日本に野球というスポーツが広がった大きな流れに
旧制一高の存在があります。
明治20年代の野球は「一高時代」
中馬庚もその黄金時代の選手のひとりです。
一高時代から明治30年代は早稲田・慶應の早慶戦の時代に入っていきます。
その早稲田が、1904(明治37)年に一高に勝利し、そのあと、慶應にも勝利し
早稲田大学は日本最強となった。
その、ご褒美に
早稲田大学野球部監督 安倍磯雄氏が大学を説得し
野球の本場にアメリカに3か月の遠征をした。
それは、明治時代に日本独自に発達した野球に
大きな変革を与えた遠征となった。
『早稲田大学野球部第1回米国遠征』は1905年に行われ、
日本の野球技術向上に多大な貢献をしたといわれています。
初戦のスタンフォード大学戦では、バントやスクイズで
散々塁上を暴れまくられ、バントを「ブント」と言っていた
早稲田チームは失策も絡み1-9で大敗したそうです。
バントシフトやバントで点を撮りに行く野球は
この時覚えて言ったテクニックで、
学生野球の原点となった、大事な1戦だったように思えます。
当時の早稲田野球は、バントヒットを試みようとすると
安部監督から
「打つのか打たないのかはっきりしない攻撃はよろしくない」と
言われていたそうなので、
攻撃はバンバン振りにいくのが常だった。
一行はメジャーリーグも観戦したようで、
本場の野球を驚きの気持ちで見たに違いない。
この時、輸入してきた技術は
●ウォーミング・アップ
●バントは卑怯な作戦ではなく有効な作戦
●セーフティ・バント、スクイズバント、犠牲バント
●ワインドアップ投法
●打者のタイミングをはずすチェンジオブベースの活用
●二塁手、遊撃手との連係プレー
●声の掛け合い
●ランナーコーチの設置
●ヒットエンドランの活用
●牽制球、ダブルスチールなどのトリックプレー
●シングルハンドキャッチ
●スコアブックの使用
その他色々・・・・
約2ヶ月の遠征で多くの野球技術を勉強し、早稲田の投手であった
橋戸信は「最新野球術」を著した。
(橋戸信は都市対抗野球の「橋戸賞」)
今でも、野球の基本である上記の技術は
この時輸入されたもので、まさしく近代野球伝来というところでしょう。
1905年は日本野球にとって革命的な年だったのです。
1905年はメジャーリーグの歴史の中でも
特別な年でもあります。
あの、野球の神様
スモールベースボールの寵児であり、野球を変えた男
タイ・カッブがメジャーデビューした年でもあります。
一方、ナショナル・リーグは
ジョン・マグロー監督率いるニューヨーク・ジャイアンツが
全盛を極め、エース クリスティー・マシューソン投手が
ワールド・シリーズでは3試合に登板3完封という無双なピッチングをしていた。
早稲田野球部の選手たちはきっと見ることはなかったと思いますが、
ちょっと不思議な巡り会わせを感じます。
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