東日本大震災3.11を振り返って(その4・最終回)
3月11日の大地震での体験を書いた記事も、今回でひとまず最後となる。当日どんなことがあったかなどを、忘れないうちに記録していく。
→前回の記事(その1)はこちら
→前回の記事(その2)はこちら
→前回の記事(その3)はこちら
■震災後の初コンタクト
「もしもし・・あぁDくん?」電話を取ったのは妻の母親だった。声のトーンからして、家族が無事らしいことはすぐにわかった。私は安心し、一呼吸してから地震発生時の様子を聞いた。
義母の話によると、家の1階はそれほど揺れなかったものの、物が落ちないよう、すぐに居間の掘りごたつの下に娘と一緒に隠れたということだった。なるほど、そこならものが落ちてくることはない。家族のとっさの機転に感謝した。妻は自宅マンションがどうなっているかを見に行っているため不在だった。
一通り状況を確認したところで、自分も今までのことや、家までだいぶ近づいていることを伝え、困っていることがないか確認した。予想以上に近くまで来ていたことに義母は驚いていた。
夜に食べるものがあまりないらしいので、すぐに食べられるものを何か買って帰ることにした。実家は10人近い大所帯だし、たくさん買っていくに越したことはない。
とにかく、家族に何事もなければとりあえず安心だ。電話を切ってからは、少し余裕を持ったペースで家に向かうことにした。少し経って、妹の旦那からもTwitterでメッセージが来た。全員無事だったらしい。誰も怪我などすることなく本当に良かった。
■駅に到着 食料を買い込み家へ
さらに15分ほど歩き、ようやく普段利用している駅にたどり着いた。時間は午後6時半ころだったと思う。隣接するスーパーには、震災で商品が散乱したため今日は閉店します、と貼り紙がしてあった。どこも大体そんな感じだ。
さて、この辺で食料を買わないといけないが・・持ち帰りのすし屋と焼き鳥屋が開いていたので、両方の店から少し多めに買っていこう。注文したので少し待たされたが、とりあえず必要な分を買い込み、両手に抱えて家に向かった。途中、八百屋のおじさんがいつも通りいらっしゃいと大きな声をあげていたのが印象的だった。そうだ、俺たちは無事だ。元気出していこう。
■娘を抱っこしながらテレビで惨状を知る
実家に到着し、大げさだが娘との再会を果たした後、ここで始めてテレビを見て被害の大きさを知る。東北地方を襲ったマグニチュード9(このときの発表はまだM8.8だった)の地震と大津波による被害は甚大だった。。
食事を終え、自分でも自宅を見に行ったが、物が落ちていたり、コップが2つ割れたりしたくらいで、他にたいした被害はなかった。それよりも、大きな道路では夜10時を過ぎてもなお、帰宅する人の行列が絶えなかったのが印象的だった。この日は帰ることができず、都内の避難所で一夜を過ごした人も多かった。
ひとまず、これで東日本で起きた大地震当日の記録を終えることにする。もっと早く書き終えるはずが、4回連載になってしまった。東京では比較的被害は少なかったが、この記事を書いている間も、余震や原発の冷却処理など、心配事は後を絶たない。
あらためて、今回の地震や津波によって被害を受けた多くの方たちが、一刻も早く安心した生活を送れるよう、心から祈っています。
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■震災後の初コンタクト
「もしもし・・あぁDくん?」電話を取ったのは妻の母親だった。声のトーンからして、家族が無事らしいことはすぐにわかった。私は安心し、一呼吸してから地震発生時の様子を聞いた。
義母の話によると、家の1階はそれほど揺れなかったものの、物が落ちないよう、すぐに居間の掘りごたつの下に娘と一緒に隠れたということだった。なるほど、そこならものが落ちてくることはない。家族のとっさの機転に感謝した。妻は自宅マンションがどうなっているかを見に行っているため不在だった。
一通り状況を確認したところで、自分も今までのことや、家までだいぶ近づいていることを伝え、困っていることがないか確認した。予想以上に近くまで来ていたことに義母は驚いていた。
夜に食べるものがあまりないらしいので、すぐに食べられるものを何か買って帰ることにした。実家は10人近い大所帯だし、たくさん買っていくに越したことはない。
とにかく、家族に何事もなければとりあえず安心だ。電話を切ってからは、少し余裕を持ったペースで家に向かうことにした。少し経って、妹の旦那からもTwitterでメッセージが来た。全員無事だったらしい。誰も怪我などすることなく本当に良かった。
■駅に到着 食料を買い込み家へ
さらに15分ほど歩き、ようやく普段利用している駅にたどり着いた。時間は午後6時半ころだったと思う。隣接するスーパーには、震災で商品が散乱したため今日は閉店します、と貼り紙がしてあった。どこも大体そんな感じだ。
さて、この辺で食料を買わないといけないが・・持ち帰りのすし屋と焼き鳥屋が開いていたので、両方の店から少し多めに買っていこう。注文したので少し待たされたが、とりあえず必要な分を買い込み、両手に抱えて家に向かった。途中、八百屋のおじさんがいつも通りいらっしゃいと大きな声をあげていたのが印象的だった。そうだ、俺たちは無事だ。元気出していこう。
■娘を抱っこしながらテレビで惨状を知る
実家に到着し、大げさだが娘との再会を果たした後、ここで始めてテレビを見て被害の大きさを知る。東北地方を襲ったマグニチュード9(このときの発表はまだM8.8だった)の地震と大津波による被害は甚大だった。。
食事を終え、自分でも自宅を見に行ったが、物が落ちていたり、コップが2つ割れたりしたくらいで、他にたいした被害はなかった。それよりも、大きな道路では夜10時を過ぎてもなお、帰宅する人の行列が絶えなかったのが印象的だった。この日は帰ることができず、都内の避難所で一夜を過ごした人も多かった。
ひとまず、これで東日本で起きた大地震当日の記録を終えることにする。もっと早く書き終えるはずが、4回連載になってしまった。東京では比較的被害は少なかったが、この記事を書いている間も、余震や原発の冷却処理など、心配事は後を絶たない。
あらためて、今回の地震や津波によって被害を受けた多くの方たちが、一刻も早く安心した生活を送れるよう、心から祈っています。