賛美の中のいつわり | O Happy Day

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仏教と神道の文化・習慣・価値観の中で生まれ育ったみーが、カナダでキリスト教について学んだこと、思ったことを綴っていきます。

歌で賛美するのが大好きです。

 

歌は上手くないです。

音楽のセンスとか才能とかもない。

 

でも、大好き。

 

こころいっぱい、からだいっぱいで、神さまをほめたたえる喜び。

でも一緒に賛美している人の迷惑になっていないといいなあとよく思う。。。。

(神さまー、もしそうなってるようだったら止めてください~~~!)

 

あと、心や意識を、体を、神さまに向けるのにも、助けになることが多い。

 

でも、歌詞が「ムム?!」ていうのもちょいちょいあって、気を付けている必要を

感じます。

 

それから、神さまを賛美することよりも、ただ盛り上がって感情的になって

陶酔して、、、という風にもならないでいたい、とも思う。

 

いい気分になりたいから賛美を利用するんじゃない。神さまをあがめ、

ほめたたえる、感謝する、主が主であることをただ喜び賛美する♪

 

気のせいかもしれないけど、「あー、私の中に住んでくれてる聖霊さまが喜んで

るんだなぁー」って感じる時がある。

 

人間は、主を主とし、主をあがめ賛美し礼拝するとき、満たされ、喜びにあふれる、

そういう風に神さまがつくられたんだなぁ、て思う。

 

神さま、ありがとう!

 

「ムム」というのは、「それは神さまが、聖書が言ってることと違うんじゃ?!」

て思うときです。例えば、Raise a HallelujahのMy weapon is the melodyという歌詞。

私たちの武器は御霊の剣、とエペソに書いてあります。つまり、かみのみことば。

武器でいうとPraiseのmy praise is a weaponでbrings Jericho downとか

my enemies drown inというところがある。

私たちのメロディもpraiseも武器じゃない。私たちが主を賛美し礼拝するとき、

主がそれを用いて何か業をなさることはあると思う。でもそれは私たちのメロディや

praiseが起こすものではない。主によってなされる、私たちじゃない。

 

Raise a HellelujahもPraiseも大好きな賛美曲。だけど、歌う度に、そこのところは

心の中で(メロディは武器じゃない、神のことば、御霊の剣、が私たちの武器だけどね)

ていつも言ってる。Praiseの時も同じ。大きい教会でのワーシップタイムの時は、

小~~さい声でYou are the one~とかYour word is the weapon~とかBy your Spiritとか

You are our strengthとかなんか色々その時思いつくことをつぶやいたり歌ったりもします^^;。

 

神さまー、そういう曲を、心でそう言いながら、歌い続けること、あなたはどう

思ってますか?もしあなたがそれを喜んでくれてないなら、歌いたくないです。

教えてください。

 

こうやって、神さまを賛美する中に自分の力や栄光を謳う内容を盛り込む、

こういうfalse teachingに気を付けないと、て最近改めて思わされることがあった。

繁栄の神学もそうだけど、フツーのクリスチャンの間にも、そういう惑わしがいっぱい

ある、ということは、意識はしておくといいのかなって思いました。

 

何なら、皆が信頼をおいたり評価されているリーダーや牧師先生だって、そういうのに

陥ってしまう危険が、びっくりするほどあるもんなんだなーっとも、思わされる。

 

神さま、どうか、私たちを、惑わしから、守ってください。あなたからのものと

あなたでないものからのものと、discernすることができるように、助けてください。

 

心を尽くしてあなたを求めることができるように、助けてください。