黄昏に 人民戦争 父と子と
小倉の教会に何気なく寄った時の話だ。
ウチの宗教法人の御神殿は素っ気ない感じで、特に抹香臭くもない場所だ。そして当然のようにお供え物が置かれていた。ところが、何気ない光景の中に違和感があった。見ると『オシャレ魔女 ラブ and ベリー』なるものが置かれていた。私は強い衝撃に打ちのめされた。
如何にも宗教法人という感じでお香などを焚き(インドっぽくするため)、如何にもという感じで梵字っぽいものを装飾してみたり(インドっぽくするため)、何となく教祖の写真を飾ったり(インドっぽくするため)してみせて雰囲気を出すのはどうってこともない。そういう雰囲気を借りて宗教法人っぽくお説教してみたりするなんてのは暇人にでも出来ることだ。
しかし『オシャレ魔女 ラブ and ベリー』を平然と背負いながら宗教出来るのは、相当の宗教力という感じがする。『オシャレ魔女 ラブ and ベリー』に向かいながら平然と無念無想に達したり、『オシャレ魔女 ラブ and ベリー』の視線を浴びながら超越者の話をしたりするのだ。
そんなことが自分に出来るだろうか。そう思いながら御神殿で呆然と立ち尽くした。その時、ふと、一遍上人が頭をよぎった。
「吹く風、立つ『オシャレ魔女 ラブ and ベリー』の音まで念仏ならざるは無し」
こんな古法具を持って来たのは間違いだったと『オシャレ魔女 ラブ and ベリー』を焼き捨てる一遍上人。その後を継ぐ者は未だに居ない。
ところで今日は大学別御書講義であった。立正安国論だった。内容が知りたければ自分で聞きに行って。来てみたければ招待は出来る。
最近特に思うのが、日蓮上人はやっぱり宗教家に分類しない方がいいなということだ。
「宗教」が母体になったものは沢山ある。医術などが代表例だろうが、おそらくは政治もそうだ。未分化だったとでも表現した方が正確かもしれない。
おそらくだが、法然上人は現代でもやっぱり宗教家だし学者と言っても良いと思う。法然上人の話などを聞くに、この「宗教」に分類されているものには、確かに現在の学問の根底部分があると思える。浄土宗についてはいまさら説明する必要もないだろう。
一方で日蓮上人は、政治家ではないがどうも政治臭い。日蓮上人の半生は政治活動とそれに対する弾圧の歴史だったと言えそうだ。立正安国論もどうやら「宗教」というよりは「国教を変えろと迫るロビー活動」みたいな風情があるし、結局言ってる事は「こうすれば国が栄えるぞ、しなければ亡びるぞ」ということだし。
とにかく日蓮上人は法然上人が大嫌いらしく、もの凄く批判している。でもこれを「政治屋」が「学者」を罵っている様として見れば、何とも良くある風景ではなかろうか。政治屋と言うよりはロビイストと言った方がそれっぽい気もするが。
ちなみに立正安国論が折伏の理想型らしい。
読めば分かるが、主人と来客が問答する形式で、客は最初は穏やかだが段々怒り出し、とうとう主人を貶し出すのだが最後に目が覚めるというストーリーだ。主人は日蓮のことだが、では来客はというと北条時頼らしい。
それから御書を通読した訳ではないので確かではないが、日蓮はある意味で現在の学会みたいなもんじゃないかという、一見語義矛盾しているような感じだが、そういう気がして来た。説明はうまく出来ない。
でも本当に日蓮の系譜を継いでるのは学会なんじゃないかと思い始めた。日蓮の亡霊とでも言うか。ん、なんかおかしいこと言ってるか。
新(興)宗教で良くあるのが「ごちゃまぜ宗教」だ。「ルターは第六菩薩界の人」「マリア大帝」まで行くとさすがに訳が分からないが、そこまで行かずとも多くの新宗教は従来の宗教のエッセンスみたいな部分を色々と流用している。それ自体はむしろ真っ当なことであり、全然問題ではない。
日蓮上人もそんな感じらしく、御書を読んでいると「平安・鎌倉時代宗教常識チェック」をされているのではないかと思うくらい色々な話が混ざって出て来る。日蓮上人が言いたかったんだろうなあというのは、今までで分かる所「ただ南無妙法蓮華経と唱えさせ給え」くらいだろうか。後は本当に色んな話を持って来たなあという感想が出るくらいか。南無妙法蓮華経の開発者というだけでも立派なもんではあるが(違ってたらごめん)、何より凄いのは、明らかに「南無阿弥陀仏」の二匹目の泥鰌なのに方向性がまるっきり違うということだ。違うからこそ残ったとも言えそうだが。
南無妙法蓮華経と唱えるだけで正覚が得られるというのが日蓮オリジナルだと聞いているのだが、今の所は御書から読み取ることは出来ていない。題目を唱えれば正覚を得られる、法だけど内容は知らなくていい。何だかクラクラする話だが、分かり易いと言えばその通り。
ちなみに大別講が終わった後、総県の会合に行った。相変わらずの熱い会合だった。帰り道に他の学会員と、教学しかやらないグループになったら面白いよねとか言い合ってみてた。まあ俺がそれなんだが。
あのテニサー的ノリにいつまで経っても馴染めない人は結構居る。別に嫌だとまでは思っていないようだが。
そして何より、学会のかなり上役の人でも池田先生に対する態度はまちまちだったりする……というのは公然の秘密。別に嫌いだとは思ってないようだが。
ウチの宗教法人の御神殿は素っ気ない感じで、特に抹香臭くもない場所だ。そして当然のようにお供え物が置かれていた。ところが、何気ない光景の中に違和感があった。見ると『オシャレ魔女 ラブ and ベリー』なるものが置かれていた。私は強い衝撃に打ちのめされた。
如何にも宗教法人という感じでお香などを焚き(インドっぽくするため)、如何にもという感じで梵字っぽいものを装飾してみたり(インドっぽくするため)、何となく教祖の写真を飾ったり(インドっぽくするため)してみせて雰囲気を出すのはどうってこともない。そういう雰囲気を借りて宗教法人っぽくお説教してみたりするなんてのは暇人にでも出来ることだ。
しかし『オシャレ魔女 ラブ and ベリー』を平然と背負いながら宗教出来るのは、相当の宗教力という感じがする。『オシャレ魔女 ラブ and ベリー』に向かいながら平然と無念無想に達したり、『オシャレ魔女 ラブ and ベリー』の視線を浴びながら超越者の話をしたりするのだ。
そんなことが自分に出来るだろうか。そう思いながら御神殿で呆然と立ち尽くした。その時、ふと、一遍上人が頭をよぎった。
「吹く風、立つ『オシャレ魔女 ラブ and ベリー』の音まで念仏ならざるは無し」
こんな古法具を持って来たのは間違いだったと『オシャレ魔女 ラブ and ベリー』を焼き捨てる一遍上人。その後を継ぐ者は未だに居ない。
ところで今日は大学別御書講義であった。立正安国論だった。内容が知りたければ自分で聞きに行って。来てみたければ招待は出来る。
最近特に思うのが、日蓮上人はやっぱり宗教家に分類しない方がいいなということだ。
「宗教」が母体になったものは沢山ある。医術などが代表例だろうが、おそらくは政治もそうだ。未分化だったとでも表現した方が正確かもしれない。
おそらくだが、法然上人は現代でもやっぱり宗教家だし学者と言っても良いと思う。法然上人の話などを聞くに、この「宗教」に分類されているものには、確かに現在の学問の根底部分があると思える。浄土宗についてはいまさら説明する必要もないだろう。
一方で日蓮上人は、政治家ではないがどうも政治臭い。日蓮上人の半生は政治活動とそれに対する弾圧の歴史だったと言えそうだ。立正安国論もどうやら「宗教」というよりは「国教を変えろと迫るロビー活動」みたいな風情があるし、結局言ってる事は「こうすれば国が栄えるぞ、しなければ亡びるぞ」ということだし。
とにかく日蓮上人は法然上人が大嫌いらしく、もの凄く批判している。でもこれを「政治屋」が「学者」を罵っている様として見れば、何とも良くある風景ではなかろうか。政治屋と言うよりはロビイストと言った方がそれっぽい気もするが。
ちなみに立正安国論が折伏の理想型らしい。
読めば分かるが、主人と来客が問答する形式で、客は最初は穏やかだが段々怒り出し、とうとう主人を貶し出すのだが最後に目が覚めるというストーリーだ。主人は日蓮のことだが、では来客はというと北条時頼らしい。
それから御書を通読した訳ではないので確かではないが、日蓮はある意味で現在の学会みたいなもんじゃないかという、一見語義矛盾しているような感じだが、そういう気がして来た。説明はうまく出来ない。
でも本当に日蓮の系譜を継いでるのは学会なんじゃないかと思い始めた。日蓮の亡霊とでも言うか。ん、なんかおかしいこと言ってるか。
新(興)宗教で良くあるのが「ごちゃまぜ宗教」だ。「ルターは第六菩薩界の人」「マリア大帝」まで行くとさすがに訳が分からないが、そこまで行かずとも多くの新宗教は従来の宗教のエッセンスみたいな部分を色々と流用している。それ自体はむしろ真っ当なことであり、全然問題ではない。
日蓮上人もそんな感じらしく、御書を読んでいると「平安・鎌倉時代宗教常識チェック」をされているのではないかと思うくらい色々な話が混ざって出て来る。日蓮上人が言いたかったんだろうなあというのは、今までで分かる所「ただ南無妙法蓮華経と唱えさせ給え」くらいだろうか。後は本当に色んな話を持って来たなあという感想が出るくらいか。南無妙法蓮華経の開発者というだけでも立派なもんではあるが(違ってたらごめん)、何より凄いのは、明らかに「南無阿弥陀仏」の二匹目の泥鰌なのに方向性がまるっきり違うということだ。違うからこそ残ったとも言えそうだが。
南無妙法蓮華経と唱えるだけで正覚が得られるというのが日蓮オリジナルだと聞いているのだが、今の所は御書から読み取ることは出来ていない。題目を唱えれば正覚を得られる、法だけど内容は知らなくていい。何だかクラクラする話だが、分かり易いと言えばその通り。
ちなみに大別講が終わった後、総県の会合に行った。相変わらずの熱い会合だった。帰り道に他の学会員と、教学しかやらないグループになったら面白いよねとか言い合ってみてた。まあ俺がそれなんだが。
あのテニサー的ノリにいつまで経っても馴染めない人は結構居る。別に嫌だとまでは思っていないようだが。
そして何より、学会のかなり上役の人でも池田先生に対する態度はまちまちだったりする……というのは公然の秘密。別に嫌いだとは思ってないようだが。