ここしばらく戦争映画について懐古したせいか,昭和おやじがはまった,もろもろの戦争マンガを想い返してみました.最も古い記憶は,少年マガジンに連載されていた“ちばてつや”先生の「紫電改のタカ」ですね.
自分が2~4歳の時の作品ですが,小学1,2年の頃,いとこが保存していたマンガで読んだのですが,ほとんどの戦闘機の名前をこの作品で覚えましたです.
そして時が進んで高校生の頃,水木しげると松本零士にはまったのでした.松本先生の「戦場まんがシリーズ」,水木先生は「総員玉砕せよ」等の単発物ですね.全く正反対の画風・作風なのですが,何故かどちらにも嵌りましたね.
松本先生は戦闘機パイロットや一匹狼の狙撃兵など,己の腕一本で生き抜く兵士達の格好良さを,水木先生は軍隊ヒエラルキーの最下層である兵士の悲惨さを描いています.リアリティが高く反戦メッセージを含むという点で実戦争経験者である水木先生の作品に軍配が上がり,現在の評価が高いのは当然の帰結なのですが,「総員玉砕せよ」はまさに水木先生の実体験記で,読み返すと心臓が痛くなります.
ニューギニアに隣接するビスマルク諸島はニューブリテン島での実体験がもとになっており,突撃すれば玉砕(玉となって砕ける,まぁ死ぬことですね)することが確実であるにもかかわらず“突撃命令”を受けた水木先生が所属する中隊が舞台です.太平洋戦争末期の昭和19年のことであり,この頃の日本陸軍の前線部隊は,戦争に勝つことをほぼ諦めており,死ぬことが目的化していたのです.でも,安全な大本営に閉じこもっていた戦争指導者たちはまだまだ諦めておらず,将棋の駒を動かすように兵隊を前線に送り込んでいたのです
小学生の頃は,“もぉ勝つのは無理なのに,なんでイタリアみたいにさっさと手を上げないんだよぉ”などと,歯ぎしりしながら戦記物を読んでいた記憶がありますが,今現在のこのご時世から考えると,たかが原発やダムや道路みたいな公共事業程度でさえ止められないんだから,戦争を止めるなんて無理な話だったんだよね.ちょっとやそっとじゃぁ,国の仕組みは変わらないのダ(赤塚先生風に).
しかし,水木先生,太平洋戦争におけるワースト3戦場に挙げられるニューギニア戦線で,良くぞ生き残りました.そのおかげで数々の名作を読むことができ,“ゲゲゲの女房”を見ることができたのですが,生き残りにはコツがあったそうですよ.
ところで今の日本で,太平洋戦争ってアメリカとの戦争だったってこと,どの位の若者が知っているんだろう?歴史教育をやりすぎると変な方向に進むし(どこの国の事か,皆さん分かりますよね),その逆だと我が国のようになってしまうし,ホント歴史って数学よりもはるかに難しいわぁ,と思う理系の昭和おやじでした.
水木先生の生き残り術は我々が知っておいても損はないので,次回はそんなことについて.アッ,でも全部,テレビや本から仕入れたネタです.悪しからず.