12月の東京出張 | 鉄道省半田鉄道局

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1/80鉄道模型(Jゲージ)工作記事を中心に、鉄道と身の回りの出来事を書いてゆきます。
​(平成26年11月8日Yahooで開設、令和元年6月22日こちらに移転しました)

先週17日の日曜日に高校同級生との飲み会以降、風邪気味の上、貨車の資料を県としていた関係で工作もブログも停滞。風邪は鼻炎が主で、ようやく癒えて来たところで、東京出張となりました。

12月22日は冬至で、快晴。浜名湖の辺から富士山が見えだしました。写真は浜松東近郊ですが画面右寄りのマンション?3棟のちょっと右に富士山が見えます。

富士川橋梁。架線柱に被らない様、綺麗に撮れました。0系時代には富士山が綺麗に見えると少し歓声が上がったものでしたが、窓が小さくなってからは車窓に興味を持つ乗客が減ったように思います。もしグランクラスができるようだったら、それは大窓にしたらよいですね。

品川の仕事は半日で終わり。名古屋へ帰っても効率が悪いので午後半休とします。品川から浅草線→東西線で竹橋に向いますが、品川で写真を撮ってみました。短い間隔でどんどん来きます。

国立公文書館は平日なので空いています。この日は大井川鉄道。大井川のト100形を国鉄ト20000形の最終番号後に付番して、偽ト20000として保存しています。実は日車で大井川鉄道向けに製造したト100形は短軸(設計図)なのに、現車は国鉄ト20000と同じ長軸という謎があります。もしや戦後国鉄から譲渡車があり車籍が入れ替わったりしていないか?と疑問を持っているのです。それを確認したい。最初に頼んだS28-32ははずれですが、電気運転開始や国鉄の社型電車購入などの資料が貼っていて、一応記録(写真複写)しました。

続いて頼んだのがこれ。大正11年~昭和6年まで5冊です。他に昭和7~26年の2冊がカウンターに待機中。ボリュームにドン引き。でも大正11-14年の一巻は「駿府鉄道」計画から「大井川鉄道」設立までなので、車両研究には関係なしとスルーしました。ここまで手を出すには、寿命を300年程頂かないと。

ト20000形の資料は時間切れで次回以降になりましたが、興味深い資料はやはりありました。開業当初、客車は鉄道省から横開きコンパートメントタイプの2軸客車の払下げを受け使用していましたが、昭和9年9月1日付申請で内田鉄道大臣に改造を申請しています。やはりコンパートメントでは客扱いに都合が悪いということで、中の3扉を閉鎖し座席を400㎜カットして通路化し「準貫通」に改造しました。鉄道省で貫通式に改造したものは妻板にも貫通扉、幌を設けたもののあったようですが、大井川のは妻板には手を付けず「準」となったようです。

他にも、新造貨車のブレーキの押棒式を引き棒式に変更せよと鉄道省から指導を受けていたり、C12同型車に省から細かい問い合わせ攻勢が来ていたりとか、興味深い内容が満載です。やはり一次資料に当たるのが一番面白いですね。

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