Study Hard -400ページ目

なんか妙な反応してたが

 pgρにも分かる、今日俺が何を言っていたのか講座。
 まず前提知識。

 学生委員会:学生会館に関する最高意思決定機関(多分)。教授によって構成。
 学生支援課:窓口。職員によって構成。
 学生会館委員会等:学生会館の実際の運営を行うための便宜的な仕組み。学生によって構成。

 運営に携わる学生が窓口に依頼等をする形式は一定。一方で、その文書等を提出するまでの経緯は学生側の任意。
 支給願を例にすると次のようになる。一定の書式に従って支給して欲しい品目を記載した文書を作り、それに対して議長の名前を書き、学生会館委員会の判子を押し、学生支援課の窓口に提出するというのが決まった形式。一方で、その文書を誰が書くか、誰(あるいは何)が議長の名前を書くか、誰が判子を押すか、誰が窓口に提出するかは学生側の任意ということ。

 学生委員会と交渉等をする際も、同様に窓口に定型の文書を出す。まだ経験した事が無いので誰がその場に出席出来るのかまでは良く分からない。通例だと「議長+分かる人(達)」という感じらしい。

 次に今日こじれていた話題について。

1.学生会館委員会には法人格が与えられていない
 従って、学生会館委員会という主体が存在する前提で話をすることが出来ない。あくまでも学生会館委員会の誰だれという特定の個人を主体にした話しか出来ない。つまり、議長の誰だれという位置付けは存在しても、学生会館委員会という何者かは存在していない。一方で、明らかに学生会館委員会という主体が存在する前提で話をしていた人が居たためにまったく話が噛み合ないことがしばしばあった。
 特に顕著にこれが現れるのが事務員さんの雇用主について。学生会館委員会は法人格を有していないので契約の主体になる事が出来ない。あくまでも学生会館委員会の誰だれと事務員さんの契約という形でしか成立し得ない。そもそも事務員さんの雇用主は大学。

2.私は運営に携わる一学生に過ぎない
 私の位置付けは学生会館の運営に携わる一学生に過ぎない。その位置付けが意思決定権を持たない学生会館委員会によって保証されているとは考え辛い。そもそも規約と称するものによれば私は運営委員になれないというのだから尚更だ。
 学生支援課の窓口が私を「学生会館委員会によって保証された運営委員」という立場の人間として扱ったことなど一度もない。そもそも私が運営委員であるという証拠を見せた事など一度もない。それ以前にそんな証拠など誰も持っていない。ただ窓口に行って「運営委員の緒方ですが、これこれをお願いします」と言えば対応してくれ、書式に則っていれば要求等が受理されるというだけのことだ。つまり運営委員というのは窓口においては運営に携わる学生であるというアピールに過ぎないのであって、それは誰でも自称出来るし、もっと言えば自称するメリットなど何も無い。
 運営委員の特権と称するものは確かにあるが、それはあくまでも実際の運営における便宜上のものであって、逆に言えばそれ以上のものでもない。ちなみにA研員が会報を事務室のゲスプリで作るのは明らかに私物化なのだが、止める者がいないだけだ(何故ならその場にいるのが全員A研員だから)。事務室に泊まれるってのも所詮は鍵を持ってるからいつでも入れるというだけのことだし。だから私はその現状を認めた上で、皆で運営委員になれば特権が特権でなく単なるサークルが享受出来る恩恵になるだけでしょ、と言ってる訳だ。
 ともかく、学生会館には運営に携わる個々人が居るに過ぎない。その中で議長というのは少し特殊な位置付けだが、それとて名前を使われるという程度のことであって、学生会館委員会が単体として存在する証拠になどならない。

3.私は委員会で議論しているのではない
 学生会館委員会は最高意思決定機関ではないので、本質的にはここでの決定を仰ぐ必要はない。ただ、実際に運営に携わる人たちが多く集まる場所として有用なので利用させて貰っているだけだ。私一人で運営しているのでもなければ、窓口に入るのでもないので、私が何をしたのか、何をしようとしているのかを運営に関わる人たちに伝える場所・仕組みが必要だったということに他ならない。
 良く指摘されるのは「委員会という仕組み自体を蔑ろにしている私が、まさにその委員会に出席してその仕組みを利用しているのはおかしい」という事だが、別におかしくも何ともない。こういった言い分が出てくるのは、学生会館委員会というものが意思決定機関として単体で存在しているという勘違いを前提としているからであって、学生会館委員会と称している単なる集まりに出て、議題と称している場所に報告事項等を書き込んでいるに過ぎないと思えば、なんてことはない。要は前提として学生会館委員会が存在していると考えるかどうかだ。便宜上の仕組みが便宜上の集まりを行ってるだけなんだから、その集まりは単に運営の便宜上のものに過ぎないし、運営に携わる者が適切に行えばいいだけだ。むしろこちらこそ、何人いるから委員会が成立したとかいう「まじない」を唱えている人たちに対して奇妙な感覚を覚える。
 それから報告・議題にあげた事に対して、何もする気がないのに漠然とした不安・不信を訴えるのは迷惑なだけなのでやめて欲しいと常々思っている。主張した人が実行する。それだけでしょ。

4.そもそも委員会の仕組み自体が意味不明だ
 これは蛇足。
 現在の学生会館委員は事実上運営委員から選ばれている。しかし委員は自治会・学友会・生協から3名ずつ選ばれる人(利益代表?)というだけであって、運営委員である必要などないし、「偉い運営委員」などでは決してない。しかしすっかり形骸化して、単に一部運営委員に理解し難いほどの特権的位置付けを与えるだけの仕組みになっている。
 ある学生会館委員が委員会をサボるだけでほぼ間違いなく委員会が立たない。極端な話、気に入らない議題があれば無視することによって流せるという事にさえなる。お前らは国連安保理の超大国か何かかと思ってしまう。
 しかもお偉い委員様方は「決定」するだけであって実際に動くのは運営委員というのだから驚く。運営委員が運営を実際に取り仕切り、運営委員からの提案を非運営委員で構成された委員会が吟味して通すという話であれば(どこの貴族院だという感じだが)まだ理解出来るのだが、その委員様になるのが全員運営委員だというのだからもう訳が分からない。委員様になった運営委員は動かなくていいということなのか。委員様は命令するだけだとでも言うのか。同じ運営委員の間に階級を設けてるとでも表現する他ない。
 だから幾ら「規約が規約が」などと喚かれても困るばかりで、もう少し若ければ「特権階級打倒」を掲げて革命してやっても良いくらいだ。でももう若くないので無視するという「無血革命型」で行こうと思う。革命する労力が無駄だ。

 途中で迷走したのでここで終わり。

無敵変態

 ひたすら駒場まで自転車で往復していたら成長しつつある。片道75分前後だったのが、片道70分前後になった。片道60分を切ったとき、俺はpを超える。
 現在200km、ディエンビエンフーまであと400km。

俺たちのアイドルがまたやってくれた

 チャベス大統領マジカッコいい。俺も一生に一度くらいああなってみたいもんだ。

 まあそれはそうと、現在の軍事システムにおいて最高意思決定者ないし機関が存在していないことが最大の問題であるという結論に至りそうだ。
 そして軍事システムの最高意思決定者は政治システムの最高意思決定者ではない。その理由の一つは、それらを兼任することは個人の能力を大幅に越えていると考えられるからだ。そして国家元首と呼ばれる者たちが事実上何もして来なかったのは、その地位が個人の能力を大幅に越えていたからだと考える。
 政治経済軍事のすべてを個人が統括することなど不可能である。そして現在に至って、国家元首と呼ばれた機能はそれぞれのシステムに分割されるべきだと考える。さらに現在のところ、軍事システムの最高意思決定機関は事実上存在しないと考える。但し、国家元首としての権威というものがあるとすれば、それは大いに有用であると確信する。

 これは同時に、現在の米国のような、政治システムの下位に軍事システムを置こうとする考え方と真っ向から対立するものである。そして軍最高司令官としての政治家という考え方は「ぼろ切れのような」すり切れた考えだと断定せざるを得ない。政治システムに国家元首としての機能を代替させようという考えは一笑に付す他ないし、その具体的な失敗例は「米国でも参照にせよ」と言う他ない。反論があるならば、まず第一にこちらから聞きたいのは「大統領は軍事機能か」ということである。

 では具体的にどのような軍事システムを構築すべきかという問題に至り、吾々は軍事学の未熟を悟るのだ。現在は一種の過渡期だと思う。政治屋が突出するという「畸形的状況」が見られたとしても、それが吾々の目指すべき場所だということにはならない。吾々はもっと軍事について、何より軍事システムという考え方について、考えなければならない。

 ついでに言っておくと、何度言っても足りないくらいだが、クラウゼヴィッツの有名な言とされる「戦争は政治の延長云々」という文言は決して「政治システムの下位に軍事システムが置かれるべきだ」という考え方ではない。あれはせいぜい戦争にも具体的目的が必要だという程度のことであり、現在のような社会科学の考え方を前提とはしていない。
 クラウゼヴィッツの戦争論は当然ながら当時の考えや戦争を反映したものであり(何よりナポレオンが居た時代!)、現在の感覚でうっかり読むと間違えるというのは有名な話だが、これもまた「顕著に当時の時代背景への理解が必要」な事例の一つだと言えよう。

 ともかく、私が生涯を賭けて考えるべきは「軍事システムにおける最高意思決定機関とはどのようなものか」であると確信しつつある。少なくともそれは現在の日本には無いものであるとも確信しつつある。