現代アート作家・ヤマオタケシ(TakeshiYamao)ブログ -49ページ目

現代アート作家・ヤマオタケシ(TakeshiYamao)ブログ

「Stand UP!Monster!!人生を変えちゃうアートを!!!愛のバクダン!!!!もっとたくさん!!!!!落っことすゼ!!!!!!」

「LIFE〜最弱ヒーロー〜」
2017.05.10
Acrylic on canvas
F10(530 × 455mm)

生きるとはなんでしょうか?

周りを見渡せば苦しんでる人達ばかり

生きる事に苦しみ

生きてく方向を見失い

途方に暮れて立ち止まる

目の前を通る車や電車に飛び込む妄想をする

アクセルベタ踏みでガードレールに突っ込む妄想をする

そんなの悲しいよ

少ししか力になれないけど

迷惑かもしれないけど、、、

僕が君の元へ行くよ

君のいっぱいいっぱいになった苦しみに少し隙間ができるよう少しだけだけど、、、吸い取りに行くよ!

「LIFE〜思い煩う〜」
2017.05.10
Acrylic on canvas
F10(530 × 455mm)

生きるとはなんでしょうか?

生きる事に悩み

生きる目的を無くし

生きる意味を見失い

時々死にたくもなり

それでも生きていく

この時間もきっと笑って思い出せる未来が来るはず

来るはず、、、

「LIFE〜moratorium〜」
2017.05.01
Acrylic on canvas
SM(227×158mm)

生きるとはなんでしょうか?

ぬるま湯に浸り

煙草を薫せ

ただただなんでもない時間を貪る

何物にも変えられない時間を貪る

それも大切な時間

生きるのに必要な時間

きっと必要な時間

「明日死んでもいいように生きなさい」について。


こんなポジティブな言葉があるけれども、僕はポジティブでもネガティブでもない、あるがままの言葉として「明日死んでもいいように生きる」と思っている。


っというのも、ポジティブな言葉だと捉えた時、極論を言うと「明日死ぬかもしれないんだから自分の好きな事を頑張れ」っと言っている。

なんでも揃ってるこの時代に「明日死ぬかも」なんて現実的じゃないし、昭和時代の若者のように出世や、一発逆転のアメリカンドリームのような夢を持ってる奴なんてなかなかいない。

だって暮らすに困ってないもん。


何だか分からない健康食品に、健康体を手に入れるための運動施設。

医療が発達し、平均寿命も伸びに伸び、自分が「いつ死ぬか?」なんて年が780になるか、難病、重病でも患わなきゃ思いもしない考え。

自分が何かに、誰かに生かされてるとも気づかずに、退屈を踏み潰して、感謝を踏み潰して、厚顔無恥を晒して道のど真ん中を歩く。

欲しいか欲しくないかも知らずに流行に乗り、社会の常識の波に乗り、支払いに追われていつの間にか寿命が来て死んでいく。

死ぬ間際に大事なモノに気付いてあたふたしてもdead end


そこで「いつ死んでもいいように生きなさい」っという言葉を僕は目の前の誰かに投げかけたい。

ポジティブな言葉でもネガティヴな言葉でもなく、ただ「あるがまま」に生きようよ。っと。


本当にそれ必要ですか?


その両手いっぱいに持ってる物もモノも、あちこちにいる知り合いや友人も、あなたは本当にそれが必要なの?


ミニマリストを気取るつもりはないけど、本当に必要な物は割と少ない。


今を生き、必死に物や人を追い、それを手にした途端また次のものを追いかける。

どれだけ何かを手に入れても、死んだら終わり。有名人も著名人も普通の人も死んだら焼かれて灰になるだけ。土に還るだけ。

天上には何も持っていけない。


自分自身、この考えを考えた時に、考えすぎて良いところで行きどまらず、掘りに掘ってまっ暗い地下まで行ってしまって「それって、もう何もかも要らなくねぇ?」っと一種の投げやりというか、全部が嫌になった。

でもね、、、それでも僕は明日死んでもいいように今を生きたい。っと想いたい。


僕は基本的に否定はしません。

っというか、個人的に誰かの人生の善悪を判断するのは傍観者気取ってあーだこーだ言いながら勝手にできるけど、それでも、どんな人生も有りだと思いたい。

だって僕自身が社会が決めたレールから外れてるもの。

流行を追いかける人生も、好きな物を追いかける人生も、のんびりゆっくり生きてく人生も、チンピラな人生も、本人がそれを「自覚」し、それでいいと思っているのならそれでいい。

いや、「自覚」してなくても、それがその人の人生なんだったらそれでいい。


ただ、何を言いたいのかと言うと、今を生きている事に苦しい思いや辛い思いをして生きているのなら、少し顔をあげて周りを見渡し、自分にとって何が必要で何が不必要なのか考えてみればいい。

要らない荷物は背中から下ろしちゃっていいし、辛けりゃ仕事だろうが学校だろうが休めばいいし辞めればいい。

不義理と言われようが、誰に何と言われようが、朝もう今すぐ目の前の電車に車に飛び込む想像しかできなくなったら、その背中に背負ってるもん全部放り投げてしまえ!


明日はいつだって来るよ。


それが幸せな日か不幸な日か、健康な日か、自分が死ぬ日なのかは誰にも明日になってみないと分からないけど。


辛いまま死にたいですか?


しんどいまま死にたいですか?


重たい荷物を背負ったまま死にたいですか?








ってな終わり方をするとヤバい宗教みたいですな(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)


どーせ宗教っぽくなるのなら可愛く皆が自分の幸福にたどり着けるようにくろこちゃん教にしよう。。。。危ない思考は止めとこ(˃̵ᴗ˂̵)


まぁ、僕は好き勝手、傍観者気取りで、誰かが読んでくれてるのか、読んでくれてないのかさへも知らずにブログに自分の思考を誰かに届けと落とし込んでる、三畳間の部屋でパソコンの前に座ってブログを書いてる神様気取りってとこかしら。


三畳間の神様というタイトルでくろこちゃん漫画を描きたいとちょいちょいアイデアは描きとめてるけど、まだ、作品にするほどには至ってないなぁ。


乙。

心理学の勉強したいなぁっと去年からずっと考えてて、通信教育?、放送大学?、っとか考えたのだけれど、とりあえず本を読もう!っと思って、お世話になっている尊敬できる友人(友人というて失礼ではないだろうか、、、)にオススメしてもらったので読んでみました。


ユング派というのでしょうか、夢を分析し患者と向き合う事を事例とともに書いておられるので、なので、寝て見る夢なんてただの記憶の整理だろ。って方には向かないのかも。




んー、一回読んだだけじゃ理解しきれないので、本について何か書くことはやめときます。

ただ、古い本だけど、古臭くなく、神話や童話に絡めて心の働き?を書いてらっしゃったり、内容そのものも「永遠の少年」や、「対人恐怖」など、これが書かれた時代と、今の時代と何も変わってねぇーなぁーっと興味深く読めました。


っと言いましても、僕自身ここ10年ほどあまり情報収集していないので、今の時代が、今の人達が、どう考え、どう生きているのか知らないので、、、なんとも言えませんが。




僕のお話になりますが、僕自身が「永遠の少年」のように時が止まって。っというよりも、自分の時を止める事により、それこそ厨二病の時期で自分の時を止める事により、自分を保てると言うか、大人になるのが怖い部分もあるんですよね。


僕の「大人」に対してのイメージが良くないのか、事なかれ主義、何気ない毎日に流されて生きる。これを悪い事だととは思っていなくて、普通に働いて、普通に家庭を持って、小さな事に一喜一憂しながら生きる。

これはものすごく素敵だなと思う反面、世間の「大人になれ」っという言葉に違和感しかなく、思春期のような感受性の強さを保っとかないと絵が描けなくなるのが怖いのと、どこか自分は「特別」だという、「俺はその辺の奴とは違うぜ!」っというこの世界の主人公を気取ってたい。のかもしれない。

あと、単純に世間に流されて生きてると、色んなことに流されて、色んなことに慣れてしまって、人のせいにしたり、小さな感謝も忘れがちだから、そこも慣れたくないし、流されたくないという想いがあります。


水の流れは、止まったら腐るから、流れるのは大事なんだけどね。


「永遠の少年」について本書からの引用---とにかく、いろいろ考えてみるが、いまだその時が来ない、いまだ本物が見つからない、と常に「いまだ」の状態のおかれたままでいる。

ところが、ある日突然、この少年が急激な上昇をこころみるときがある。偉大な芸術を発表しようとしたり、全世界を救済するために立ち上がる。

そのときのひらめきの鋭さと、勢いの強さは時に多くの人を感嘆せしめるが、残念ながら持続性を持たぬところがその特徴である。---

前後の話を省略しているので「ふーん、そっかそっか」程度に読んでもらえたらなと。


これ読んだ時に、まさしく「俺じゃん!」っと一気に本の内容に引き込まれました。




もっと、この本に書いてある事をフューチャーして、1つ1つ自分の考えを書いていきたいとこだけども、「永遠の少年」という言葉に一番の興味をそそられたので、そこだけ自分自身の事を書いておきました。




マザーグースや、浦島太郎のお話、神話にと、著者の「自由連想」というのも面白いなと。


どんなお話も、語り継がれてる話を深読みというか自由連想して読んでいくのも面白そうで、今後、少し本の読み方が変わりそうだなぁ、神話を深読みして読んでみようっという気持ちになってます。




西洋と東洋での「心」というモノの捉え方違い、自我への考え方の違いを海外で絵を売っていくには、西洋人の心にどう絵をアピールするか良い勉強になるかもと最後に思った。


読んでる時はそんな事は考えず、知的好奇心のおもむくままに読んでたわけだが。