Study Hard -499ページ目

「おめでとうございます」「おめでとうございます」「おめでとうございます」

 俺がそんなに目出度い奴に見えるとは。

 学会員になってきました。
 それにしても奇妙な話です。「私個人の宗教」としてと何度も言ってるのに向こうが仏壇を買ってくれました。小物の類いまで含めて5000円程度自分で出すのに。逆にご本尊を頂く時には、私は通例宗教法人で何か有った場合には1万円を出す事にしているのですが、今度は1万円じゃ多すぎると言いたげな風情。結局5000円だけ「御供養」として収めておきました。御供養って何だ、お布施でいいでしょ。

 私の知っている創価学会とは大分変わっているようです。まず何より人間関係がひどく重視されている。さらに明らかに後からの(おそらくは第三代会長の時代の)付け加えが多い。こりゃ下手すると前の二代の考えはかなり葬り去られてるかもしれません。
 私は「中途」のようです。つまり生まれたときから創価学会に居たのでなく、途中から入って来たと。これは完全に「コミュニティー化」してますね。考えても見て下さい。創価学会が出来た当初に「中途入会」なんて概念有り得ないでしょ。そうすると私の祖母の宗教法人では私は「生粋」の信者ですね、逆に彼らがそれに入って来たら「中途」と。詰らん話だ。
 でも一概に否定は出来ませんね。両親が日本人だったらその人も日本人でしょ。そんな感じですね。でも宗教法人が生まれで人を区別するようでは世も末(そう言えば今も末法の時代なんでしたっけ)だなとは思ってしまう。

 私は川崎に住んでいます。だから川崎か、あるいは信濃町で手続きするのかと思ったら、これが違う。
 さいたままで行ってきました。あの昨日出会った「門番」の方がさいたまの支部の方だったから。それでその方の紹介で入ったということになるのでさいたまの方の所属になるらしい。まあ出来るだけ早く所属を近所(ないし大学)にしてもらうようにはしますが、人間関係で物事を進めようとするその態度が気に入らない。
 それに疲れた。行った場所が大井平和会館なる場所。どこかと調べてみたらふじみ野市なる場所。入間より遠いとは。1時間半で帰れたのは僥倖と言うべきでしょうか。

 しかし何と言っても暖かく迎え入れて貰えました。「おめでとうございます」の嵐。さいたまオメデテエな。
 それで読経は短め、南無妙法蓮華経多め。ウチもこれは見習おうかと思いました。どうも読経に30分40分は長過ぎるかもしれません。
 それにしても短い経典ではありますが違和感が。

 一、諸願祈念ならびに回向
 自身の人間革命と宿命転換を祈り、種々の願いが成就しますよう御祈念申し上げます。
 先祖代々ならびに会員・友人の諸精霊追善供養のために。
 世界の平和と一切衆生の幸福のために。

 妙法蓮華経にこんなこと書いてありましたっけ。特に最初の行。

 まあ何でもいいでしょう。勤行のために毎朝早く起きられるようになったらそれだけでも儲けもんです。今度戦史研に飾りたいですね、ご本尊。みなさん暇な時にお題目でも唱えてみたらどうでしょう。もっと大声で糞歌を歌えるようにする特訓を兼ねて。

 まだまだ語ることはありますが、締めに向かいましょう。
 お、そうそう。帰る途中に「祖母が信仰を獲得した経緯」「祖母の宗教法人を設立した理由」「父の宗教」「私が宗教を必要だと考えるに至った経緯」などを延々と語りましたよ。あまり深く分かっては貰えなかったようですが、「会長の話を聞いてるみたい」と言って貰えました。僕も創価学会の会長になれますか^^
 紹介で、最初はイヤイヤながら、という人多いですね。お前らみたいなやる気が無いのでも何とかなるなんて良い場所だよ、ホント。

 結局創価学会の宗教たる部分については何も分かりませんでした。
 おそらくは「誓願態から祈念態へ移行する過渡期的形態」だとにらんでいますが、今日は収穫無しか。それにしても当初の「法華経を主体とした生活」と違う、創価教育学体系と違う、すっかり変わってしまったらしき創価学会。果たして宗教はどれくらいあるのでしょうか。

 戦史研員に向けて言っておきましょう。
 創価学会がダメで戦史研が良いなんてことは決してありません、どちらもある種の社会的存在です。戦史研が創価学会よりもマシなんて思ってたらタコツボに落ちてるとしか言いようがありません。そんなこと思ってるようでは、心地よいぬるま湯に浸かって出てこられなくなってしまった学会員と大差ないと言って良いでしょう。
 大体創価学会についてろくに知らないくせに拒否反応を起こすようでは佐竹君と大差ないです。戦史研の誰かが拒否反応を起こしてると言ってる訳ではありませんよ、念のため。

 これからも創価学会にはそれなりに関わっていきます(学会員だから当然ですね)。学会のことで気になることがあればどんどん聞いて下さい。調べに行きます。
 自由に関わり自由に離れる、これが宗教法人です。もし違うとしたら残念ながら創価学会はやっぱり単なる生活団体だったってことです。

 最後に創価学会とは直接関係ありませんが一つ。
 宗教は「自由な思考」を大切にします。どうか多くの学会員のような「機能不全」に陥らないで下さい。それは創価学会を讃えようと貶そうと同じことです。

 (追伸)
 そうですね突き放し過ぎも良くないでしょうから、一つ指標を示しましょう。
 「それはあなたを育ててくれましたか」

偉大なる新会長同志が

 戦史研が創価学会のフロントサークルになることをお認めになりました。勝利だ。

 さて、私は今日学会員になることが出来るのでしょうか。
 なれなかったら私の宗教歴20年が否定されるような気がします。今からションボリです。

 どうやら第三文明研究会は窓口の役割をあまり果たしていないようですね。やはり行くなら本部に限る。

 日蓮宗は民族臭が強いそうです。創価学会が日蓮宗の一派なのかは知りませんが、民族主義者として圧倒的連帯を訴えてみることにでもしましょうか。

昨今流行の創価学会あたりにも手を出す時が来た

 今日は信濃町の創価学会の本部に行きました。

 私は宗教法人めぐりをちょっとした愉しみにしております。
 私個人の宗教を考える足しにしようというつもりも無くはないのですが、基本的には何も期待していません。特に大きい宗教法人は物見遊山程度の感じです。大きくなる所は所詮多くの人に支持を得ているということだからです。多くの人に支持を受けているということは最早それは現代における宗教の中核部分とは無縁であるということを意味しています。
 宗教でなくて数学と置き換えて読んでみて下さい。多くの人に理解される宗教/数学。どうですか、高校課程などに加えられ多くの人に理解されている数学なんて最早誰も研究対象としていないでしょう。宗教も数学同様その中核において高度に抽象化された思考を要求されると私は思っていますので、多くの人に理解・支持をされている時点で期待が持てないのです。

 そんな事を言いつつ今までも幾つか回って来ましたが、今日は創価学会にしてみました。

 まず門番に止められました。用を聞かれたので教義・教学について教えて欲しいと言いました。礼拝設備に通してもらえると思っていたのですが、通れませんでした。
 これはかなりの驚きです。自分の所も含めてどのような宗教法人も基本的には誰でも何時でも礼拝設備には入って良いものです。
 しかもさらに驚くべきことには会員専用だとか何とか。それでは会員にしろと言ったのですがまったく聞く耳持たず。一体彼らは何がしたいんでしょうか。礼拝設備を使わせて欲しい、教義・教学について教えて欲しいと本部にまで出向いた人間に会員じゃないからと断る。これが仮にも宗教法人を名乗る団体の対応とは思えません。所詮「学会」だなと普段からの思いを強めました。

 まあそれでも「会員専用」の建物のベンチを貸してもらってお話が始まりました。しかしうまく話が噛み合いません。相手は多少なりとも宗教全般について知識を持っているだろうと思い婉曲に表現したのが悪かったのかもしれません。
 内容については特段ここに書き留める必要もないでしょう。あくまでも私の観点からという部分を強調しておきますが、対応してくれた方には取り立てて宗教というべき部分がないようです。なんか創価学会の宗教たる部分は何かというこちらの質問の含意を全部スルーされましたし。

 聖教新聞1年ほど取ってみる事にしました。あの内容で月1800円は安い。
 「私の家から徒歩1分くらいの所に聖教新聞の建物がある。前から一度取ってみようと思っていたのでちょうど良い、自分でそこに言って頼む」と言ったら「紹介が無いと難しい」ようなことを言ってました。何なんでしょうか、たかが新聞一つ取るのに紹介が必要ってどうかしてるんじゃないですか。
 読み終わったら部室置いときます。面白い記事はnyにでもどうぞ。

 それにしても日蓮宗の一派では無いと言うのに、日蓮大上人の「古法具」の話ばっかりして何なんでしょう。あと「先輩」と呼ばれていた方が創価学会に入った理由が悩みがあったからだそうで。またか。宗教法人は悩み相談所じゃないと言いたくなることが本当に多い。まあそういう機能も否定しませんし、悩みが解消されたなら本当に良い事なんですけどね。
 でも一つだけ言わせて貰いたい。受験相談は宗教法人でなく受験塾に持ち込んで下さい。

 やはり父の言う通り「宗教以前の助け合い団体」なのでしょうか。確かに古くより宗教(団体)と言うと社会保障制度の肩代わりや生活団体を意味していましたのでおかしくはありませんけどね。そういう単なる互助・慈善団体だから大きくなれるんでしょう。

 宗教法人が何をすべきか、すべきでないか。宗教の社会への「応用」はどんなものか。そういった話については今は触れないでおきましょう。
 私は私自身の宗教を求め、私自身の宗教課題に対して向かっています。そのような人間に対して創価学会は他の宗教法人同様またガッカリさせてくれただけに終わりそうです。

 創価学会は献金するほど上に上がれる仕組みのようですね。社会保障・助け合いメインなら当然でしょう。社会保障制度は麗しくも扶助される人間が居る一方で彼らを支える人間も必要だからです。生活に困ったら創価学会に頼るのも一興でしょうが、あなたを支えてくれる立派な学会員たちへの感謝はお忘れなきよう。

 さて明日の午後6時半に今日私を引き止めた「門番」の方と信濃町駅改札で会う事にしました。興味のある人はどうぞご一緒に。詰らん一般論と相互扶助のお話で終わるので良ければ。

 最後に謝っておかねばなりません。
 飛行隊長殿を巻き込んで申し訳有りませんでした。ただ警戒するばかりの飛行隊長殿を見て失敗したなあと思っております。
 しかし善良なる学会員に対してすら警戒なさるのでしたら、何よりまず私のような不埒者と付き合うのをやめた方が良いと思います。もしかしたら私はあなたを「悪い宗教」に引き込もうとしてるかもしれませんよ…?