O Happy Day

O Happy Day

仏教と神道の文化・習慣・価値観の中で生まれ育ったみーが、カナダでキリスト教について学んだこと、思ったことを綴っていきます。

幼稚園は仏教でした。大学はカソリックでした。

実家には仏壇がありました。

自営業だったので、仏壇の隣りには神棚もありました。

ご飯を食べる前には手を合わせて「いただきます」をしていました。

お正月には神社に初詣に行きました。


自分の宗教は何?ときかれると、私は無宗教。

私の考え方や価値観の根本には、仏教や神道がある。

たぶん文化・習慣として。


そして、キリスト教信者であるカナダ人の彼との結婚を機に

キリスト教についてもっと知りたいと思うようになりました。

もちろん、仏教や神道についても。


極ごく個人的観点から書いていきますし、

知識不足であいまいな話や間違ったことを書くかもしれませんので

決してこのブログを何かの参考にしたりなさらないように!

勝手ですが、あしからず。。。


繊細かつ賛否両論を産む話題が多くなるかもしれませんが、

これはあくまで私個人のつぶやきとして書いていきますので、

コメントはいただいても公表もお返事もしないつもりです。

これも勝手ですが、どうぞご理解ください。


クローバー追記クローバー

2013年12月、キリスト教の神さまのことを受け入れました。

上で述べた自分の考え方と、その先に行くことができた自分と両方を

これからは綴って行きたいと思っています。



クローバー追記2クローバー

2016年8月、洗礼を受けました。そしてBelieverからFollowerへと変えられました。

歌で賛美するのが大好きです。

 

歌は上手くないです。

音楽のセンスとか才能とかもない。

 

でも、大好き。

 

こころいっぱい、からだいっぱいで、神さまをほめたたえる喜び。

でも一緒に賛美している人の迷惑になっていないといいなあとよく思う。。。。

(神さまー、もしそうなってるようだったら止めてください~~~!)

 

あと、心や意識を、体を、神さまに向けるのにも、助けになることが多い。

 

でも、歌詞が「ムム?!」ていうのもちょいちょいあって、気を付けている必要を

感じます。

 

それから、神さまを賛美することよりも、ただ盛り上がって感情的になって

陶酔して、、、という風にもならないでいたい、とも思う。

 

いい気分になりたいから賛美を利用するんじゃない。神さまをあがめ、

ほめたたえる、感謝する、主が主であることをただ喜び賛美する♪

 

気のせいかもしれないけど、「あー、私の中に住んでくれてる聖霊さまが喜んで

るんだなぁー」って感じる時がある。

 

人間は、主を主とし、主をあがめ賛美し礼拝するとき、満たされ、喜びにあふれる、

そういう風に神さまがつくられたんだなぁ、て思う。

 

神さま、ありがとう!

 

「ムム」というのは、「それは神さまが、聖書が言ってることと違うんじゃ?!」

て思うときです。例えば、Raise a HallelujahのMy weapon is the melodyという歌詞。

私たちの武器は御霊の剣、とエペソに書いてあります。つまり、かみのみことば。

武器でいうとPraiseのmy praise is a weaponでbrings Jericho downとか

my enemies drown inというところがある。

私たちのメロディもpraiseも武器じゃない。私たちが主を賛美し礼拝するとき、

主がそれを用いて何か業をなさることはあると思う。でもそれは私たちのメロディや

praiseが起こすものではない。主によってなされる、私たちじゃない。

 

Raise a HellelujahもPraiseも大好きな賛美曲。だけど、歌う度に、そこのところは

心の中で(メロディは武器じゃない、神のことば、御霊の剣、が私たちの武器だけどね)

ていつも言ってる。Praiseの時も同じ。大きい教会でのワーシップタイムの時は、

小~~さい声でYou are the one~とかYour word is the weapon~とかBy your Spiritとか

You are our strengthとかなんか色々その時思いつくことをつぶやいたり歌ったりもします^^;。

 

神さまー、そういう曲を、心でそう言いながら、歌い続けること、あなたはどう

思ってますか?もしあなたがそれを喜んでくれてないなら、歌いたくないです。

教えてください。

 

こうやって、神さまを賛美する中に自分の力や栄光を謳う内容を盛り込む、

こういうfalse teachingに気を付けないと、て最近改めて思わされることがあった。

繁栄の神学もそうだけど、フツーのクリスチャンの間にも、そういう惑わしがいっぱい

ある、ということは、意識はしておくといいのかなって思いました。

 

何なら、皆が信頼をおいたり評価されているリーダーや牧師先生だって、そういうのに

陥ってしまう危険が、びっくりするほどあるもんなんだなーっとも、思わされる。

 

神さま、どうか、私たちを、惑わしから、守ってください。あなたからのものと

あなたでないものからのものと、discernすることができるように、助けてください。

 

心を尽くしてあなたを求めることができるように、助けてください。

私がモヤモヤすることの一つに「仕える」の使い方がある。

 

日本人クリスチャンの人たちが、よく「牧師に仕える」「教会に仕える」「人に仕える」と使います。これを聞くたびに、私は「私のマスターは神さまだから、私が仕える先は神さまであって、牧師は私の主ではないし、私は教会の奴隷でもないのになあ。」と違和感を覚えてしまうんです。

 

でも、クリスチャンにそれを言うと、「え、何を言っているの。そんな意味で使ってるんじゃないよ。」「そんな風に思うのはあなただけよ。」「人に仕えられなければどうやって主に仕えることができるか」「牧師に仕えるのは当たり前」と返されます。

 

日本人クリスチャンの人たちは、「仕える」を、英語の"serve"という言葉の意味として使っているんだな、と言うことが分かりました。

 

serve:
食事や飲み物を給仕する、誰かに何か必要/ヘルプを提供する

(serve under~)~の下で働く、(serve in/on~)~で働く

 

でも、私は「仕える」と日本語で聞くと、このserveという英単語の意味ではなく、日本語の「仕える」の意味の方をイメージします。

 

仕える:

目上の人のそばに居て、その用をする。その人を主君・主人・長上として、その人のために働く。

 

イメージとしては、下僕が君主に、女中が殿さまに、執事が主人に、というイメージ。

 

使い方が、意味の認識が、違うんだ、と分かったところでスッキリしないでまだモヤモヤしているのには、理由があるんです。

 

理由1)

気づかないうちに不健康な考え、視点になっている恐れがあるー牧師崇拝、教会崇拝。

フォーカスが神さまじゃなくて人や教会になってしまっている

 

理由2)

聞く人に間違ったクリスチャニティへの理解を与えがち。

(日本人のノンクリ友の10人に聞いたところ、「~に仕える」と聞いてふと思いついた意味は、日本語の「仕える」の方であって、英語の方ではない。)

 

私の願いとしては、日本人クリスチャンに「人に仕える」という意味が日本の一般社会で使われているものと違うという自覚を持って、話すとき意識をして言葉を選んでほしい。

 

日本のクリスチャン人口は1%から増えないと嘆かれることが多いですが、クリスチャンが日常的に使っている単語や表現から、「キリスト教という宗教」の誤った理解や印象を与えているという現状もあるんじゃないかなー?と思うのです。

 

April 25, 2024補記ー

「仕える相手は神さま」というのが、「そうだよ」って言ってくれてるんかなーって思う聖書箇所を最近2つ与えられました。

1コリント人への手紙12章5節(新改訳2017版)

奉仕はいろいろありますが、使える相手は同じ主です。

 

エペソ人への手紙4章12節(リビングバイブル)

なぜこのように、それぞれに賜物が与えられたのでしょうか。それは、神の民となった人々が、神のためによりよく働けるよう整え、キリストの体である教会を、力にあふれた、完成した状態へと建て上げるためです。 

 

エペソのほうは、最初新改訳を読んだときは「奉仕の働きをさせ」とあって、なんだか良く分からなかったんですが、リビングバイブルや英語のいくつかの訳にServe Himってあって、そういうことか!と思いました。

(2024年4月10日編集・補記)

最近見つけた「いいな」て思わせてくれる動画配信をシェアします。

 

目的は、誰かが「キリスト教のこと調べてみよう」て思った時、変な&間違った&すごく偏った情報から守って、クリスチャニティのこと、神さまのこと、知ってもらいたいなあ、です。

 

インターネットでも、本でも、日本語でクリスチャニティについて検索すると、「違うぅ―――!間違ってるー!!!」という内容が、あまりにも多くて、そういう間違った情報によって「Christian」や「Christianity」や「Christtianが信じている神さま」を誤って理解してほしくない!

 

真に、神さまのこと、クリスチャンのこと、クリスチャニティのこと、知ってもらいたい、と思って、「この人たちの発信している情報なら、信頼できるなあ」と、私が個人的に思うものを個人的な判断で、シェアすることにしました。

 

また、前回の記事にものせましたが、人間は、間違えることがあります。誰も完璧な人はいません。私も含めて(というより私はよく間違えるし失敗する^^💦)。だから、ここで紹介する方々も「ん?」ていうところはあると思いますし、神さまの目から見たら「違うんだよぉー」ていうところ、あると思います。だから、一番大事なこととして、どの情報源を聞くとしても、神さまに直接聞きながら聞く、どれを受け取って、どれをスルーするのか。ということです。

 

これからも、新しく何か見つけたら機会がある時にシェアしまーす。

 

ティムクリ

 

ティムクリさんの好きな所は、いろんなことを指摘した後、その人たちのために祈ろう!て呼びかけるところです。聖書の内容を解説、というより、Christianityのメンタリティというか思考回路みたいなものを理解するのに役立つかな?と思います。社会で起きている色んな不健康な事件や社会情勢なども積極的に発信されています。

 

菅平バイブルキャンプ

三綿直人さんのお話、キリスト教のこと信じてないけど知ってもいいかな?とか、キリスト教って一体何もの?!という方にお勧めだなって思いました。この三綿さんは他のチャンネルでも1本20分前後の動画配信をされていますが、私はこの菅平キャンプの長さの動画の方が三綿さんのメッセージの魅力がいっぱい出てるなーって思いました。(いつも通り、思いっきり主観的な感想です^^;)そして他の方々同様、三綿さんのお話にも私個人的には「ん?」はあります。もし皆さんが「ん?」と思うところがあれば、神さまに持っていて聞いてくださいー!

 

以前にリストアップした方々の紹介記事はここから見れます

 

(2024年4月10日補記)

いつもそうだけど、今日書くことは、まさに「私の主観的な、私の視点から」書きます。

 

でも、私のことを信用してくれる人がこれを読んでくれてるとしたら、

どうか、このことを心にとめて聞いてください。

 

前々から、思ってたことがありました。

 

「うぁー、日本語で書かれたり発信されている「キリスト教について」の情報って、

おかしい点が多い!間違ってない?!ていうことが多い!大事なことが触れられてない!」

ていうこと。

 

キリスト教のことをあまり知らない人たちが、こういう情報を目にしたら、聞いたら、

その誤った内容をキリスト教だと勘違いしてしまうではないかー!汗&怒

と。

 

なので、もしも何かのきっかけで、「キリスト教のこと、知ってみようか」とか

「のぞき見してみようか」とか「信じてはいないけど知識として入れておこうか」とか

思われたのなら、この人たちの発信している情報やメッセージは信用できます。

 

もちろん、解釈において、「ん?」て思うことや「んーーーーーーー」って思うところもあります。

でも、歴史的事実や時代背景、言語の訳や持つ時代的な意味等の情報は、信頼できることが

多いんじゃないかと思います。

 

※下に私が今回あげる方々以外にも、信頼できることを発信していらっしゃる方は

沢山いらっしゃると思います。今回は、私がこの1-2年でYouTubeで色々聞いた中から、

「それはおかしいでしょう!怒」というものも結構沢山ある中、危険な偏りがあんまりない、

信頼できるんじゃないかな、と思った方の4名を紹介しています。

 

名前をクリックすると、その方のYouTube動画(音声のみのものもあります)が聴けます。

松本さん

中川さん

高原さん

中川洋さん

(2023年11月27日、更にお二人紹介しました、ここからどうぞ

 

皆さんそれぞれに特徴があって、面白いです。以下、思いっきり私の超個人的なコメントです。

 

松本さんは、まじめで柔らかいイメージで、ときどき笑えるスパイスを入れてくる。

きっと中川さんが大好きなんだなーって感じますが、中川さんにくらべるともう少し柔らかい内容で

人間が疑問に思ったり知りたいって思うツボをテーマにししてくれたりしていますので、

入りやすいかも?「やわらかい」を思わず2回も使ってしまいましたが、数本動画を見たら

その表現が分かってもらえるんじゃないかと思います^^。松本さんの体験談をちょくちょく

シェアしてくださってて、神さまの働きを心で感じやすい気がします。惜しみなく主にすべてをささげ

頼り頼み、聖霊の導きによって歩み中の松本さんの人生が、これからどう主に用いられ導かれて

いかれるのか、楽しみだなーって思いながら動画を楽しく見させていただいています。

わたし個人的に「ん?」て思う部分もありますが、沢山いいお話を聞かせてもらってます。

 

中川さんは、知識が豊富な方で、ウィットに富んだトークが、私は好きです。

その頭の良さと知識のすごさ、トークの上手さと日本社会のトップ企業での経験や海外経験から、

男性や社会的な地位や成功が大事な方にも「この人の話なら聞こうか」と思わせられる力を

持った方だなあと思います。うちの父はこの中川さんがいいのかも?プロゴルファーの中島常幸さん

とお友達らしく、中島さんのエピソードが出てきたりもします。

 

実は私がカナダでChristianになった頃は、中川さんのトークを聞いてすごく拒絶反応を感じていました。

宗教臭い感じがしたり、上からトークダウンする感じが、すごく嫌だった!笑 でも、去年くらいかな?

に、久しぶりに聞いたら、なんと興味深い話をしてくれるんだーと、自分の変化に驚きました。

あ、でも多分中川さんがお若くいらした頃のトークはひょっとしたら未だにあまりすきじゃなかったり

するのかもしれない?笑 

 

「神さまとの愛の関係」のことをもう少しFocusしてくれたらうれしいなと思う時もありますが、

彼は彼のカラー、角度からのトークだから、これはこれでいいかー、とか、

日本人にアプローチするのはこういう方がいいってことなのかなあ、などと最近は思いながら

中川さんが、この世で与えられた残りの時間に、自身が得られた知識をできる限り

世と分かち合って、残して行きたい!、という思いで働いていらっしゃるのかなーと、勝手に

感じながら、感謝していつも聞いています^^。

がっつり聖書を詳しくしり理解したい、という方に向いてるかな?

 

高原さんは、最近聞き始めました。大阪弁で話される、また上のお二人と違うキャラで

彼流のカラーで色々と情報を発信してくださっています。テーマ別に数回のシリーズで語って

おられます。中川さんが、世界に広く認められている文書や情報からのコメントやなるべく

プレーンんな表現で話される一方、この高原ごうさんは、かなり「ごう節(ぶし)」トークです。

だから、好き嫌い別れやすい方かも?

私個人は、一番最初に見た動画が、自分が賛同できる感じじゃなかったので、はじめは

あまり共感を持っていませんでしたが、歴史がすきじゃないけども聖書をもっと理解するために

歴史や社会情勢を知りたい、けど難しくてよく分からない、という自分には、

リソースがどこなのかって分からなくてもごう節で語られる歴史トークは、面白く聞けるところが

今のところ、好きです。前述のお二方と同じでわたし個人的に「ん?」て思う部分もありますが、

沢山いいお話を聞かせてもらってます。関西流トークが好きな方はいいかも?

 

中川洋さんは、前述の中川健一さんの息子さん。昨年くらいかな?数回しかまだメッセージを

聞いたことがありませんが、とっても優しくて穏やかで柔らかい。そしていいなって私が個人的に

思うのは、洋さんは、聖書の理解の中でも神さまとの個人的な愛の関係にフォーカスしてるなって

思うところです。

心が弱っている感じの時は、この中川洋さんか、松本さんがいいかも^^?

 

また他にも誰か見つけたらシェアします。

 

そして、大切なことは、誰であっても、たとえ上の方々であっても、人間は、間違えます。(私なんかは

間違えてばっかりです^^💦)だから、言っていることすべてを鵜呑みにしないでください。

「え?!」「ムム???」て思ったら、周りのChristianの人たちがいたら、聞いてみてもいいし

(あ、でも周りのChristianも分かってなかったり間違ってたりします、結構^^;)一番いいのは

「聖書に書いてある神さまー、いるんだったら、これ納得いくように教えて!これおかしくない!?

どうなん?!教えて!」て直接聞いてみることです。

 

あなたが神さまを信じているいないにかかわらず、神さまは、あなたの声を聞いてくれてます^^。

 

聖書には、本当に解釈を間違えると、危険なこと、いっぱいあります。

皆さんが、そういう誤った方向へと流されて行かないように、祈ります。

 

イエス様は言っていました。

最も、大切なことは、心と、魂と、思いと、力いーーーーっぱいに、神さまを愛すること。

これ以上大切なことはない、と言っていました。

そして、2番目は、自分を愛するのと同じように隣人を愛すること。

つまり、神さまがあなたの周りに置いてくれた人々を、愛すること。

家族、友達、クラスメート、職場の同僚や上司、部下、親戚、近所の人、習い事や

何かしらのきっかけで知り合い関係ができる人たち。

これに反することは、正しい解釈ではない、ということですね。

先日、拒絶される悲しみを、久しぶりに感じました。

 

日本に住む母と姉。いつも娘の誕生日やクリスマスに、こまめにプレゼントを送ってきてくれる。その度にわたしや夫にも何かしら送ってくれたりもする。本当に感謝してます。

 

この何年もこちらからは何も送ってなかった。12月生まれの二人に、久しぶりに誕生日プレゼントを、感謝の心とお祝いの心を込めて、送ることにした。夫も「こんなにいつも愛を注いでくれてる2人なんだから、お金のことは心配しないでいっぱいお祝いしてあげて」言ってもらって。

 

私なりに色々考えて、祈ったりもして、(でも結局自分の思いで選んじゃったけど💦それがまず失敗か💦)色々健康面で痛みを覚えている二人に、て思ってそれぞれの症状にいいだろうものを色々調べて、選んで、買った。あと、自分たちでは買わないだろうなーって思うもの、にした。

 

本当は、メインはお花やモノづくりが好きな二人に、お花屋さんのクリスマス飾り作りワークショップもあげたかったけど、12月は忙しいからスケジュール的に無理、て言われたので、今回は品だけにしようか、てなった。

 

でも、届いたその品はほぼそのままカナダに荷物で送った、とメールが届いた。気持ちだけ受け取るって。

 

麺が好きな家族だから、とか、子供の頃マドレーヌ喜んで食べてたなとか、他のスナックは二人が好きかなーってものを選んだり、効能なんかも色々調べたり、二人の健康のこといっぱい考えたんだけどなぁ。

 

考えすぎたのがよくなかったかなぁ。

もっと「プレゼント」っぽいものにするべきだったかなぁ。。。

 

失敗でした。大失敗。自分たちにムダ金だったどころか、相手に郵送料を払わせることに。送り状とかも面倒なのに。

 

みー達からのだから、せめて試してみようか、とか、せめて「これ何?」とか質問もされないまま、拒絶されたのが、ショックでした。

 

でも、その時思ったんです。

 

うわぁ、私みたいに相手にとってベストが何か分かりもしない者が拒絶されて、こんなに悲しいけど、神さまは相手のベストを知っていて、そのベストを贈り物として差し出してくれているのに、それを想像もつかないような人数の人から(もちろん私自身も含めて💦)気の遠くなるほど何年も何年も毎日拒絶され続けて、一体その悲しみや寂しさの大きさは、どれほどなんだろう。

 

て。

 

そう思うと、途方に暮れるほど、想像すらつかなくて、胸が痛くなった。

 

で、その気の遠~~~~くなるほど毎日物凄い数の拒絶を受取り続けて、それでもなお、変わらない愛で、忍耐強く、待ち続けてくれて、その間もずっと守り導いてくれて、神さまに背中を向け続けたり無視し続けたり冒涜したり反抗したりし続ける私たちを、無条件に、そして誰よりも深くずっと愛し続けてくださってるんですねっ

 

ていう思いが来た。

 

神さまの愛は、忍耐は、心は、なんと深く広く、すごいんだろうー。。。て考えたら、何とも言えない圧倒的な愛が胸の中でブワーっと込み上げてきた。

 

神さま、ごめんなさい。

そして、ありがとう。

あなたの愛をもっと受け取れるものへと、もっと私を変えてください。

 

小さなショックをきっかけに、主の心の深さ、広さ、主の愛の壮大さ、器の大きさに、圧倒される経験ができたことが、あんまりにもうれしくて。

 

かみさまー、ありがとうー。

あとね、この2人には、いつ何をしたらいいかも、教えてください。