俺たちのアイドルがまたやってくれた
チャベス大統領マジカッコいい。俺も一生に一度くらいああなってみたいもんだ。
まあそれはそうと、現在の軍事システムにおいて最高意思決定者ないし機関が存在していないことが最大の問題であるという結論に至りそうだ。
そして軍事システムの最高意思決定者は政治システムの最高意思決定者ではない。その理由の一つは、それらを兼任することは個人の能力を大幅に越えていると考えられるからだ。そして国家元首と呼ばれる者たちが事実上何もして来なかったのは、その地位が個人の能力を大幅に越えていたからだと考える。
政治経済軍事のすべてを個人が統括することなど不可能である。そして現在に至って、国家元首と呼ばれた機能はそれぞれのシステムに分割されるべきだと考える。さらに現在のところ、軍事システムの最高意思決定機関は事実上存在しないと考える。但し、国家元首としての権威というものがあるとすれば、それは大いに有用であると確信する。
これは同時に、現在の米国のような、政治システムの下位に軍事システムを置こうとする考え方と真っ向から対立するものである。そして軍最高司令官としての政治家という考え方は「ぼろ切れのような」すり切れた考えだと断定せざるを得ない。政治システムに国家元首としての機能を代替させようという考えは一笑に付す他ないし、その具体的な失敗例は「米国でも参照にせよ」と言う他ない。反論があるならば、まず第一にこちらから聞きたいのは「大統領は軍事機能か」ということである。
では具体的にどのような軍事システムを構築すべきかという問題に至り、吾々は軍事学の未熟を悟るのだ。現在は一種の過渡期だと思う。政治屋が突出するという「畸形的状況」が見られたとしても、それが吾々の目指すべき場所だということにはならない。吾々はもっと軍事について、何より軍事システムという考え方について、考えなければならない。
ついでに言っておくと、何度言っても足りないくらいだが、クラウゼヴィッツの有名な言とされる「戦争は政治の延長云々」という文言は決して「政治システムの下位に軍事システムが置かれるべきだ」という考え方ではない。あれはせいぜい戦争にも具体的目的が必要だという程度のことであり、現在のような社会科学の考え方を前提とはしていない。
クラウゼヴィッツの戦争論は当然ながら当時の考えや戦争を反映したものであり(何よりナポレオンが居た時代!)、現在の感覚でうっかり読むと間違えるというのは有名な話だが、これもまた「顕著に当時の時代背景への理解が必要」な事例の一つだと言えよう。
ともかく、私が生涯を賭けて考えるべきは「軍事システムにおける最高意思決定機関とはどのようなものか」であると確信しつつある。少なくともそれは現在の日本には無いものであるとも確信しつつある。
まあそれはそうと、現在の軍事システムにおいて最高意思決定者ないし機関が存在していないことが最大の問題であるという結論に至りそうだ。
そして軍事システムの最高意思決定者は政治システムの最高意思決定者ではない。その理由の一つは、それらを兼任することは個人の能力を大幅に越えていると考えられるからだ。そして国家元首と呼ばれる者たちが事実上何もして来なかったのは、その地位が個人の能力を大幅に越えていたからだと考える。
政治経済軍事のすべてを個人が統括することなど不可能である。そして現在に至って、国家元首と呼ばれた機能はそれぞれのシステムに分割されるべきだと考える。さらに現在のところ、軍事システムの最高意思決定機関は事実上存在しないと考える。但し、国家元首としての権威というものがあるとすれば、それは大いに有用であると確信する。
これは同時に、現在の米国のような、政治システムの下位に軍事システムを置こうとする考え方と真っ向から対立するものである。そして軍最高司令官としての政治家という考え方は「ぼろ切れのような」すり切れた考えだと断定せざるを得ない。政治システムに国家元首としての機能を代替させようという考えは一笑に付す他ないし、その具体的な失敗例は「米国でも参照にせよ」と言う他ない。反論があるならば、まず第一にこちらから聞きたいのは「大統領は軍事機能か」ということである。
では具体的にどのような軍事システムを構築すべきかという問題に至り、吾々は軍事学の未熟を悟るのだ。現在は一種の過渡期だと思う。政治屋が突出するという「畸形的状況」が見られたとしても、それが吾々の目指すべき場所だということにはならない。吾々はもっと軍事について、何より軍事システムという考え方について、考えなければならない。
ついでに言っておくと、何度言っても足りないくらいだが、クラウゼヴィッツの有名な言とされる「戦争は政治の延長云々」という文言は決して「政治システムの下位に軍事システムが置かれるべきだ」という考え方ではない。あれはせいぜい戦争にも具体的目的が必要だという程度のことであり、現在のような社会科学の考え方を前提とはしていない。
クラウゼヴィッツの戦争論は当然ながら当時の考えや戦争を反映したものであり(何よりナポレオンが居た時代!)、現在の感覚でうっかり読むと間違えるというのは有名な話だが、これもまた「顕著に当時の時代背景への理解が必要」な事例の一つだと言えよう。
ともかく、私が生涯を賭けて考えるべきは「軍事システムにおける最高意思決定機関とはどのようなものか」であると確信しつつある。少なくともそれは現在の日本には無いものであるとも確信しつつある。