今日は日本では、2022年11月18日。
数秘8の日です。
「抜けば抜くほど、入ってくるよ」の8。
先日、はじめてのQiGong、太極拳のクラスに参加しました。
「体の力を抜けば抜くほど、自然のフォース・力が入ってくるから。
抜けば抜いただけ、
出せば出しただけ、
入ってくる。
だから、まずは体の力を抜き切る稽古。」
とても難しかったです。
ヨガでも、最後のシャバーサナほど難しいアサナはありません。
屍のポーズだから、力は抜けきっている状態。
赤ちゃんも、体内では羊水に浮いて、おそらく力はほぼ抜けきっているのだろうと想像します。
生と死の直前と直後の様にあること。
「力が抜けている時が1番体は強く、外からの力にも耐えられる。」
奥が深いなーと、目の前の道が途方もなく長いものだと感じました。
中医学にも通ずるお話もあって、興味深かったです。
お金も愛も、ステイタスさえも、
抜けば抜くほど、
出せば出すほど、
入ってきて、
強い自分になれるということなんだろうか。
勝ち取る努力はいらないかもしれない、と私は先日書いたけれど、
それは、ここに帰着する様な気がして、今日はこれを書いています。
なんの脈絡もなく書いてみているブログやnote。
自分だけにはわかるけれど、全部小さな線でつながっていっています。
日々はつながっているんだなーと、小さな驚きの発見にドキドキすることがあります。
PCのマウスを握る手、
包丁を握る手、
お弁当を手渡す手、
行ってらっしゃいとふる手、
お金を渡す手、受け取る手、
お化粧をする手、
握る手、
歩く足、
階段を登る足、
かしげる首、
座る様子、
力を抜いてみると、ぐっと視線や感覚が変わります。
私は今、ちょっとステキだなーと想う方がいて、その方の書くたったの一文のメッセージや、私の返信にピョンと押されて帰ってきたemojiやステッカーを眺めてニヤニヤする自分を楽しんでいます。
若い頃とは違う感覚は、なにも老眼や体力や物覚えと言ったことにガッカリすることばかりではなくて、
人を想ったりする想い方でさえも違うんだなというおもしろさを教えてくれます。
想い、というものも、ある意味で、「力」だと私は考えています。
想いをのせすぎず、
想いを抜けば抜くほど、想いは伝わりやすく、また、還ってくるものなのかもしれないです。
子育てしている若いママ達をみて、
自分の片思いとも呼べないような気持ちの観察から、そんなことを思っていました。
大切にしたいからこそ力が入るのだけれど、
大切だからこそ、まずは力を抜いてみよう。
自分の観察が、誰かの助けになるならば、
それは喜びだなと思います。
今日も最高な1日になりますばい!
間違いなか。
Kiki
昨日、友人とコーヒーを飲みました。
クジャクがやってきたり、
無料本棚では、ダンミルマンさんの本をいただいてきました。
彼は数秘術のクラスで習った人物で、私が好きなところは、一桁の数字まで足しこまずに、そのままの数字達を観察する方法です。
例えば、
今日は合計17で、「8」の日です。
私なら、
力を抜いて、ただ静かに自分でいることが最強
そんなふうに、「17の8」を解釈してみたいです。