辛いジンジャーエール
時々現れる、辛めのジンジャーエール。アサヒ飲料から発売されているのが、この
日本生まれにも関わらず、日本らしくないそのネーミングは、英国人のウィルキンソン氏が日本で炭酸水を売り出した事に由来するそうです(ASAHIのサイトより)。
ちなみにサイトでは、「タンサン」という言葉もこの時に生まれたと解説しています。
炭酸って言葉はイギリス人が作ったのか・・なんか不思議。
ちなみにジンジャーエールの味は、辛口を謳っているだけあって、ピリッとした辛味を感じます。大人味ってとこかな。。
辛口ジンジャーエールはいつも期間限定なので、レギュラー化して欲しい・・・
突然の知らせ
昨晩遅く、叔母が亡くなった。
小さい頃から長い間、同じ家で暮らしていて、半分母親のような人だった。
・・・
亡くなる数時間前、会社で仕事中に妹から電話がかかってきた。
「おばちゃんの容態が急に悪くなったみたい」
子どもを2人抱えて動けない妹に代わって父親に連絡を取り、仕事を早く終えて病院に向かう旨を伝えた。妻にも電話をかけ、事情の説明と、帰りが遅くなることを話しておいた。
確実に終えておかないといけない仕事だけ片付けて、そろそろ会社を出ようかというところで、今度は弟から連絡が入り、子どもを連れてるから車で一緒に病院に向かおう、ということになった。
午後7時すぎに弟たちと合流して、買ってくれたパンを車中で食べながら、1時間ほどかかって病院に着くと、先に到着していた父親が入口で迎えてくれた。叔母の容態を聞くと、かなり危ない状態だがまだ息はあるらしい。
すでに7~8人の親戚が来ていたので、あいさつをしてから面会場所に向かった。面会場所は緊急病室のため2~3人ずつしか入れず、叔父、弟と一緒に叔母のベッドに行く。
面会した叔母は既に意識がない状態だった。
弟と一緒に呼びかけたり、手を握りながら一緒に暮らしていた頃の話をしばらくしていたが、とうとう会話することはできなかった。
面会室を出ると、夜も遅かったため親戚達もいったん帰るところだった。叔父と一緒に残ってくれる従兄弟と一緒に軽く食事を取り(パンだけだったので)夜の10時半頃だったか、自分達も翌日の仕事に備えて帰ることにした。
帰りも弟に車で送ってもらい、家に到着後、深夜1時過ぎに父親から電話が入った。
「今亡くなったんだ、お父さんこれから病院に向かうから」
予想していたよりも早く、その時が来てしまった。。とんぼ返りで病院に向かう父に気を付けてと告げて電話を切ると、昔のいろいろなことを思い出しながら布団に入った。
・・・
今回、このことをブログに書くかどうか少し迷ったけど、この時考えていた事などを覚えているうちに記録しておきたかったので、やはり書くことにした。
ひとつだけ悔しいのは生まれた子どもを見せてあげられなかったこと。残念で仕方ないけど、告別式には連れて行って、会わせてあげようと思う。
小さい頃から長い間、同じ家で暮らしていて、半分母親のような人だった。
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亡くなる数時間前、会社で仕事中に妹から電話がかかってきた。
「おばちゃんの容態が急に悪くなったみたい」
子どもを2人抱えて動けない妹に代わって父親に連絡を取り、仕事を早く終えて病院に向かう旨を伝えた。妻にも電話をかけ、事情の説明と、帰りが遅くなることを話しておいた。
確実に終えておかないといけない仕事だけ片付けて、そろそろ会社を出ようかというところで、今度は弟から連絡が入り、子どもを連れてるから車で一緒に病院に向かおう、ということになった。
午後7時すぎに弟たちと合流して、買ってくれたパンを車中で食べながら、1時間ほどかかって病院に着くと、先に到着していた父親が入口で迎えてくれた。叔母の容態を聞くと、かなり危ない状態だがまだ息はあるらしい。
すでに7~8人の親戚が来ていたので、あいさつをしてから面会場所に向かった。面会場所は緊急病室のため2~3人ずつしか入れず、叔父、弟と一緒に叔母のベッドに行く。
面会した叔母は既に意識がない状態だった。
弟と一緒に呼びかけたり、手を握りながら一緒に暮らしていた頃の話をしばらくしていたが、とうとう会話することはできなかった。
面会室を出ると、夜も遅かったため親戚達もいったん帰るところだった。叔父と一緒に残ってくれる従兄弟と一緒に軽く食事を取り(パンだけだったので)夜の10時半頃だったか、自分達も翌日の仕事に備えて帰ることにした。
帰りも弟に車で送ってもらい、家に到着後、深夜1時過ぎに父親から電話が入った。
「今亡くなったんだ、お父さんこれから病院に向かうから」
予想していたよりも早く、その時が来てしまった。。とんぼ返りで病院に向かう父に気を付けてと告げて電話を切ると、昔のいろいろなことを思い出しながら布団に入った。
・・・
今回、このことをブログに書くかどうか少し迷ったけど、この時考えていた事などを覚えているうちに記録しておきたかったので、やはり書くことにした。
ひとつだけ悔しいのは生まれた子どもを見せてあげられなかったこと。残念で仕方ないけど、告別式には連れて行って、会わせてあげようと思う。

