前回は最後に,水木先生が最悪の戦場ニューギニアで生き残った話をしました.そして,その生き残った理由とはなんぞや?ってーのが今日のお題なのです.いやっ,水木先生が語った訳ではなく,自分の想像なんですがね.けっこー知られた有名な話なので恐縮ですが,まぁお聞きください.
なんと天性の楽天家で気さくだった水木先生,ニューギニア現地人のトライ族に気に入られて,そのコミュニティである部落で寝起きしていたのだそうです.「郷に入っては郷に従え」ってーところでしょうか.合っているのかな,この諺の使い方.変な“皇軍兵士意識”がなかったのが受け入れられた理由でしょう,とこれについては水木先生が語っておられました.
いろいろな戦場体験記を読むと,日本陸軍の将兵(皇軍兵士ですよ)ったらもぉー,大は地下資源から小は日々の食料まで,現地民から搾取することしか頭になかったのです.アジアの貧乏軍隊には,碌な補給体制なんて整っていませんでしたから.アーッ,ヤになっちゃうねぇ.
そしてもう一点ですが,水木先生,いつも食欲旺盛で何を食べてもお腹を壊さなかったそうですよ.以前に某国営放送で水木先生の特集をしていた時,80台半ばにもかかわらず執筆活動の傍ら,モノスゲー食欲を見せておられました.
当時の日本陸軍は,補給体制だけではなく,衛生体制も碌なもんではなく,兵隊の大半は常にお腹を下していたそうですが,部隊の中で水木先生だけは例外だったのです.おまけに虫歯も蔓延していたのですが,これも水木先生には無縁だったとのこと.武器・弾薬・食料が不足していたのはもちろんですが,南太平洋の環境に必須の気の利いた医薬品(キニーネとかモルヒネ)なんかは皆無だったのです.
しかし,そんな補給・衛生状態で南太平洋の孤島に放り込まれるなんて,サイテーで地獄の軍隊ですなぁ,日本軍って.世界情勢とか戦略を語る以前に,それじゃぁ戦争にならんですわ.
いつもいつも同じ話でスンマセンが,国民性や国の仕組みって,そう簡単には変わるものではありませんから,憲法を改正してまで戦争できる仕組みを造ろうとする政党や政治家たちには,若者の皆さん,気をつけなはれや.愛国心教育を語りながら,徴兵制度の復活まで狙っていますから.戦争に行くのは君たちですよ.
旧日本軍の組織がいかにふざけた組織であったか,今までいくつかの事例で散々述べてきましたが(興味のある方は,弊ブログの“日本軍トンデモ話”をお読みください,ただ,精神衛生上良くありません),ライフワークなので何度でも書きます.何故なら,歴史は必ず絶対に繰り返すからです.アッ,どこかのバカ首相のように,“絶対”なんて言葉を使ってしまいました.俺ってサイテー.
水木先生をネタに,いつもと同じようなことを書いてしまいましたが(先生スンマセン),これだけはやめられませんです.