自分は、表現、情報発信が大の苦手で、少しは鍛錬しなくては!と常づね思ってます_汗^^;
そんなところへ、時々、ハテナブログでコメントなどで交流させて頂いているとみいさん (id:tomii23)が最近、次のような記事を投稿されていました。(一部抜粋させて頂きました)
“素敵な指揮者 - 日日平安part2
・・カルロス・クライバー さんを観て、指揮とはまさに表現力ということを感じさせられる。
「手話」を越えた「体話」とでもいうのか、からだの動きやすばらしい笑顔で演奏者たちを楽しく導いていく。
クライバーさんが、クラシック音楽のファンから、そして多くの演奏家からも絶対的な信頼を得ていた大きな理由は、音楽と向き合う姿勢に深い誠実さが見られるからであろう。・・
・・カルロス・クライバー さんを観て、指揮とはまさに表現力ということを感じさせられる。
「手話」を越えた「体話」とでもいうのか、からだの動きやすばらしい笑顔で演奏者たちを楽しく導いていく。
クライバーさんが、クラシック音楽のファンから、そして多くの演奏家からも絶対的な信頼を得ていた大きな理由は、音楽と向き合う姿勢に深い誠実さが見られるからであろう。・・
”
Kleiber Japan1986 Encore"Unter Donner und Blitz"
上のとみいさん (id:tomii23)の記事、そしてカルロス・クライバー さんの指揮をする姿を見て、表現って言葉だけじゃ無いんだなーって、つくづく思いました。体の動き、表情、そして、いかに心から感情を込めるかが大事なんですね。
“・・「皆さんの演奏が勝り私が無用になること。そんな演奏が私の夢です」
演奏を指示しながら、観客として楽しんでいるようにも見える。「指揮者は第1番目の観客なり」というように。そして、調和の美というものもたっぷりと表現していた。・・
演奏を指示しながら、観客として楽しんでいるようにも見える。「指揮者は第1番目の観客なり」というように。そして、調和の美というものもたっぷりと表現していた。・・
”
表現って、必ずしも1対1あるいは1対大勢と向き合うばかりでは無く、目的(美の追求とか・・)に向かって一緒になって同じ方向を向くって事も大事なんだなーって思いました。
“・・アンコールの定番なのであろうか『ラデツキー行進曲』では観客に向かって拍手で参加させる。そのテンポや強弱。その指揮のうまさで、あたかも楽器の名演奏をしているような気分にさせられる。
演奏者も、観客も、そしてテレビを観ている私も、一体化してカルロス・クライバーさんの世界の中で、戯れられるひとときが広がる。・・
演奏者も、観客も、そしてテレビを観ている私も、一体化してカルロス・クライバーさんの世界の中で、戯れられるひとときが広がる。・・
”
普段、あまりクラッシク音楽には興味の湧かない自分ですが、上の記事と動画には、表現力、情報発信力向上の為のヒントを貰った気がしました。
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