昨日、2021年6月1日の日記。
昨日は数秘術で3の日。
夕べは、ころころと定まらない自分の心をころころ転がるままにしてみる実験。
うつろう自分の心をゆるしてみる。
1や4や7が強めの私にとっては、揺らぐ2や3は少々しんどく感じることもあったりします。
昨秋から挑戦していた採血技師のライセンスの取得。
コロナで長引いていたLab実習も終わりました。
実習中もおもしろい発見があったのですが、それも上手に書けないまま日が過ぎました。
私が学んできた、マッサージと数秘術とレイキ。
これから挑戦してみようとしている世界は、これらとは少し違う、現実的でシビアなところ。
感覚的なものではなく、うまく血を引けたかどうか、チューブの管理を間違っていないかという、目に見える事実だけが評価されるところ。
のんびりした自分だし、苦手な英語でしかも医療の場。晴れやかな気持ちで待っている患者さんはいない。
きっと自分は嫌になって諦めるだろうと思っていたのですが、知らない自分を発見することになりました。
採血技術というのがすごく職人技だということが、私のへんな職人魂を刺激しました。
私の中の7が騒いだんだと思います。
お年寄りのやわらかく薄い肌や壊れやすい静脈からも、筋肉隆々の腕からも、度重なる採血や点滴で硬くなってしまった腕からも、あきらめずに絶対引きますから安心してください、と言って、彼らはどんどん採血していく。
かっこいいな、と思いました。
見えない数値を知る必要があるから、それを手伝う仕事がある。
西洋医学云々を言い出すとキリがないから、私はそういうふうに自分の考えをシンプルにしてみました。
思考が過ぎるときは、一回崩してシンプルに組み直してみる。
指導教官の二人は、手取り足取りの女性と、技術は見て覚えなさいの女性の二人。
6的彼女には遠慮なく質問する。
待ってましたとばかりにたくさん教えてくれます。
7的彼女にも遠慮なく質問する。
ニヤッと笑って目の前でただやって見せてくれる。
おもしろい程に真逆で、6っぽいなー、7っぽいなー、そんなことを想像すると緊張も少し減るから不思議でした。
同じことでも伝え方が違う。
気質の違いとはこういうことかと実感します。
どちらが合うか合わないか。
それもまた気質によるところ。
空き時間にマネキンに針を刺しながら、イチローさんや大谷君たちも高校生の頃は黙々と素振りをやっていたのだろうかと想像していました。
素振り100本は、打席に立った時の自信になるのだろうか。
針を差す練習をしながら、次は絶対うまくひいてみせる、という闘志と理由のない自信を一生懸命に育てました。
体に、うまくいった時の感覚を残していくような作業。
自分だけにわかる、自分にしっくりくる心や体の動き。
こういうことは、日常にも普通にあることだなと思います。
子供の扱いに慣れていく母親、料理を覚えていく子供、アルバイトや就職で社会生活を知っていく若者、老いていろいろなことができなくなっていく自分に慣れていく大人。
それぞれが自分だけにしかわからない感覚を、あっちこっちに転がりながら探っていく。
しっくり定まるところを探す。
いくら教えられても習っても、結局は自分にフィットする感覚は自分で探るしかない。
こういうのが、3的感覚なのかなと、そんなことを考えたりしています。
病気こそが薬、という変なポリシーでめったに薬も飲まない父が、孫たちが西洋医療の道を歩み始め、私もその端くれに食い扶持を求めようとした時、ちょっと喜びました。
田舎の井戸掘りのひーじー様が知ったら驚くだろうと(笑)
学問よりも手に職の家です。
ただ、私には戸惑いがあると感じたのか、父がひょいっと写真だけを送ってきてくれました。
“お前が西洋医学の現場でやってみたいのはこういうことだろ?”
大事なことは言わない主義でめんどうくさいけど、たぶんそういうこと。
そしてたぶん、“心のない仕事をするなよ。”
おかげで腹がすわりました。
SNSをやらない父は少し前に新聞を読んでわざわざ写真を撮っていたんでしょう。いつか私がめげた時のために(笑)
同じ道でも、人はそれぞれの思いをもって歩いているように感じます。
堂々と自分の思いを持って、自分に誠実に歩いていけばいい。
そして、心に寄り添うということは、ひっそりとしていて静かなものなのかな。
改めて習います。
先月から、東洋医学のクラスを受講し始めました。
西洋と東洋、片方ずつに足を突っ込んでバランスをしていたかったからです。
それから、もっと自分だけのマッサージを作ってみたくなったから。
東洋医学のクラスをコツコツ続けると、舌診や脈診をできるようになるそうです。
血を抜かなくても、MRIを撮らなくても、その体や心に寄り添うマッサージができるかもしれない。
血と舌。
真逆同志でいい感じです。
たまたま拝見して、実習中に励みにさせていただいた先生。
なにも、歩くだけが進む手段ではない。
ころころ転がりながらだって、進むことにかわりはない。
思えばずっと転がってばかりの
Kiki
マミーは、もっとぎゅーっとしぼったシンプルな作文を書くべきです!
今朝、汚れた尻を洗われて不機嫌極まりない猫。
呼んでも洞穴から出てこない。


