継続はブログの力なり
東京では地震による混乱もだいぶ落ち着いてきた。スーパーにも商品が増えてきているし、妻たちも週末にはマンションに戻ってくるらしい。
以下、今日の会話。
妻「私がいない間、よくブログ書いてたね」
私「そうだねえ。震災のことをちゃんと文章で残したかったんだ」
妻「うん、読んでたよ。連載終わったね」
私「まあ、いろいろ書きたくてちょっと時間かかっちゃったけど」
妻「…でもさ、毎日続けないと意味無いんだからね」
妻「大して面白くない記事でも、毎日続けることがブログの強みになるんだよ」
・・・!!
ぐうの音も出ないほど正論すぎワロタw
そうです。Webサイトは毎日の更新がとても重要なのです。。というわけで、今日も更新完了っと。
以下、今日の会話。
妻「私がいない間、よくブログ書いてたね」
私「そうだねえ。震災のことをちゃんと文章で残したかったんだ」
妻「うん、読んでたよ。連載終わったね」
私「まあ、いろいろ書きたくてちょっと時間かかっちゃったけど」
妻「…でもさ、毎日続けないと意味無いんだからね」
妻「大して面白くない記事でも、毎日続けることがブログの強みになるんだよ」
・・・!!
ぐうの音も出ないほど正論すぎワロタw
そうです。Webサイトは毎日の更新がとても重要なのです。。というわけで、今日も更新完了っと。
東日本大震災3.11を振り返って(その4・最終回)
3月11日の大地震での体験を書いた記事も、今回でひとまず最後となる。当日どんなことがあったかなどを、忘れないうちに記録していく。
→前回の記事(その1)はこちら
→前回の記事(その2)はこちら
→前回の記事(その3)はこちら
■震災後の初コンタクト
「もしもし・・あぁDくん?」電話を取ったのは妻の母親だった。声のトーンからして、家族が無事らしいことはすぐにわかった。私は安心し、一呼吸してから地震発生時の様子を聞いた。
義母の話によると、家の1階はそれほど揺れなかったものの、物が落ちないよう、すぐに居間の掘りごたつの下に娘と一緒に隠れたということだった。なるほど、そこならものが落ちてくることはない。家族のとっさの機転に感謝した。妻は自宅マンションがどうなっているかを見に行っているため不在だった。
一通り状況を確認したところで、自分も今までのことや、家までだいぶ近づいていることを伝え、困っていることがないか確認した。予想以上に近くまで来ていたことに義母は驚いていた。
夜に食べるものがあまりないらしいので、すぐに食べられるものを何か買って帰ることにした。実家は10人近い大所帯だし、たくさん買っていくに越したことはない。
とにかく、家族に何事もなければとりあえず安心だ。電話を切ってからは、少し余裕を持ったペースで家に向かうことにした。少し経って、妹の旦那からもTwitterでメッセージが来た。全員無事だったらしい。誰も怪我などすることなく本当に良かった。
■駅に到着 食料を買い込み家へ
さらに15分ほど歩き、ようやく普段利用している駅にたどり着いた。時間は午後6時半ころだったと思う。隣接するスーパーには、震災で商品が散乱したため今日は閉店します、と貼り紙がしてあった。どこも大体そんな感じだ。
さて、この辺で食料を買わないといけないが・・持ち帰りのすし屋と焼き鳥屋が開いていたので、両方の店から少し多めに買っていこう。注文したので少し待たされたが、とりあえず必要な分を買い込み、両手に抱えて家に向かった。途中、八百屋のおじさんがいつも通りいらっしゃいと大きな声をあげていたのが印象的だった。そうだ、俺たちは無事だ。元気出していこう。
■娘を抱っこしながらテレビで惨状を知る
実家に到着し、大げさだが娘との再会を果たした後、ここで始めてテレビを見て被害の大きさを知る。東北地方を襲ったマグニチュード9(このときの発表はまだM8.8だった)の地震と大津波による被害は甚大だった。。
食事を終え、自分でも自宅を見に行ったが、物が落ちていたり、コップが2つ割れたりしたくらいで、他にたいした被害はなかった。それよりも、大きな道路では夜10時を過ぎてもなお、帰宅する人の行列が絶えなかったのが印象的だった。この日は帰ることができず、都内の避難所で一夜を過ごした人も多かった。
ひとまず、これで東日本で起きた大地震当日の記録を終えることにする。もっと早く書き終えるはずが、4回連載になってしまった。東京では比較的被害は少なかったが、この記事を書いている間も、余震や原発の冷却処理など、心配事は後を絶たない。
あらためて、今回の地震や津波によって被害を受けた多くの方たちが、一刻も早く安心した生活を送れるよう、心から祈っています。
→前回の記事(その1)はこちら
→前回の記事(その2)はこちら
→前回の記事(その3)はこちら
■震災後の初コンタクト
「もしもし・・あぁDくん?」電話を取ったのは妻の母親だった。声のトーンからして、家族が無事らしいことはすぐにわかった。私は安心し、一呼吸してから地震発生時の様子を聞いた。
義母の話によると、家の1階はそれほど揺れなかったものの、物が落ちないよう、すぐに居間の掘りごたつの下に娘と一緒に隠れたということだった。なるほど、そこならものが落ちてくることはない。家族のとっさの機転に感謝した。妻は自宅マンションがどうなっているかを見に行っているため不在だった。
一通り状況を確認したところで、自分も今までのことや、家までだいぶ近づいていることを伝え、困っていることがないか確認した。予想以上に近くまで来ていたことに義母は驚いていた。
夜に食べるものがあまりないらしいので、すぐに食べられるものを何か買って帰ることにした。実家は10人近い大所帯だし、たくさん買っていくに越したことはない。
とにかく、家族に何事もなければとりあえず安心だ。電話を切ってからは、少し余裕を持ったペースで家に向かうことにした。少し経って、妹の旦那からもTwitterでメッセージが来た。全員無事だったらしい。誰も怪我などすることなく本当に良かった。
■駅に到着 食料を買い込み家へ
さらに15分ほど歩き、ようやく普段利用している駅にたどり着いた。時間は午後6時半ころだったと思う。隣接するスーパーには、震災で商品が散乱したため今日は閉店します、と貼り紙がしてあった。どこも大体そんな感じだ。
さて、この辺で食料を買わないといけないが・・持ち帰りのすし屋と焼き鳥屋が開いていたので、両方の店から少し多めに買っていこう。注文したので少し待たされたが、とりあえず必要な分を買い込み、両手に抱えて家に向かった。途中、八百屋のおじさんがいつも通りいらっしゃいと大きな声をあげていたのが印象的だった。そうだ、俺たちは無事だ。元気出していこう。
■娘を抱っこしながらテレビで惨状を知る
実家に到着し、大げさだが娘との再会を果たした後、ここで始めてテレビを見て被害の大きさを知る。東北地方を襲ったマグニチュード9(このときの発表はまだM8.8だった)の地震と大津波による被害は甚大だった。。
食事を終え、自分でも自宅を見に行ったが、物が落ちていたり、コップが2つ割れたりしたくらいで、他にたいした被害はなかった。それよりも、大きな道路では夜10時を過ぎてもなお、帰宅する人の行列が絶えなかったのが印象的だった。この日は帰ることができず、都内の避難所で一夜を過ごした人も多かった。
ひとまず、これで東日本で起きた大地震当日の記録を終えることにする。もっと早く書き終えるはずが、4回連載になってしまった。東京では比較的被害は少なかったが、この記事を書いている間も、余震や原発の冷却処理など、心配事は後を絶たない。
あらためて、今回の地震や津波によって被害を受けた多くの方たちが、一刻も早く安心した生活を送れるよう、心から祈っています。
東日本大震災3.11を振り返って(その3)
前回までに続き、3月11日に東日本で発生した大地震で体験した内容や、そのとき考えたことなどを記録していく。
→前回の記事(その1)はこちら
→前回の記事(その2)はこちら
子どもは大丈夫だろうか・・
電池寿命の残り少ないiPhoneのマップを使って歩き始めたが、そうはいっても距離は10キロ足らずだ。アプリ上では2時間半と出ている。すでに徒歩ルートは掴んでいるし、日が落ちる前には家に到着できるだろう。
このとき一番心配だったのは、4ヶ月になる娘のことだ。
周りの様子から察するに、少なくとも都内で家が破損したり、倒壊したりすることは考えられなかった。だが家具が揺れて倒れたり、上からものが降ってくることはいくらでもありえる。小さな子どもにはそれが致命傷になることも否定できない。
幸い妻は娘と一緒に彼女の実家にいる。見ている人間も多いし、心配はないだろう。そうは思いつつも、自然と進む足は速くなった。早く家にたどり着かないと安心はできない。
とうとうiPhoneのバッテリーが切れた
さっき市ヶ谷駅にいた時よりもだいぶ人は減ったものの、相変わらずたくさんの人たちが自分と同じ方角、都下に向かってぞろぞろと歩いていた。歩いている途中にも、地下鉄の入り口が警官によって封鎖されていたり、墓地の壁が道路側に崩れて通行止めになっているところもあった。
そういった光景を眺めつつも、その様子を手持ちのカメラで撮影する心の余裕は無かった。急いで帰って、家族の安全を確かめたいという気持ちを最優先し、先を急いだ。
東中野駅の近くまで来たところで、だましだまし使っていたiPhoneのバッテリーがとうとう5%を切り、電源が入らなくなった。だが、このあたりはかつて実家があったところに近いし、もうルートを確認する必要はない。
お疲れさま、iPhone。
このあたりまで来ると、帰宅する人たちもだいぶ減り、私も少し周りを見渡す余裕が出てきた。大型のスーパーは閉まっているところが多いが、意外と多くの店が開いてるな・・と感じた。コンビニの公衆電話も、使っているのは一人だけだったので、しばらく待ち、ようやく家族と連絡することができた。
(その4に続く)
→前回の記事(その1)はこちら
→前回の記事(その2)はこちら
子どもは大丈夫だろうか・・
電池寿命の残り少ないiPhoneのマップを使って歩き始めたが、そうはいっても距離は10キロ足らずだ。アプリ上では2時間半と出ている。すでに徒歩ルートは掴んでいるし、日が落ちる前には家に到着できるだろう。
このとき一番心配だったのは、4ヶ月になる娘のことだ。
周りの様子から察するに、少なくとも都内で家が破損したり、倒壊したりすることは考えられなかった。だが家具が揺れて倒れたり、上からものが降ってくることはいくらでもありえる。小さな子どもにはそれが致命傷になることも否定できない。
幸い妻は娘と一緒に彼女の実家にいる。見ている人間も多いし、心配はないだろう。そうは思いつつも、自然と進む足は速くなった。早く家にたどり着かないと安心はできない。
とうとうiPhoneのバッテリーが切れた
さっき市ヶ谷駅にいた時よりもだいぶ人は減ったものの、相変わらずたくさんの人たちが自分と同じ方角、都下に向かってぞろぞろと歩いていた。歩いている途中にも、地下鉄の入り口が警官によって封鎖されていたり、墓地の壁が道路側に崩れて通行止めになっているところもあった。
そういった光景を眺めつつも、その様子を手持ちのカメラで撮影する心の余裕は無かった。急いで帰って、家族の安全を確かめたいという気持ちを最優先し、先を急いだ。
東中野駅の近くまで来たところで、だましだまし使っていたiPhoneのバッテリーがとうとう5%を切り、電源が入らなくなった。だが、このあたりはかつて実家があったところに近いし、もうルートを確認する必要はない。
お疲れさま、iPhone。
このあたりまで来ると、帰宅する人たちもだいぶ減り、私も少し周りを見渡す余裕が出てきた。大型のスーパーは閉まっているところが多いが、意外と多くの店が開いてるな・・と感じた。コンビニの公衆電話も、使っているのは一人だけだったので、しばらく待ち、ようやく家族と連絡することができた。
(その4に続く)