怒り心頭滅却
ふざけんなよ、期待させやがって。
厳島って言うから、てっきり松島と橋立も出て来るのかと思ったじゃねえか。危うく名作認定するところだったじゃねえか。これだから糞アニメは……いや、エロゲか。
妄想:
果たされなかった約束(4番艦建造)を軸に厳島を主人公としたストーリーが展開される。厳島は4番艦が建造された過去とされなかった過去の間を揺れながら選択を迫られる。もし4番艦を建造すれば防護巡秋津洲は消える、選択を迫られる厳島。
日露正規ルート(4番艦非建造時)と32サンチ決戦ルート(4番艦建造時)は双方とも真実の物語であり、どちらか一方が失われた物語となる。これは日露決戦を巡る物語ではなく、32サンチを巡る物語なのだ。どちらを選んでも歴史は粛々と進行するのみである。
4門の32サンチを中心に、外債の公募に出ると言ったきり行方知れずの東郷大将、自分が死んだことに気付いていないマカロフ中将などが織りなす珠玉の物語。他にも、茶店の娘の手を焼いて食べ幽閉される伊藤博文、帝政ロシアに買収される明石大佐、数万頭の駄馬、征露丸など魅力的な脇役たちも充実。
厳島って言うから、てっきり松島と橋立も出て来るのかと思ったじゃねえか。危うく名作認定するところだったじゃねえか。これだから糞アニメは……いや、エロゲか。
妄想:
果たされなかった約束(4番艦建造)を軸に厳島を主人公としたストーリーが展開される。厳島は4番艦が建造された過去とされなかった過去の間を揺れながら選択を迫られる。もし4番艦を建造すれば防護巡秋津洲は消える、選択を迫られる厳島。
日露正規ルート(4番艦非建造時)と32サンチ決戦ルート(4番艦建造時)は双方とも真実の物語であり、どちらか一方が失われた物語となる。これは日露決戦を巡る物語ではなく、32サンチを巡る物語なのだ。どちらを選んでも歴史は粛々と進行するのみである。
4門の32サンチを中心に、外債の公募に出ると言ったきり行方知れずの東郷大将、自分が死んだことに気付いていないマカロフ中将などが織りなす珠玉の物語。他にも、茶店の娘の手を焼いて食べ幽閉される伊藤博文、帝政ロシアに買収される明石大佐、数万頭の駄馬、征露丸など魅力的な脇役たちも充実。
はっ、これが恋
「磁力と重力の発見」を読み終えて、ふいに心に込み上げて来るものがあった。
また駿台に行って山本義隆先生が見たいなあ。動いてる山本先生が。まともに授業なんか受けなかったなかで唯一山本先生見たさに物理の授業には行ったなあ。
もう65歳か、まだ居るのかな。先生に駆け寄って「今や宗教も神学固有の興味を離れ数学となりました」とか喚いたら真に狂人だ。やってみたい。
大学を離れても学問は出来るってね。それは嘘ではないという程度にしか本当じゃなかった。ああ、日本の物理学界を背負って立つ人だったのに。たかが全共闘議長やったくらいで大学に残れないなんて、糞下らない話だ。
在野の人となったとは言え、かの山本先生をして学問的成果が挙がらなかったことを思えば、吾々に怯えることなんて何もないんだなと思わされる。まさに勝敗在天だなあ。
ふと気付いたが、僕は全共闘時代全般に対してまったく敬意を持っていない。宗教なき時代、学問なき時代、だね。もし僕がやっていることが侮蔑を目的とした発掘作業だとしたら、まったく稚拙な話だ。
他ならぬ父がまさにその世代の人間だということによって一層混乱させられる。いやむしろ、だからこそ、父が通らざるを得なかった、そして父の恩師たちが黙認せざるを得なかったあの時代を嫌っているんだろう。
確かに山本先生らの登場によって、学生運動は単なる堕落した学費値下運動レベルのものに終わらず、大学の学問の自由という点において一定の反省を促したものと思う。
しかしそれとて、この軍事というものに対する不毛を微塵も吹き払ってはくれなかったし、むしろあの時代にいわゆる平和研究の類いはその本性を現し「単なる善良さ」の中に沈んで行った。
だとすれば、僕はあの頃の尻拭いを未だにさせられているということにもなろうし、取り残された課題を拾うことが出来た幸運に恵まれたとも言えるだろうね。時代も移ろい、押さえつけられていた部分がまた顔を出し始めた頃合いなんだと思う。しかし逆に、押さえつけられた分だけ「単なる跳ねっ返り」が吹き上がる量も多い。
でも戦史研を単なる跳ねっ返りの吹き溜まりにすまいという努力もとうの昔にやめたし、元々戦史研には素地があったようで、僕が何もしなくとも気違い以外は来ない真っ当なサークルであり続けているんだから杞憂だったわけだ。しかし、あの臨済でさえ「未だ法を求めて来たものはおらん」と言ってるんだから、ましてや戦史研で何を待とうとしていたのか今となっては思い出せない。
つまり今日のお話を総括すると、僕の山本義隆に対する敬意は崇拝の域に達しているが、個人崇拝程度のことはせいぜい恋であって、決して宗教では有り得ないということだったんだよ。みんな分かったかな。
それから事実の認識はまさに自らを映す鏡なんだよ。その嘲笑の先にあるものは、戦争でも平和でも何でもなく、自分かもしれないね。
誰のことを言ってるのかって? その質問をしたこと自体が答えだよ。
また駿台に行って山本義隆先生が見たいなあ。動いてる山本先生が。まともに授業なんか受けなかったなかで唯一山本先生見たさに物理の授業には行ったなあ。
もう65歳か、まだ居るのかな。先生に駆け寄って「今や宗教も神学固有の興味を離れ数学となりました」とか喚いたら真に狂人だ。やってみたい。
大学を離れても学問は出来るってね。それは嘘ではないという程度にしか本当じゃなかった。ああ、日本の物理学界を背負って立つ人だったのに。たかが全共闘議長やったくらいで大学に残れないなんて、糞下らない話だ。
在野の人となったとは言え、かの山本先生をして学問的成果が挙がらなかったことを思えば、吾々に怯えることなんて何もないんだなと思わされる。まさに勝敗在天だなあ。
ふと気付いたが、僕は全共闘時代全般に対してまったく敬意を持っていない。宗教なき時代、学問なき時代、だね。もし僕がやっていることが侮蔑を目的とした発掘作業だとしたら、まったく稚拙な話だ。
他ならぬ父がまさにその世代の人間だということによって一層混乱させられる。いやむしろ、だからこそ、父が通らざるを得なかった、そして父の恩師たちが黙認せざるを得なかったあの時代を嫌っているんだろう。
確かに山本先生らの登場によって、学生運動は単なる堕落した学費値下運動レベルのものに終わらず、大学の学問の自由という点において一定の反省を促したものと思う。
しかしそれとて、この軍事というものに対する不毛を微塵も吹き払ってはくれなかったし、むしろあの時代にいわゆる平和研究の類いはその本性を現し「単なる善良さ」の中に沈んで行った。
だとすれば、僕はあの頃の尻拭いを未だにさせられているということにもなろうし、取り残された課題を拾うことが出来た幸運に恵まれたとも言えるだろうね。時代も移ろい、押さえつけられていた部分がまた顔を出し始めた頃合いなんだと思う。しかし逆に、押さえつけられた分だけ「単なる跳ねっ返り」が吹き上がる量も多い。
でも戦史研を単なる跳ねっ返りの吹き溜まりにすまいという努力もとうの昔にやめたし、元々戦史研には素地があったようで、僕が何もしなくとも気違い以外は来ない真っ当なサークルであり続けているんだから杞憂だったわけだ。しかし、あの臨済でさえ「未だ法を求めて来たものはおらん」と言ってるんだから、ましてや戦史研で何を待とうとしていたのか今となっては思い出せない。
つまり今日のお話を総括すると、僕の山本義隆に対する敬意は崇拝の域に達しているが、個人崇拝程度のことはせいぜい恋であって、決して宗教では有り得ないということだったんだよ。みんな分かったかな。
それから事実の認識はまさに自らを映す鏡なんだよ。その嘲笑の先にあるものは、戦争でも平和でも何でもなく、自分かもしれないね。
誰のことを言ってるのかって? その質問をしたこと自体が答えだよ。
NEET一万年の歴史
他社への流出が好調だったため(笑い)
リデル・♥(一発変換、pgρのせい)は本当に戦車マニアだな(苦笑)。ノーベルがダイナマイトの発明が抑止力になるとか言ってたのと同レベルだな、ホント。
リデル・♥(一発変換、pgρのせい)は本当に戦車マニアだな(苦笑)。ノーベルがダイナマイトの発明が抑止力になるとか言ってたのと同レベルだな、ホント。