うちの祖父が12月30日に亡くなりました。
うちは母子家庭だったので僕はじーちゃんばーちゃんに、ばーちゃんはリウマチであまり動けなかったので特にじーちゃんが面倒をよく見ていてくれてました。
僕は生粋のおじいちゃんっ子です。
そんなじーちゃんが亡くなって、普段泣かない俺でも泣くかなぁなんて思ってたけど、ある程度覚悟もしていたし、語弊のある言い方かもしれないですが、気持ちよく、僕らしく送れたかなっと思っています。
ここ1~2ヶ月は食べたい思いがあっても喉に詰まらすといけないし、肺が悪いので食べると酸素の量が落ちるので、満足に食べたいものも食べさせてやれず、絶食の時もあったりで思い残す事もあったとは思うけど、楽に苦しまず逝ってくれたようで、それだけが救いかなと。
じーさんやっと楽になれて良かったなぁと。
ほっとしています。
だがしかし!
じーちゃんまだ俺の心配してるやろなぁー。
絵で、まだまだ飯が食えるほどでもないし。
かといって、まともに働いてないしで、「もっとしっかりせー」っと心配してるやろな。
うん。
じっちゃんの名にかけて!頑張るぜ!!!
、、、自分のペースで。
今さらジタバタしても仕方ないので、じーさんも「ゆっくりやれよ」ってなもんで、応援してくれてるでしょう。
ははは。
っということで、失礼ながら新年の挨拶は控えさせていただきます。
今年もよろしくお願いします!!!っとだけ、、、いや、ほんと、マジでいつでもよろしくお願いします。
ここからは、ちょいと個人的な話から、少し話を広げて、人が死ぬという事に、思うところを書いていきたいと思います。
うちのじーちゃん1人死んだくらいで世界に何の支障もない。
メリットもデメリットもない。
誰が死のうが、日常は勝手に流れるし、みんな普段通りの生活をする。
亡き人の家族も、心に何かを抱えながらも日常に戻っていく。
世界は何も変わらない。
世間様は普段通り生活している。
僕にとって祖父が亡くなったのは凄く大きな出来事なのだけど、だからって、僕の何かが変わろうとも、葬式も終りゃー自分自身も日常の生活に戻る。
世間は相変わらず何事もなく日常が流れていく。
命とはなんでしょうか?
個人にとって大切なものでも、地球規模で見たら、いつもどこかで、人間だけに限らず生き物が死んでいて、土に還って、また新しい命が生まれる。
そんなのの繰り返し。
そこに喜怒哀楽も上も下も何も無い。
例えば、有名人が死んでテレビ見て「あの人死んじゃったんだ。悲しいね」って涙1つ垂れても、チャンネル変えちゃえば、仮にお笑い番組に変えちゃえばさっきのことは忘れて、お笑い見て笑ってる。
それこそ、冷たい言い方をすると自分とは関係のない人の命なんてそんなもん。
命の尊さとか、重さなんて人間は言うけど、動物も仲間の命を守ろうとするので、人間だけじゃないのだろうけど、結局のところ、個々人の解釈の違いで命は重くも軽くもなる。
それくらい曖昧なもの。
うん、言いたいことがまとまらないし、なんだか、僕が人間軽視してるような言葉にもなっていっているので、この辺でやめときます。
また、改めて落ち着いた時に「命」についてちゃんと書きたいと思います。
