鉄道省半田鉄道局

鉄道省半田鉄道局

1/80鉄道模型(Jゲージ)工作記事を中心に、鉄道と身の回りの出来事を書いてゆきます。
​(平成26年11月8日Yahooで開設、令和元年6月22日こちらに移転しました)

水曜日は、待ちに待った?機炭間渡り板を作りました。

渡り板はキャブ床板やテンダデッキ板に合わせて,t0.3網目板を用いました。ヒンジはΦ0.5洋白線をハット形に曲げ、両端をΦ0.8-0.6パイプに差し、これをキャブ後部ブラケットに、半田で線とパイプが固着しないよう用心して半田付け。渡り板を現合で洋白線に半田付けし、固定しました。

横から見たところ。高さがぴったり合っており「やれやれ」です。テンダのデッキ板の高さをニアスケールに修正したのが活きました。

R610カーヴでの様子。外側はずいぶん外へはみ出ました。幅はスケール通り(2,400÷80=30)ですが、前後が長いので、はみ出しを減らすよう、両サイドを斜めにカットした方が、見栄えは良いかもしれません。

なお、R610では、従台車の首振りが苦しい部分があります。従台車の後端に飛び出た緩衝装置が、火格子揺動シリンダと微妙に当たるのです。揺動シリンダを1㎜、後方にずらす必要があります。R730での試運転ではショートがまったく無くなり、気持ち悪いくらい快調です。

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月曜日は鉄道記念日ですが、台風の被害のお陰でお祝いムードは無し、です。引き続き黙々とD51を続けます。

先台車の復元は、今回、Φ0.3ピアノ線の残材があったので、使ってみました。東急ハンズで買ったことは確かなのですが、何のために買って何に使ったのか思い出せません。軸箱ボックスの中心にV溝を入れ、そこを背後の斜め上から押さえて、左右と上下の復元を行おうというものです。

いよいよ、機炭間の寸法を確定しました。R610で台枠と渦巻チリトリが接触しない位置を現合で割り出し、結果、テンダのドローバーピン位置を端ばりから7.5㎜となりました。

モーターは、最初CN16を準備しましたが、火室下板などを付けた後では、長くて入らなくなってしまいました。たまたま手許にあった、天賞堂-フルイチのモーターに交換です。モーターブラケットは穴を拡大するなどして強引に流用です。

空運転は良好。モーターに付けた緑の三角は、車体アース側を示すために貼ったシールです。ブラケットに緩衝材が入っていませんが、苦になるような騒音はありません。

いよいよ線路上で試運転。このカーブはR730です。先輪ではショートしませんが、たまにショート。部屋の電気を暗くして走らせたら、テンダ床下にアークが見えました。最初がこの程度、というのはあまり記憶にない好調さです。先台車も調子よさそう。

さて、それではテンダの修正に掛かります。台枠は実車に合わせて延長したものの、デッキ板がオリジナルの寸足らずのママで、これでは機炭間渡り板が乗せにくい状況です。しかも、実車のデッキ板、機炭間渡り板は幅2400㎜なので、オリジナルは幅も寸足らずでした。これを解消します。

デッキ周りのパーツは全部取り去りました。悲惨な状況です。ここから暫くは意外に悪戦苦闘して、写真無し。

新規のものは上板0.3網目板、下板t0.5貼り合わせとして、0.5板の突起をテンダ妻板の元のスリットに差し込みましたが、.これでは実車よりもかなり高い位置(6㎜)になることに気付きました。実車は416㎜なので5.2㎜で、0.8㎜高い。この所為で、追加しようとしたカバーが付けられないので、上板のみとし、中央下面に□5㎜角パイプから切り出したアングル金具で支えて、上板上面が5.3㎜になるように変更しました。さらに、締め切りコックハンドルを覆うカバーを、t0.2洋白板から切って曲げて、取付けました。最初からこのように作れば楽でしたが、後でのやり直し的加工となり、余計な苦労をしました。

テンダでのショートは、斜めの梁(帯板)に車輪のフランジが接触した所為と判明しました。そこで取り去り、□0.7角線に交換しました。

あとは、機炭間渡り板などと、僅かになってきました。でも塗装完了は11月末になりそうです。

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関東合運(結局不参加)のために工作に集中し、ブログでの報告を後回しにしていました。1週間分まとめて報告します

まず、上回り。標識灯、標識灯掛けはともにエコーのパーツで、会社の帰りに寄って入手しました。なお、原形では担いばねカバーの前面左右に電線プラグが出ていますが、穴を明けただけで、残工事にしています。

次いで、発電機排気管を再取付し、蒸気溜めカヴァーの頂点に、ボルトを埋め込みました。アドラーズネストの六角ボルトヘッドを差込んでいます。図面から位置を求め、砂箱蓋中心から18㎜になります。

オリジナルの台枠をD50に回し、このD51にはアダチの新フレームに交換しましたので、先台車担いばねとイコライザは付属パーツを取り付けました。自作の手間が減ってちょっと楽。シリンダはピストン棒受の裏をモーターツールで1/2にえぐって、先輪の振りに備えます。またドレン弁も取付。ウィストジャパンのパーツを使いましたが、エコー程繊細ではないので、壊すことなく取付できました。

合併てこも成形しましたが、それ以外はオリジナルパーツのプレスのダレた面が裏になるように組み直しただけで再利用しました。リターンクランクはニワのロストに交換。着色は半田メッキ。クランクピンは、オリジナルのネジ止めのせいで先端が潰れていたので、ストックパーツ(中古品)に交換しました。しかし右クロスヘッドから、ピストン棒が脱落してしまいました。棒の取付部も傷んだため、裏のコの字パーツから再生します。

t0.3洋白板を用いました。写真は1.5厚板を噛ませて、スライドバー部分に当てる、コの字を曲げているところです。

コの字とピストンロッドとの間隔は、シリンダ現物合わせで決めました。元よりも頑丈な取付になりました。

続いて先台車。台枠が新しくなったのでオリジナルの先台車は使えず、珊瑚パーツ(写真右)も見てみたが、軸受部が大きくてカプラーに当たりそう。そこで、自作することにしました。軸受部のフレームは□6mmパイプとし、先輪の軸受は、スパイクモデルの球面オイルレスメタル(軸受)を旋盤でΦ5に削り、中央で輪切りにして、外径5、内径2.4、厚み2mmの軸受とし、角パイプの左右両端にピッタリはめ込んで半田で固定しました。角パイプの前側は凹型に切り込み、実車の左右軸箱部と、コロ式復元装置カバーを略表現してみました。軸の入る部分はU字に切り欠きます。

心向棒は、t0.8材とし、軸箱フレームに接する部分は強度確保を考えて、左右は突起にしてフレームの切り欠きに差し込み、中央を垂直に立ち上げてフレーム背面に半田付けしました。

先輪からの中心ピン位置は、カツミ・アダチは22㎜、珊瑚は21.5㎜です。22㎜でも排障器に当たりそうになかったのですが、気持ち控えめにして21.8㎜を狙いました。ただ出来上がったものを実測すると22㎜でした。情けねえなあ。中心ピン穴は2.4、心向棒の外径は、フレームに取り付けたイコライザに干渉しないよう細く成形しました。

首径2.4㎜のM2段付きネジで取付。イコライザ内面も少し削りました。復元措置は写真の時点では考え中。軸箱フレーム前面も、凹形にしたとは言え、のっぺらぼうなので、復元装置カバーの板でも貼るか?

この後、先台車はピアノ線の復元装置を追加しています。また、動輪の動きが渋いので、シリンダのピストン棒穴を少し広げたら、めちゃ軽く動くようになりました。日曜深夜、月曜祝日も工作に頑張ります。

 

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台風19号は、史上最強などという呼び声に違わず、かつてないほどの広範囲で河川の氾濫・堤防決壊で甚大な被害になりました。被災者の皆様には謹んでお見舞い申し上げます。

関東合運ですが、12日、東海道新幹線が始発から運休となってはもうどうにもならず、SZ師匠ともども今回は欠席となりました。運転会そのものは会場予約キャンセルできないらしく強行という驚きの処置ですが、参加予定の慶応鉄研三田会も参加者の生命を第一に考え、12日不参加とし、13,14日のみの参加と決めたとのこと。至極まっとうな判断に敬意を表します。

それにしても、上田電鉄の千曲川橋梁流失(1スパン?)はショックです。これが原因で廃線にならないよう、祈るばかりです。

復旧を願って、丸窓電車(当時上田交通)が千曲川を渡る写真を掲示しておきます。

千曲川に落下したスパンがまさにこれ。1977年5月の撮影です。流石に川の中に入っては撮っていないと思うので、何か足場があったものと思います。

金曜日から日曜日にかけては、町内の夜回り、庭の芝刈り、歯医者、将棋番組鑑賞を除いて、模型に専念しました。

まず、デフの前側のステーは、ボイラ鏡板・・・煙室扉ユニットに結ばれています。そこで、扉ユニットに穴を明け、Φ0.5リン青銅線をコの字曲げて差し込み、左右に曲げて一体で作りました。デフには裏から当てるだけです。ハンドレールは邪魔になるので付け直ししました。

これは金曜日夜の工作でした。

分配弁の塵濾は、キャブブラケットの裏に想像で付けましたが、「どこかで見た」というのを思い出しました。

国鉄機関車設計図集の図です。原型ではこのような付き方でした。そこで右(または下)写真のように付け直しました。

キャブ窓の庇は、斜めにつきます。t1板を45度に面取りし斜面に帯板を仮付けして、左右を曲げて切断し、左右の三角形状を決めました。コの字に曲げて見当でヤスルより楽なので。C51製作時に編み出した方法です。ただ、キャブへの取付では手間取ってしまい、土曜日かなり時間を使ってしまいました。

下部左側台枠下に取り付く、インゼクタ給水管はΦ0.7線。サカツウの管継ぎ手を介し、ホース部分には細いポリウレタン線を螺旋状に巻き、ホースのギザギザを表現しました。右暖房管にも施しました。これもC51の時に効果的だったので踏襲しました。

キャブ手すりにかかります。設計図、および1次型写真では、このように手すりとキャブの間隔は狭いです。昭和16年の設計変更で、もっと距離を取るよう、変更されています(寸法は不明) この写真は西尾氏ライカ判写真集3です。

一方、D51量産型初期のD51では、手すりが1次形より広いように見えます。ここは謎です。左が浜松工場製、小倉工場製です。今回は日車製のD51145にするので、設計図通り、狭い方に作ることにしますが、謎です。

手摺は雨樋を兼ねるので、Φ0.5線としました。支持は写真で見られるようにハンドレールノブなので、珊瑚の割ピンを用いました。

なお、キャブの軒の裏側には、珊瑚の筋目板を曲げてはって天井裏の木板を表現しました。凝る、ということではなく、まあ見えるから貼っておくか、程度の意図です。

手摺を付けました。なお、右側下部の取付穴をΦ0.8に広げようとキリを通していたところ、内部に取り付けた乗務員椅子のロストに当たって、キリ先端を折り込んでしまいました。横から別の穴を明け、キリ先端をグラグラにした後、マグネットで吸い出しました。なお、手すり(兼雨樋)下端は端バリの下部で切っていますが、実車はもっと下まで伸びています。ここで切っておかないと、後部ブラケットユニットを組外しの際、給水・暖房管に当たって困難になるからです。

最後まで残していた汽笛引き棒を取り付けました。Φ0,3リン青銅線で、途中にエコーの引き棒受けを取り付けました。あれ?1っカ所なの?と思って図面を見たら、何と、もう1か所は発電機ブラケットの前方横っ腹に引き棒受けが付いているのでした。帯板を捻って、それらしく付けよと思います。(未施工) この後、安全弁も取り付けました。あ、発電機排気管を外したままになっていた。

前部標識掛けは、写真では気づかなかったのですが端バリに付いていることに日曜日気づきました。標識灯も掛けもパーツ手持ちがないので、関東合運のついでか何かで買ってこようと思います。ということで、関東合運は未塗装完成ではなく、残工事ありの状態で持ってゆくことになります。

ようかく下回りの追加工事に入りました。バルブギヤは、C611の例外を除いて、これまでことごとく作り直しています。メインとなる合併てこを今回初めて□1.5m洋白角線から作ります。この角線はジョーシンキッズランド大須店で買ったサカツウのものです。

関節部は0.7を開けましたが、キリを2本とも折るというバカをしてしまいました。止む無く、砥石で研いで再生して穴を明けました。この程度のキリであれば、なんとか研げます。0.5だと、成功率は五分五分位です。

関節部は糸鋸でスリットを入れ、中間部の裏、表はヤスって段差にします。フライス盤が無いので、手仕上げですが、C51の時に比べて下手になっているような気がする。C51の時は4両分、勢いで8本作って意外に楽だったのに、1両分2本だと実に面倒です。

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