彼らが選ばれた代表を非難する理由さえ分かる気がする。選ばれていない代表の拠り所は均質性であり、人間の集団においてはほとんど意味のない肩書きと同義である。だから選ばれざる代表たちは、学生であるとか人間であるという具体的性質をほとんど伴わない類別にしがみつく。そこには争点も対立もないのだが、彼らにとっては代表面して旨い汁を吸いたいだけなのだからどうでも良いことだ。

 きっと彼らは集合論が理解できないに違いない。1と{1}の区別もできぬまま、個人の発見は集団の否定でないと理解できぬままに、今日も分断されたまま連帯している。