雑念ランニング | 和なGo to Sydney

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シドニーでまったり生きてる京都人(´-`).。oO

“雑念”しかない私のランニングタイム。
 
 
ランニングはマインドフルネス
とよく聞く。
ピラティスも動くマインドフルネスだ。
ピラってる時は
指先まで
つま先まで
意識を向けるから
雑念はない。
これは10年以上やってる賜物だからか。
 
 
 
ランニングは?
走りながら雑念しかない。
腕だるい
あ、だるいん消えた
今何キロだ?
あと1キロやーん
あの人頭振りながら走ってる
あの人肩もりってる
あ、あの人フォーム綺麗
あの人早いな
あの人綺麗だな
あ、あの人
あ、あの人
あ、あの人、、、
 
 
 
いつのまにか人と比較しだす。
 
 
 
どんな事でも
ひょっとしたらそうなんかも。
思考の癖なのかも。
ついつい比較する
隣の芝生が青く見える。
そして言い訳する。
 
 
こうだから、
あぁだから、
私には出来ない、
私には無理なんだ。
だからあの芝生は手に入らない。
 
 
どの言い訳も
しょーもな、って思う。
ほんま言い訳する
自分が嫌い。
 
 
 
周りと比べ、
自分を否定する思考の癖。
一番自分を認めてないのは自分。
 
 
叶恭子さんのSpotifyで
“芝生がなければ植えればい”
って言葉が印象的だった。
 
 
 
あおあおとした芝生、植えたい。
 
 
 
最後に心臓破りな坂道きた。
そうジム前のやつ、
どぎつい坂。
 
上がるかどうか悩んだ。
辞めることは簡単だ。
途中で降ったっていい。
歩いたっていい。
なにもクラスみたいに
3往復しろとは言わない。
 
 
 
そこで
上を見て走るのをやめた。
下だけみて走った。
上をみたら
まだまだある
きつい、苦しいしかないから。
 
 
下だけ見て
よたよた坂をあがった。
そしたら気がついたら
頂上だった。
 
 
早く走るとか
綺麗に走るとか
どんなけ走ったとか
上を見たらキリがない。
 
 
ランニングだけじゃなくてさ、
きっと人生もそうなんだろうな。
上ばっか見ててもキリがない。
今がしっかりしていたら
それでいいじゃないか。

うん、ランニングも人生も
坂道は足元を見とくのありだな。
引っかかってこけることないし。
 
 
小さな一歩で着実に、
ゆっくりあがる坂道のように、
継続して気づいたら
芝生もうわってくるのかもしれん。
 
 
 
あ、ランニングで悟りがひらけたかも。
そんな私の雑念ラン🏃‍♀️
 

 

 
ほなのっ!