もう5月だということが信じられません。
歳をとると月日の経つのが早いということを毎年実感し続けているけれど、それにしても今年は特に早く感じる気がします。
3月末から4月の頭、桜の時期に日本へ帰ってきました。
昨年15年ぶりの桜を眺めて感動して、また今年も満開の桜を見ることができてうれしかったです。
あいかわらず浮かない顔の日と笑顔の日が入り混じりながら時間が過ぎていっているけれど、今週の誕生日を境にうすい靄が少しずつめくれていくような感覚です。目が覚めるたびにレイヤーが一枚とれている。
1月に宿曜占星術のメール鑑定をうけました。
まだまだ重なるレイヤーの下で身動きが取れずに苦しかった頃です。インパーソンのセッションが好きなので、メールだけのやり取りに少し迷ったけれど、その方がどんな文章で鑑定書を作ってくださるのかがどうしても読んでみたくてお願いしました。
受けてみてよかったなと思っています。
私は古い人間なので、鑑定書はプリントアウトして大事もん手帳に挟み、時々おさらいしています。
冒頭の「鑑定書を読む前に」が何度読んでもじわっと沁みるので引用させていただきます。
”宿曜占星術とは弘法大師の密教招来によって日本へ伝わりました。そのため、占術には仏教思想を多く含みます。
仏教では「因果道理」を根本とした教えです。
因と縁が合わさり結果を生む。因縁生起、略して「縁起」と言います。
因とは直接的な原因で、私たちの意(心)で思うこと、発する言葉、行いです。
縁とは間接的な原因で、環境や場所、人などを表します。
因だけでは結果は出ませんし、縁だけでも結果は出ません。
例えば花の種をまいてもそれが机の上でしたら花が咲くことはありません。
花を咲かせるためには、肥沃な土壌、水、天気などの環境が整って初めて芽が出て花を咲かせるのです。
ごく当たり前のことですが、占いとは主にこの「縁起」を読み解くものだとご理解ください。
つまりどんな状況(縁・運勢)に恵まれていても、行動(因)を起こさなければ何も結果は生まれません。
また、天気(縁・運勢)がわるければ、傘を差せば(因)濡れるのをある程度防ぐことができます。
ですから、今ある問題や課題が同じであっても、その未来は占いで得たアドアイスに対して、「手を打つ・手を打たない」や「静観する・静観しない」など、今後へ向けての私の「選択」で決まることをご理解いただき鑑定書をお読みください。”
宿曜にこだわりすぎて苦しくなった時期があって少し距離をとっていたのですが、どうしても空海さんが私を呼ぶ。と、言えば自分は気楽だけれど、要は何かにすがりたかった。気持ちにかかる靄を誰かにふーっと吹き飛ばしてほしかったのだと思います。
届いた鑑定書の冒頭にこのメッセージがあったので、とても助かりました。すがりたい私を上手に突き放してくださったように感じて、冷静に鑑定を読むことができたからです。
すがりたい気持ちが、期待する言葉がないことを恨めしく思い問題を大きくするということはきっとあるだろうと推測します。
逆に期待する言葉があれば、自分に都合のいいところだけを見て現状維持、それ以外の部分は片目を瞑るか、問題の真意を見ないままで落ち着いてしまう。
どちらにしても、解決とは違う道をどんどん進んでいくのではないでしょうか。
その後の私はどうなったかと言えば、さして大きく意識が変わったということもなく、むしろ旅の準備や戻ってきてからの日常へのアジャストに苦労して悪化したかのように思える日もあったり。
それでも、鑑定書を読みなおして、そこに書かれている勇者のように自分の人生を生き抜いていこうとする自分自身の姿を想像して己を奮い立たせてみたり。
私の学んでいる数秘術では、誕生日の日をきっかりに人生のバイオリズムのようなものが変化するというけれど、それは毎年誕生日の前後に感じています。
友人がくれた花も当日の青空も元気をくれました。
変わるきっかけは、大きかったり小さかったり。
学んでいることと言えば、中医学とアーユルヴェダ。
仕事に生かすことのできる知識として習っているけれど、ちっとも自分の血肉になっている実感がないままであることも、私のモヤモヤレイヤーの一部です。
もう子育てもないので再学習にはぴったりだと思うけれど、仕事で疲れたことを理由になかなかすすまないことがもう一枚のレイヤーを心に上乗せします。
昨日、私がなりたいと思うセラピストに出逢うことができました。
すばらしいセッションを受けたことは何度もあるけれど、すばらしいセラピストのみなさんに尊敬の気持ちを持ってみても、返って自分に足りないものばかり見えて気持ちが小さくなってしまうことも多くありました。
けれど、昨日の彼は自分と似ていて、この人には少しだけ近づけるかもしれない、と勘違い。
彼の手技のベースは中医学。TCMのアンブレラの下にいろいろ勉強してきたメソッドがあって全部がない交ぜになっているのが僕のスタイルだよ、と言っていました。
推拿やカッピングはもちろんストレッチも、けれどどれも決して強くないというのがポイント。
強い刺激はその瞬間の開放感をもたらすけれど、数時間たてば新たな痛みが加わっているだけだ、という彼の言葉は、私の日常の仕事でも口を酸っぱくして教えられていることです。
強い圧がいいというお客さんに苦戦し続けたセラピスト人生でもあるので、それに対処しようと努力してきてしまった自分には、逆にちょうどいい弱さというものがつかみにくくて苦しむ日々で、それがモヤモヤレイヤーのもう一枚。
昨日セッションの後の私の体は全身が緩んでいて、あんなに努力しても改善が難しかった反腰と内巻きの肩と背骨の硬さも消えていました。
彼は太極拳も教えています。私も太極拳を習い始めて一年ちょっと。この春の日本への旅も太極拳の稽古でした。
太極拳では、緩んでいるやわらかい状態が一番強い状態と習います。私の硬い体で人を触っても、伝わるものはきっと弱い。それはいつも感じていたけれど、体のジョイントを緩ませることは難しい。
おとといの晩の太極拳の稽古で、先生と空手の組み手のような練習をしました。
太極拳なので全然激しくないんですけど、先生が緩んでいる時と体をわざとこわばらせてみた時では、まったく感じ取るものが違って驚きました。
先生が筋肉にムキムキと力を入れて私に触れると、目を瞑っていても先生が次にどちらに手を動かすのか足をずらすのかが先読みできる。
今度は先生がすべての関節をゆるませて私に触れると、途端に先生という存在が消えたように感じる。先生の次の動きが全く読めない。と考えているうちにあっという間にすっと私の力は抜きとられてゴロンと畳に転がされている。
感じる、読み取る、施術のプラン・ゴールをたてる、それはとても大事です。
けれど、こういうふうにもっていこうという強すぎる気持ちでは、相手の緊張を抜き取って畳の上にゴロンと横たえるように体や心に緊張をほどききった状態にすることはできないかもしれないです。
こちらの意念と相手の期待は必ずしも一致しないかもしれない。
太極拳の組稽古は初めてでしたけど、まるで社交ダンスみたいだねと友達と話しました。
社交ダンスはできないけれど、きっと力の加減がちょうどいいから美しんだなと想像します。
ただの個人的感想日記になっちゃったけど、どこかひろっていただける部分があるならこれ幸い。
私の喉にずっと詰まっていた毒リンゴをとってもらって、喉ってこんなに広いスペースあったんだっけ⁈と驚くほど呼吸がしやすくなりました。そんな毒リンゴをもらって口に運び、なんとか咀嚼して呑み込もうと抗っていた自分が長くいたとは露知らず。
チベット密教のマントラみたいな、たった一人でチャントしているのに、まるでそこに何人もの人達がいるような不思議な声を聞いているうちに眠ってしまい、あっという間にクロージングでした。
ない交ぜでかまわない。
今月2024年5月は、13の4の月。
あれこれと散らばってしまった材料をもう一度かき集めて組み立てなおす、散らばったものを整える。
なにかを足すよりも、むしろ引くくらいでちょうどいい。
同じ材料で全く違うカタチをつくるのも良くて、それはとってもアーティスティック。
来月6月は、衝動の5の月。
アートも衝動だと私は感じていて、心の中に渦巻く衝動を表に出す・表現する、つまりそれは自分のカタチ・作品を想像するということだろうと思います。
今月来月は、衝動をとめない、自分を表現することを恥ずかしく思わない、きっとそれがなんか形になっていくけんっ!!!
衝動は説明できない動機です。
人に勧められたから、流行ってるから、でとりあえずやるよりも、説明できんけどなんかコレをしたくてしょうがないっちゃんねえ!、でよい。
その時に大事なことはたった二つ!(一個じゃない!)
自分の大切な人を悲しませない。
自分にも周りにも誠実に。
子供のように、という言葉をはき違えんごと。
欲のままならただの動物ばい。
ほらね、やっぱり、
理性と本能の狭間が一番しんどいもん。
衝動のハンドルをしっかり握って、自分をドライブしましょう。
交通ルール(4)を守って、
ちょっとだけアクセル踏み込んで(5)、
季節はどんどん夏に向っていきますばい。
よか季節になりました、自然を愛でる余裕を心に携えて前を向いて歩く。
今回は滋賀・比叡山。
いつか、高野山、熊野古道あたりを尋ねてみたいけど、やっぱりそこも空海さんかあ笑
連休。
どんどん活動が増えていく季節なので、ちょっと一息落ち着く時間を作ってみるもいいもんだと思います。
彼女の中から適当に一曲選んでみましたが、他のものもぜひ。
余談:先日SNSで拾って感心した言葉。
飲み屋で失恋話をしていた人に酔っぱらったおじさんがかけた一言。
「バックミラーばかりみていると事故しますばい。」
私たちわりと、バックミラー確認ばっかりしがち。
サイドミラーで他人や自分の位置確認も必要以上にしがち。
基本の目線はやっぱり前。
おじさん、うまいこと言うなあ。
Kiki