O Happy Day

O Happy Day

仏教と神道の文化・習慣・価値観の中で生まれ育ったみーが、カナダでキリスト教について学んだこと、思ったことを綴っていきます。

幼稚園は仏教でした。大学はカソリックでした。

実家には仏壇がありました。

自営業だったので、仏壇の隣りには神棚もありました。

ご飯を食べる前には手を合わせて「いただきます」をしていました。

お正月には神社に初詣に行きました。


自分の宗教は何?ときかれると、私は無宗教。

私の考え方や価値観の根本には、仏教や神道がある。

たぶん文化・習慣として。


そして、キリスト教信者であるカナダ人の彼との結婚を機に

キリスト教についてもっと知りたいと思うようになりました。

もちろん、仏教や神道についても。


極ごく個人的観点から書いていきますし、

知識不足であいまいな話や間違ったことを書くかもしれませんので

決してこのブログを何かの参考にしたりなさらないように!

勝手ですが、あしからず。。。


繊細かつ賛否両論を産む話題が多くなるかもしれませんが、

これはあくまで私個人のつぶやきとして書いていきますので、

コメントはいただいても公表もお返事もしないつもりです。

これも勝手ですが、どうぞご理解ください。


クローバー追記クローバー

2013年12月、キリスト教の神さまのことを受け入れました。

上で述べた自分の考え方と、その先に行くことができた自分と両方を

これからは綴って行きたいと思っています。



クローバー追記2クローバー

2016年8月、洗礼を受けました。そしてBelieverからFollowerへと変えられました。

6年前に書きかけた記事を見つけました。最後の最後の最後だけ、書きかけで放置されていました。

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死にたい、消えたい、という思いは、何度か出てきました。

消えたい、はあのドン底だった時以来でした。

消えたい、から、死にたい、という言葉が頭に浮かんだときは、

正直びっくりしました。

 

自分にそんな勇気あるのかな、と。

 

いなくなりたい、という思いがそれだけ強かったのか、生理前が手伝ったのか。

 

でも、そんな落ち込んだ私に、神さまが、内から働いてくれたのを感じました。

 

「こんな私でも、こんなダメダメな私でも、やっちゃいけないことばっかりして、

しなきゃいけないこともできない私でも、

 

今生きてるってことは、

 

神さまが何か私をここにとどめてくれている目的が、プランがあるんだろう

ということ。

 

生きている意味、生きている目的、それを、

自分には全く見えなくても、見当もつかなくても、

神さまには、クリアな計画があって、だから今私はまだここに生かされているんだ、

ということ。

 

そこには、確信があった。

 

それは、私が自力で一生懸命に考えたりしてたどり着いたものじゃなくて、

与えられた思い。聖霊さまがくれたもの。

 

神さまを知らない時は、自分のダメダメさ、できなさ、

しちゃいけないことばかりしてしまう自分を責める思い、

存在する価値なんかないんじゃないかって思い、

 

でも同時に自分を肯定しようという思い、自分の失敗とか言動に言い訳を付けて

必死に自分を正当化したい思い、自己防衛心から相手の方を責めようと思う心、、、

 

そういったものもあって、

どんどん心が不健康になって、どんどん下を向いて、どんどん思い詰めて、

どんどん悲観的になって、もうやだ、消えたい。私がいなくなった方がいいんだ。

てなっていました。

 

今は、違う。

 

神さまを

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と、ここまでで、止まっていました。2021年1月12日。

 

6年たった今ー

 

多くはPMSのとき、その後何度も「消えたい」とか

「自分なんかいなくなれたらいいのに」と思ったこと、あります。

今でも、そういう思考に陥ることがたまにあります。

 

でも、その度に、神さまが「神さまの目的があって、私は神さまが今生かしている」

ということは、もう確信がある、ことを思い出させてくれてる。

 

自分ができることは、神さまのところに行くこと、すがること、自分を明け渡して任せること、神さまに聞くこと、神さまの癒しを受け取ること、赦しも受け取ること、神さまによって、restoreされて、strengthenされて、transformされて、そしてその目的のために使ってもらえる(もうちょっと受け取りやすい表現をすると「神さまと一緒に歩む」)こと。

 

いっぱい時間がかかる時もあるし、割と短い期間で抜け出ることもできる。

 

今のところ、こんな感じです^^。

 

神さま、ありがとう。

 

そして、まだまだいっぱい変えられないといけないから、

これからもよろしくね、神さま。

これまでのことも、これからのことも、たくさん、ありがとう。

6年前に書いてアップしていなかったものを、見つけました。

読んでみたら、今なら、これをアップしてもいいかな、と思えたので公開ポチします^^。

 

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2020年は、本当に大変な年でした。

と、よく聞く。当然です、パンデミックで、たくさんの人たちが命を失い、

たくさんの人たちが職や収入を失い、たくさんの人たちが、心の平安を失い、

沢山の人たちが、友達や仲間や家族との共に時間を過ごすことを失った。

COVID前の当たり前は、もう今の当たり前と違う。

 

あなたにとっては、どんな1年でしたか?

 

私はまだ2020年の振り返りはようやく2月^^;ですが、

2020年は本当に大きな1年でした。

「つらい1年」とは程遠く、いろんなことから守られたこと、

いろんな導き、恵み、与えられた平安、

本当に感謝に満ちた一年でした。

 

辛くなかったわけじゃないです。つらい時期も長かった。

COVIDのせいじゃなくて、霊的なチャレンジだった。

FireproofのCalebのことばを借りれば"disrespectful, ungrateful, selfish"な

"somebody who constantly rejects us"に対して

"how we could continue showing love"というチャレンジ。

(英語と日本語混ぜすぎて意味わかりづらすぎますね💦)

上手くできないこといっぱいだった。

家族皆がいっぱい傷ついたしストレスもすごかった。

「実を見ればわかる」という聖書のことばを思うと、

自分が御心を行えていなかったということか。。。。。?

と落ち込むこともあった。

 

色んな失敗をやらかして、自己嫌悪に陥ったり、

妻なのに夫を苦しめることばかりしてしまう自分に、

消えたい、死にたい、と思ったこともあった。

 

でも、2020年の大きなことは、それじゃない。

 

神さまの前に静まり、親しい交わりの時間を持つ、

Relashionshipを深める、神さまの声を聞く、聞き従う、

神さまの臨在の中で、心の平安と内側から聖霊さまが与えてくださる喜びを感じる、

自分のIdentityを問われ、自分が何者だと思っているのかを思わされ、

神さまがそれをAffirm(それでいいんだよ。て)してくれた、

神さまとの時間を、

神さまを個人で、そして家族で賛美し礼拝することを、

神さまを、楽しむ、喜ぶ、ことを知り始めた(これも個人でと家族でと。)

 

そんな一年でした。

 

神さまとのRelationshipを深めたい、神さまの声を聞きたい、という思いは

ここ数年ずっと持っていて、試行錯誤してました。

 

「夫が神様とのRelationshipを深めてくれたおかげで、

その恩恵を受けていた」ところから

自分自身が神様とRelashionshipを深めたい

、夫を通してだけじゃなくて、神様が私に語り掛けてくれてることを

聞きたい、という願いが、神さまに聞かれたんだなーて思います。

 

コロナのおかげで、というか、コロナを用いて、

神さまが、神さまとの時間を持てるようにしてくれた。

どういう風に時間を持つといいのかを、学ぶ場所や人を与えてくれました。

 

コロナパニックが始まったとき、その恐怖に心を乱されるのではなく、

与えられた時間を、

神さまは私にどう使いなさいって言ってるのかに目を向けられるように、

夫を通じて導いてくれました。

 

God's in control.という確信を持たせてくれた聖霊さまのおかげで、

神さまのことを知らなかったときには考えられないような

心の平安を貰えたことも、ものすごい感謝です!

 

神様を知らなかったら、コロナ菌に

怯え、職を失い、不安とストレスで押しつぶされそうな生活である以外、

何物でもなかっただろうなと思います。

 

そして、礼拝などがすべてオンラインになったおかげで、

今まで遠くて行けなかった教会の礼拝や

霊的成長をトレーニングするグループにも参加することができました。

 

Non-Christianのお友達たちから聞くことは、

「大変だよね」「怖いよね」「先が見えないよね」「いつになったら元に戻るかな」。

お互いを気遣いいたわり合う優しい友達たぢを与えられたことに感謝しつつ、

自分は「大変」とか「先が見えないから不安」とか「元に戻ってほしい」という

思いは持っていなかったことに気づかされる機会でもありました。

 

God's in control. He will give what we need. 

Just keep your eyes upon Jesus. Sit at Jesus's feet and listen to Him.

 

神さまの声を聞く、ってどういうことなのかも教えてもらえる機会も与えてもらいました。

 

本当に、濃い1年でした。

 

まだまだ、神さまとの交わりの時間を、取らない日があったり、

取ってるつもりでも本当に神さまに心をFocusできない時が多いです。

自分の思いや思考や感情や雑念を鎮めることができないことがほとんどです。

でも、今のところは、どういう風に、どういう姿勢で神さまの前にでたらいいんだよ、

と言うのは示してもらったような気がするから、とりあえず今は

それをし続けてみることなのかな、と。

 

きっと、沢山のクリスチャンの方がこういう想いをしたことがあるんだろうなと思いますが、私たちも漏れることなく、経験しています。そして、きっとこういう経験は今回だけじゃなくて、これからもあるんだと思います。

 

それは、「Christianity」クリスチャニティを、宗教としてとらえられ、洗脳しようとしている、勧誘しようとしている、取り込もうとしている、と人から思われることです。

 

初めに言います。

 

私が信じているのは、宗教ではありません。

 

そして、私は誰も洗脳しようとかもしていません。

 

勧誘もしないし、取り込んでやろうなんて、思っていません。

 

それは私の娘も、私の夫も、同じです。

 

Christianityは、人から「あなたも信じなさいよ」とか

「あなたも教会に入りなさいよ」とか圧をかけられて、断りづらいから~と

「信じます」と言ったり、宗教団体に「入団」したりするものじゃないからです。

 

お布施や寄付金を払うことによってメンバーシップを保持したり、また一定のステータスに昇格したりするようなものでもないんです。

 

Christianityは、その中心が神さまとその人のlove relationship。愛の関係です。

脅されたりプレッシャーをかけられて、心もないのに「はい」と答えることを、

「愛」とは呼びませんよね。

 

相手を大事にしたい、守りたい、一緒にいたい、一緒に歩みたい、もっと知りたい、

喜んでもらいたい、助けたい、役に立ちたい、寄り添いたい、相手の笑顔が見たい…

と、自分の意志でそれを選ぶ。それが、愛ですよね。

 

Christianityの中心には、神さまと自分との、愛の関係があります。

 

そして、その次に、神さまが送ってくれる人(たち)との愛の関係。

 

「愛」がコアにある。

 

神さまという、この世界を造って、すべての生き物を造って、すべてを治めていて、そして神さまが造った人間ひとりひとりを、何があっても変わることのない揺るぎない、しかも無条件の愛で、愛し続けてくれる存在が、ど真ん中にある。God is LOVE. He loves us all no matter what, and he invites us to love Him back and walk together with Him. 

 

つまり神さまは「神さまを信じていない」人間も、「神さまを信じている」人間と

同じように愛している。

 

つまり神さまは「極悪非道」な人間も、「善良で謙虚で誠実」な人間と

同じように愛している。

 

Christianクリスチャンとは、その神の愛を受け取りますっ!て言って受け取り、神さまと愛の関係を始めた人のこと。(その瞬間にその人に起こることが色々あります(例えば「救われる」、「赦される」など。)が、それはまたいつか機会が与えられたときに触れますね。)

 

心から、自らの意志によって。

 

他人のプレッシャーやその場をしのぐための、心と意志が伴わないものには、意味がないわけです。(まぁ、神さまはそれだって使ってその人を引き寄せようってしてくれますけどね^^💕)

 

「宗教じゃない」に対して、「宗教だよね。」と反論されることがあります。これも悲しい。

 

確かに、「人間/自然界/あらゆる力を超越した神」についてのことです。確かに、「信じる、信じない」というものです。確かに、「霊」にかかわることです。確かに、「教え」があります。確かに、「心の安らぎ、解放、救済」があります。確かに、「習慣的に行う行事」があります。確かに、私たちが「捧げる」ものがあります。確かに「善悪の基準」が示されています。

 

でも、宗教との決定的な違いだなって私が思うのは、Christianityクリスチャニティは、そのコアが「神」と「神と人間のlove relationship愛の関係」であることです。

 

Google検索で調べたところによると、

宗教の主な特徴

  • 信仰の対象: 人間を超えた存在(神、仏、精霊、絶対者など)を信じる。
  • 目的: 心の安らぎ、人生の悩みや死の恐怖からの解放、救済。
  • 構成要素: 教義(教え)、儀礼(祭祀・行事)、聖典、教団組織。

とありました。

 

信仰の対象は、確かに人間を超えた存在である神であることは同じです。

 

でも、それが「この世の創造主である」ということ、

「私たちをつくり、私たちを誰よりも、何があっても、決して揺らぐことのない愛で愛してくれている」ということ、

「この世を統べ治める神であり、今も昔もそして永遠に存在し変わることがない神である」ということ、

それだけじゃなく、そんなに壮大な神なのに、「私たちと愛し合いたい」「いつも一緒にいたい」「一緒に歩みたい」と願い、いつもすぐそばにいてくれて、いつも見ていてくれて、助けてくれて、守ってくれて、赦してくれて、常にBESTを与えたいと用意してベストのタイミングで差し出し続けてくれているということ、

 

。。。と、今パパッと思いつくだけでも、Christianityの信仰の対象であるもの「=神」が、他の宗教と全然違うんです。

 

それに、目的は「主である神」が主であり神であること。主である神の栄光が現わされること。被造物である私たちが、創造主である神の愛を受け、神を知り、神と愛の関係を持ち深めながら主の道を主と共に歩むこと。Googleの言う「心の安らぎ、人生の悩みや死の恐怖からの解放、救済」は、もちろん与えられますが、それは「目的」ではありません。神との愛の関係により、もたらされるもの。

 

構成要素も、一番のコアがすっぽり抜けています。

 

もちろん「教義」も「儀礼・行事」も「聖典(聖書)」も「組織」もあります。でも、そのどれもコアじゃない。(あえて言うなら聖書はコアの一部ではある。それについてはまたいつか。)構成要素の中心には、「主である神」がくるんです。(ちょっとだけ今言うと、聖書は神のことば、ことばはJesus。聖書は神の息吹がかかった書物とも言われています。つまり神さまが人間を使って書いた書物。)

 

色んな宗教は、人間が悟りを開いて神化したり、人間が教理を作ったり、人間に何かが宿って神化したり、よく分からない存在の物(宇宙とか太陽フレアとか)を神化したり。。。人間が作り上げています。

 

Christianityは、主である神は初めから神です。人間が進化したり突然変異を起こしたとかじゃない。その神がこの世を造り、私たち人間を、神と愛し合い共に歩む人間をつくり、すべてを治められている。神中心の世界観。聖書には、この世の始まりも終わりも書いてあります。

 

私たち人間は、これを聞くと何か不健康な気持ちになります。支配下にある、絶対的統治者の下にある、と聞くと。

 

自分中心、は、私たちの自然な性質です。愛ややさしさ、従順、忍耐、寛容、柔和、そういう善い性質と、自己欲とが入り混じっている、それが人間です。だから、「神が作った世界に神のプランの故につくられ、神の支配の下で生かされている。」と聞くと、反発心、反抗心を感じる。「これは私の人生。わたしのいのち。なのに!?」て思う。究極的には自分は自分のために生きてるはずって思う。支配されていると聞くと、また自分が主導じゃなくて神主導であると聞くと、抑圧されているような、ネガティブな気持ちになる。

 

―でも、その統治者であり支配者である真実の神は、愛であり、善である、としたら、どうでしょう?私たちを、想像もつかないような深い愛で、慈悲の心で、私たちを包み、守り、導いてくれる、決して裏切ることも、見捨てることもない存在であるとしたら?

 

God is LOVE。

God is good all the time。

 

Googleの言う「心の安らぎ、人生の悩みや死の恐怖からの解放、救済」を、お金をつぎ込んだり修行を積んだり善行を行ったり、「行い」によって勝ち取るような、宗教じゃないんです。

 

God so loved the world that He sent His one and only Son, that whoever believes in Him shall not perish but have eternal life. John 3:16

 

神さまは、ドス黒かったり自己欲におぼれてしまっている私たち人間を救い出して、一緒に生きたいって思ってくれて、辛抱強く、愛し続けてくれる。赦し続け、助け続け、寄り添い続け、見守り続け、導き続けてくれる。自分の一部を「人間」にして死という犠牲まで払って、愛しぬいてくれる。

 

それなのに、Christianityを「キリスト教」に格下げしちゃっているクリスチャンが、多すぎる。。。

 

キリスト教という「教え」、ではないんです。「宗教」じゃ、ないんです。

 

悔しいです、神さま!

 

クリスチャンが「宗教」をしてるから、周りからクリスチャニティが「宗教」と見られても、仕方ないなって思うところもあるし、それがものすごい悔しい。

 

神さま、この思いを、あなたに今持って行きます。

 

私のフォーカスを、あなたに、戻します。

あなたのみこころだけが、なされますように。

 

 

昨年の秋、神さまに聞いていたことがあった。

 

ある聖句について、私の理解がおかしいのか、間違っているのか?

ということでした。

 

詩篇37章4節

「主はあなたの心の願いをかなえてくださる」

 

の部分です。

 

この日本語のこの部分だけ読むと、自分が心の中で願うことを主が叶えてくれる、という、すごい「ご利益主義」、自分の願いを神さまに聞いてもらう、という解釈に聞こえますよね。けど、私の理解は、

 

「主はあなたに『私の願い』を与えてくださる」です。

 

つまり、私たちが願うことを、神さまが与えてくれて、私たちがそれを神さまから受け取ることによって、神さまが私たちに願って欲しいことが私たちの願いとなる、主の願いが私たちの願いへと変えられていく。

 

英語だと、そう取りやすい訳が多いです。

he will give you the desires of your heart(NIV)

he will give you your heart’s desire(CJB)

けど、和訳の新改訳と同じ解釈の訳もあります。

he will give what your heart asks(CEB)

he will give you whatever you ask for(ERV)

 

カナダにいる時、しばらく通った英語の教会でも、「私たちが願うものは何でも与えられる」と言っていました。(しかも補助聖句としてピリピ4章6章を、これまた前後のcontextを無視してその節だけ取って、ほら、私たちの願いを知っていただきなさい、て書いてあるでしょう。欲しいものを具体的に言ってお願いしなさい」って言ってました。)

 

今置かれている教会でも、(主は聞いておられます。願いをかなえてくださいます。叶わないのは、願わないからです。)と言っているのを聞きました。

 

モヤモヤしつつ、神さまに聞きました。「神さま、私がextremeなだけですか?だったら教えてください。あなたが意味するように、私はこのverseを受け取りたいです」

 

聞きつつ、この説の前後を読みました。章全体も読みました。解説を聞いたりもしました。

 

それで、神さまから今回私が受け取ったのは、

 

「前後、読んでごらん。『主を信頼しなさい』『よい、と私がすることをしなさい』『私があなたがたを置く場に留まり暮らしなさい』『私を信頼し養われなさい』『そしたらあなたは主のうちに留まり喜びに満たされるでしょう』『あなたの道(OR方法)を主に託しなさい』『主を信じなさい』『そしたら主が動かれます』『主の前に静まりなさい(OR低く、弱くなりなさい)』『主を忍耐をもって待っていなさい』てあるでしょう。そのど真ん中にある he will give you your heart’s desire.だけが、これらの言葉とalign(合致)しない逆の意味になるわけないでしょう。イザヤ55章、ローマ12章を、思い出しなさい、そして、私の想いを、私の道を、受け取りなさい。」

 

Trust in Adonai, and do good;
settle in the land, and feed on faithfulness.
Then you will delight yourself in Adonai,
and he will give you your heart’s desire.

Commit your way to Adonai;
trust in him, and he will act.
He will make your vindication shine forth like light,
the justice of your cause like the noonday sun.

7 Be still before Adonai;
wait patiently till he comes

 

でした。

 

数か月した今、またこのことを思わされています。

 

私の理解と同じ見解が、すっきり言語化されているサイトが英語ですがありました。

https://www.gotquestions.org/He-will-give-you-the-desires-of-your-heart.html

 

こうやって受け取ったけど、神さま、私の勘違いですか?て聞いていたら、今度は歌を、与えられた気がしました。

 

私の道byみゃーこワーシップ

 

「わたしの願い、あなたのこころ」のところがジーンときました。

ドンピシャ。

 

愛しています ずっと共にいて
どんな道でもついてゆこう
私の願い あなたの心
いつの日も喜び溢れて賛美します

 

神さまありがとう。

 

「神さまは、自分の願いをかなえてくれる存在」であるということは

ある意味、自分自身が主に指図する感じの立ち位置にある状態ですよね。

神さま、私の願いをかなえて。だから。

私たちに根付いている、「ご利益主義」。この欲を上手に使って操るのが「繁栄の神学」。

危険です。一見神さまを頼り信じて待つ、みたいに正当に聞こえるようにして、神さまから遠ざける。自分が神であるような思考を育てる。

 

もちろん、願いをそのまま神さまにぶつけることは、神さまは私たちにしてほしいって思ってくれてると思う。娘が願うこと、そのままの想いを、何でも言ってほしい。ぶつけてきてほしい。聞かせてほしい。母として、そう思います。天のお父さまも、そう思ってくれてると思う。

 

そして、そのまま願いを神さまのところに持って行く、差し出す。そのために、言葉に出して自分の想いや願いをあらわすことは、大事なプロセスでもあるんじゃないかって思う。内に秘めてぐぐぐっと握りしめて隠し持ち続けてるのは、苦しいし、手放すこともできない。だから、まず全部ぶちまける!

 

そしてその後、「けど、あなたのみこころのままに、なりますように。私が一番ほしいのは、あなたのみこころです。あなたのみこころが、私の想いに、願いに、変えられるように、助けてください。」て、します。

 

多分今の私には、この37章の聖句、特に上にのせた部分、イザヤ55章8-9節、詩篇143章8節、あたりを口に出して読む必要があるんじゃないかって思いました。

 

“For my thoughts are not your thoughts,
and your ways are not my ways,” says Adonai.
“As high as the sky is above the earth
are my ways higher than your ways,
and my thoughts than your thoughts.

 

 

In the morning let me hear about your faithful love, because I’ve put my trust in you. Show me the way I should live, because I trust you with my life.

 

よく、「聖霊がうちに住んでくださっているんだから、神さまがその「わたしの思い」を入れてくれているってこともあるんだから。」とか「だって祈ったら聞かれるんだよ、本当に。結局は主のみこころだけがなるんだから、それが起きるってことは、それが神さまのみこころだったってことでしょう」と、反論を受けることがあります。

 

それが、本当に主から受け取った思いなのであれば、それでいい、ですよね。

 

果たして、そうなのか?というところが、問題です。

 

神さま、私が受け取ったこと、ありがとう。

これからも、もっともっとあなたを知りたいです。もっともっとあなたから受け取りたいです。もっともっと、わたしを変えてください。私の願いは、あなたの思いです。

 

そして、もっとたくさんの日本人クリスチャンが、あなたにもっともっと引き寄せられ、変えられ、あなたに留まり、喜びに満ち溢れた者へと、変えられて行きますように!

 

All glory is yours, Lord.

日本って自動販売機大国ですよね!

あと、日本はコンビニもすごい。

 

そういう「便利さ」って、実は私たちの大事な感覚を

鈍らせている、ていうことも、あるかもしれませんね?

 

今日はその便利な自動販売機にまつわるお話。

 

喉が渇いた時、ジュースが飲みたい時、コーヒーが欲しい時、

ちょっと小腹が空いてコーンスープ飲みたい時、

 

チャリンチャリーンと小銭を入れて、ボタンを押せば、

欲しいものが瞬時に手に入る。

 

冷たく飲みたいものは冷たい状態で、ホットで飲みたいものは

アツアツで、簡単に、手軽に、その場で。

 

この便利なマシーンを使って、私たちと神さまの関係を、

ユーモアたっぷりに描いている動画があります。

 

英語だけど、リンク貼ります^^

同じようで少しずつ違うのを3つ、紹介します。

 

1つめはこれ

Vending Machine God

「天への願い事リクエストマシーンへようこそ」と謳う自動販売機に来た若者が

「知恵」「強さ」を選択、「憐れみ」「へりくだり」「訓練」は素通りして

「権力」や「お金」、「もっといい友達」をチョイス、そして「仕上げに・・・」

と押したのは「信仰」。

すると自販機のメッセージに「以上のお代は『15分のお祈り』となります~」

と表示される。

若者は、ん-、わかったよ。と15分祈って、しめしめとリクエストしたものを抱えて

立ち去る。
そして最後に「神さまは自動販売機ではありません。」

とメッセージが出て終わり。

 

「祈り」や「信仰」が支払う代価で、自分の欲しいものを買う、ていうイメージ

ですね。

 

どう思いましたか?

 

2つめはこれ

ちょと長いけど。。。面白いので下に祈りの訳(略しつつ)も載せます。

訳が要らない方は、飛ばしてください~。

Vending Machine Prayer

自販機に向かって祈っています。最初は若い男性が

「ああ神よ、あなたが良いお方であることを感謝します。

主よ、あなたは私を祝福したいと思ってくださっていることを知っています。

そしてあなたは私の幸せも願ってくださっています。

だから主よ、私はあなたに祈ります。どうかどうか、最近見てるあの

コルベット(車)を私に与えてください。すごい欲しいんです。

そして主よ、もしあなたのみこころならば、真っ赤なコルベットにしてください。」

次に女性が

「主よ、私は独身です、もういい加減私にとっていい人が見つかってもいいんじゃ

ないですか?」と。

次にもう少し年を重ねた女性が

「主よ、あなたはあなたの子供たちには幸せになるようにと願ってくださっています。

私の近隣の家にはみんな庭にプールがあります。うちだけです、無いのは。

私は知ってます、あなたにはもっとすごいことがお出来になります!」

プール、というボタンの両脇に「人気」「贅沢」が並んでいるのもおもしろいですね。

次に

「主よ、あなたがご存じの通り、最近初めてのアルバムをリリースしました。

が、ちっとも世に知られて行きません。神さま、あなたは何でもできるお方です。

あなたは偉大で力あるお方です。ですから、どうぞこのアルバムがトレンド入り

するようにしてください。ソーシャルメディアであなたの聖霊によって、あなたの

聖なる炎で、私のアルバムが売れて私の評判が爆上がりするようにしてください。

アーメン。」

。。。。

 

そしてそのうち、望んだものが出てこない自販機に「ん?」となり、

その感情は音楽と共にエスカレートしていきます。

 

「なにやってるの、今すぐほしいのに!」

「早く、出してよ。」

「お隣さんたちに見せる顔がないでしょ!」

「神さま、ほら、出してよ」

「どうしてほしいって言うの!?」

「てか、聞いてる、俺のこと?」

「主よ、なんなんですか!?」

「欲しいって言ってるじゃん!」

「神さま、聞いてるの???!!」

「私のこと聞いてる本当に!?!?!?」

 

この動画はここまで。

 

そして3つ目がこれ。

これは特に最後が好きだなーと思って、ほとんど同じことなんだけど

あえてこれもシェアします。

今、神さまに私が言われているのが、これだなあとも思うことです。

01 VENDING MACHINE Seeking God

この動画の最後に青年が見るポスターに書いてあるのが、

「神さまがどんな方か、知ってる?」

「神さまはね、あなたに『いい計画』を持っているよ。

だから、その神さまをもっと知ろう!」

Maybe it's better if you let God tell you who He is.

and base your picture of Him on what He says about Himself.

神さま自身に、神さまが誰なのか、どういう方なのかを語ってもらう。

そして、神さま自身が神さまがどんな方かって言うことから

神さまを知って行くことが大事。

 

ーー神さまとのlove relationship、相手を知る。直接、相手との話の中で

直接、神さまとの歩みの中で、神さまが、神さま自信を見せてくれる。

 

それを、見、聞き、体験しながら、もっと、もっと、

神さまを知りたい、と思いました。

 

そして、神さまに、「私の願い」が「神さまの願い」へと変えられていくように

わたし自身がもっと神さまがプランしてくれてる私に変えられていくように

神さまに助けを祈ります!

 

神さまは、私たちが欲しいもの、望むものを、都合のいい時に

手軽に手に入れるための道具ではない。

 

聖書は、マクドナルドのメニューじゃない。

 

自分たちが健康でいたいのにケガや病の床に伏した時に

経済の危機に直面した時に、自分が達成したい成功がある時に

自分が周りから評価され、評判を良くしたい時に、

聖書をメニューにして、

「神さまは私たちを祝福したいんだから」と

「聖書に書いてある言葉だから」と

聖書のことばを使って、神さまの祝福、神さまの約束、なんだから

と勝手に決めつけて「みこころだから天は聞き入れてくださるんだ」って

「『信仰』を持って『宣言』する」祈りをする!というのは.....

 

神さまが喜んでくれているとは、少なくとも今の私には思えません。

 

それは、何だか「聖書のことばを利用している」ように感じてしまう。

 

もちろん、自分の正直な願い、思いを、神さまにぶつけるのは

健康的だと思うし、神さまは、何でも話してほしいってきっと思ってくれてるから

神さまに正直な気持ちを神さまに話すのは、どんどんしたらいいって思う。

わたしもいっつもぶつけまくっています^^💦笑。

 

自分が親だったら、どんなわがままだったり理不尽だったり自己中な思いだと

しても、ありのまま、思いのままを全部話してほしい、シェアしてほしい、

て思うから。

 

けど、そんな思いがあるんだよ!と、神さまに話して、

その思いは、神さまに預けるよ、渡すよ、ってして、その代わりに、あなたの思いを

受け取りたいよ、って神さまにすがる。助けを求める。変えてください、って祈る。

 

今の私は、上手くできないながらも、そうしたいって思ってます。

 

イザヤ55にこうあります:

「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、
あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。
──主のことば──
天が地よりも高いように、
わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、
わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。 
(イザヤ書 55:8-9 SKY17)

 

神さま、あなたをもっと求めて生きられますように、助けてください。

す~ぐ自分中心な思いや願いで自分がいっぱいになっちゃうから、

助けてください。あなたにmake roomして、私のmindをrenewできるように

助けてください。私をもっと変えてください。Help me let you work in me and

change me!