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~さがしつづける旅路~

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2012.5.21 父が他界しました。

自殺でした。

父を亡くした私の心の整理のために書いてます。

苦手な人は読まないでくださいm(_ _ )m


父は母の何に惹かれたのかわからないが


すぐに気に入ったらしい


父は「あんなに金払いの悪い女はいない」と笑いながらよく言ってた


というのも


鉄工所の経営状態が楽な状態でなく

機械の代金の支払いに絡むことから社長は逃げていて

商社(担当:父)の対応を母に任せていた



父が検収や支払いの交渉にくると

母がやんわりとかわし続けた


学生時代は荒っぽいならず者から飲み屋のツケの取立てをしてた父も

にこにこと笑顔で迎えながらやんわりとかわす

母の粘り強い対応には苦労したようだ


父は母の対応に彼女の能力を感じたという



父はすぐに母をデートに誘った


当時恋人がいた母が躊躇するのも関係なく

父は様々な理由をみつけては強引に母を連れ出していった


父曰く

「自分から一生懸命に口説いたのはお母さんだけだ(笑)」らしいw

母が「恋人がいる」と父に伝えても

諦めるどころか、まるで気にするそぶりもみせず逢いにきたらしい

父はとまどう母を上手に連れ出してはデートを重ねた


ある日

母の恋人の母親が

母のこと(祖父が病気がち、兄弟多い、自営業)を知り

彼と母の結婚に反対しているのがわかった父は


「そんな男はすぐに別れてオレと結婚しよう」と

求婚した



とまどう母をよそに

父は自分から周りにどんどん挨拶していき

母が返事ができずに迷ってる間に

外堀は完全埋められていた


元の恋人とも正式に別れた母は

父との結婚を決めた


二人は皆に祝福され

あたらしい家庭を作った



約40年も前のことである

鉄工所を経営する祖父の長兄の手伝うことなった母は


経理の勉強をしながら経営の補佐についた、、、とういか運転手としてついた




この当時は祖父の世代では自動車の免許も全員がもってるわけではなかったため

学校でよく勉強ができた母は

卒業後すぐに会社から自動車の免許をとりにいかされ


次の月から

出張時などの足代わりになった


まだ免許とりたてのときに愛知県から富山県まで運転した話は少なくとも10回以上は聞いた(笑)



また経理の知識も身に付き

ほどなくして会社の台所をきりもみするようになった


祖父の長兄であり母の伯父さんである社長の信頼も厚く

実子の長男がいるにも関わらず

「オマエが男だったらオマエに会社を継がせたいよ」と言われていたらしい



もともと軍の仕事が大半を占めていた鉄工所は

戦争終結とともに仕事が減り、弱電関連の仕事に進出しながらも

軍の仕事に代わるほどは量がなく経営は苦しいときだったことを思うと

会社の台所を預かるのはさぞ大変だったと思われる




そんな中


年頃の母は恋もしていた



高校生のころテニス部だった母が趣味のテニスで知り合った男性で

とても優しい爽やかな青年だったらしい


叔母曰く

「あなたとお父さんよか、よっぽどハンサムだったわよw」とのコトで

すらっとしたイイ男だったようだ


彼と2~3年お付き合いさせていただき

将来を約束していた



が。。。



「そろそろ僕らも・・・」と彼の方からプロポーズを受けた母は

「もう少し待ってください」と、、すぐに承諾しなかった


大きな理由としては

自分の生家の事業であり、現在の勤め先でもある鉄工所のことがあった


「今、自分が結婚して辞めたら○○製作所は・・・」

「○○製作所に何かあれば彼にも迷惑をかけてしまうのではないだろうか・・・」

そう思うとなかなか彼の求婚を受けれなかった


優しい彼も「○○ちゃん心が定まるまで待つからいいよ」と理解してくれた


母は心苦しいながらも彼に感謝していた



その後


しばらくして


会社の起死回生の一手として

社長が苦心して取ってきた新しい仕事をするため

今までに無い機械が必要になった


その時に営業にきたのが

当時、飛ぶ鳥を落とす勢いで伸びてた機械商社のエースであった


若き日の父であった





~~
生還した(母方の)祖父は曽祖父と兄が経営する鉄工所で働き始めた



そして


知人の紹介で祖母と知り合う



祖父は背が低くやや細身の体格で

性格は辛抱強く真面目で頑固で寡黙でインテリな男だった言う


私も祖父が「無口なおじいちゃん」であった印象を持っている



そんな祖父の性格からは想像つかないが

祖母とは一目惚れで大変な惚れこみようだったらしい


今でいうところの電車3区分の距離を

祖母に会うために毎日歩いて逢いに行ってたようだ


祖父の想いは成就しほどなくして

二人は結婚し子宝に恵まれる


それが

私の母であった


祖父と祖母は仲睦まじく暮らし8人の子を授かった


長女(母)、長男、次女、三女、四女、五女、次男、六女の順で

8人兄弟のうち女6人という女性が中心の家庭となる


その家の長子として生まれた母は

面倒見がよく責任感の強い子に育った


一番上の母と末っ子の六女とは

実に20歳も歳が離れており

六女と私は6歳しか変わらないのである


私がまだ物心付く前には

10歳差の次男と六女と私を連れて買い物に行くと

「よく3人の子持ちに間違えられた」と母がよく話していた


家族、兄弟はとても仲良く大人になってからも

この地を離れることがなく

今でも祖母の住む家から30分圏内に全員が住んでいる


また祖父の実家の鉄工所と隣接した家に住んでいたため

祖父の兄弟たちの家とも隣や向かいの家という状態だった


子供のころは従兄弟が隣の家や向かいの家にわんさか住んでるので

他所の人には誰がどの家の子かわからないくらい行き来しながら

大勢で賑やかに暮らしていた




孤独な幼少を過ごした父とは雲泥の差で


母は家族愛に溢れた家に生まれ、たくさんの親族に囲まれて育っていく





「年上の子供が幼い子の子守をしたり

家の手伝いをするのはあたりまえ」との家風(時代?)もあり

上の子供して生まれた母は小さい兄弟の面倒をみながら成長した


裕福な家庭ではなかった・・というか

どちらかというと質素な暮らしをしていた家であったが


母は最初の子供ということもあり

私立の高校を受験し通わせてもらった(お嬢様の進学校という校風)


小さい家に10人の家族が暮らしていたため

リアルで、みかん箱に懐中電灯で受験勉強をしていたらしい


「本当かよ・・(-ω-ll)」と突っ込みたくなるが、事実である


十代の母は将来は学校の先生になるのが夢で

大学進学を希望していた






当時、祖父の長兄(生きてる中で一番上)が経営していた鉄工所の業績が悪くなったため



身内であった母は進学を諦め


鉄工所に勤めて

祖父の長兄を手伝うことになった


これが

母が経営者としての道を歩む第一歩であった