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~さがしつづける旅路~

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2012.5.21 父が他界しました。

自殺でした。

父を亡くした私の心の整理のために書いてます。

苦手な人は読まないでくださいm(_ _ )m

一計を案じて

名古屋の大学を受験することになった父は

勉強して見事に合格した


親元を離れて

名古屋の地で自由になった父


今までの鬱憤を晴らすように

自由に遊びほうけるかと思いきや・・・


そうでもなかった

と、思える



実はこのくらいの時期の父の話は

ほとんど聞いたことがないのだ


知ってることは

大学を辞めたことくらいで

母も詳しく知らない


私が男同士の話で聞いたといえば

居酒屋やスナックのママによく可愛がられた



その流れで借金の取立ての仕事をしてた

つまり・・・

ママの代わりにツケの回収を行い

自分の報酬はお店で飲ませてもらうという按配だ




私が知ってるのはこれくらいで

きっと派手に遊んだりしていれば

少しくらいは話しただろう


これはあくまで推測だが

大阪で悪童のかぎりを尽くしていた父は

きっと祖父への反発心もエネルギーになっていたのではなかろうか


それが親元を離れることで

エネルギーが小さくなって大人しくなってしまった

と、考えている


もちろん生家を離れて

お金がなかったことも理由の一つになるだろう



頭も良く

手先の器用だった父はこの期間に

いろんな仕事をしてみたらしい



そして


あるとき


天職ともいえる職業に出逢う



父は機械を売る商社に入社した



父の中に眠っていた能力が

今、まさに

目覚めようとする瞬間だった


父は高校生になり

そのやんちゃぶりに拍車がかかっていたころ



父の自由奔放な悪童ぶりに

困り果ててた祖父と祖母に朗報があった



祖父のいた大手生命保険会社が

四国の高知県に支社を設立することになった


その支社長に祖父が就任した



大阪で悪童を尽くした父も

高知の田舎に無理やり連れていかれれば

大人しくせざる負えなかった


それほどに辺りに何もなく

海しかなかったという


父曰く

遊びといえば釣りくらいしかなく

毎日釣りしてたと聞いた


そんな父の様子にほっとしていた祖母と祖父



しかし


それも束の間の安息に過ぎなかった


そう

息子(父)はもうすぐ受験を向かえるのである


祖父は「○○は目の届くとこに置いておかないと何をしですかわからん」

「そのうちどんでもない事件でも起こすのではないか・・・」と

本気で心配していた



もともと短い任期の予定だった高知の支社長就任であれば

祖父は自分が戻る予定のある大阪の大学を受験させ

親元を離れないようすることを考えていた


が。。。。

父は当たり前のように真逆のことを考えていた


一刻も早く家を出たい父は東京に進学しようとしたが

祖父に「一人暮らしは絶対に許さん!」と

反対されて上京を断念した・・・が!


それであきらめる父ではない


「名古屋に住んでいるおばさんの所に下宿する」という妙案を思いつく


父は思いつくやいなや

自分で名古屋のおばさんに連絡を取り

さも祖父も認めてるような口調でおばさんの了解を得てしまったのだ



「一人暮らしだけは駄目」と反対していた祖父もしぶしぶ承諾した



こうして父は祖父のもとを離れて



名古屋にくることになった




父は立派な悪童に育った


当時、同じ学校に

体が大きく、喧嘩が強くて近隣の学校では有名だった人がいた


その喧嘩の強い人が学校の番長で一番の親友だった


その番長は生涯の友となり

最後にお世話になった人でもあった



若き日の父の悪童ぶりは相当なものだったらしく

父が祖母の話をするときに

「おばあちゃんには迷惑をたくさんかけた」と申し訳なさそうな顔でよく話していた


父は10代の半ばには

喧嘩、賭け事、お酒、女を憶えていく



祖父から母が聞いた話によると


お酒を覚えた父はまだ15歳にも関わらず

祖父が馴染みにしてたホステスのいる店をまわり

祖父のツケでさんざん飲んだというから笑える




もちろん帰ったあとに祖父に殴られたことは

聞かなくても想像できてしまうであろうが


そんなことで反省する父ではない





父は祖父が手に負えない悪童になった






当時を知る人は言う


「君のお父さんは頭の切れるすっごい悪だったけど」

「なぜか憎めない人だったんだよな~。」




父の類まれな人懐っこさは

この頃からだったのではないだろうか