近畿vs四国,part2 | 昭和を懐古する部屋

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春のセンバツも有力校が順調に勝ち進んでおります.今回も前回から引き続いて,想い出の“近畿勢vs四国勢”の懐古第二弾です.

 

第1位:池田高校

ううう,徳島県立池田高校フリークとしては想い出すのも心が痛い.そうなのです,あの無敵の池田高校も,近畿勢には分が悪かったのです,ハァー.余談ですが(司馬先生風に),池田高校(and蔦監督)というチームが出現しなければ,これほど高校野球にのめりこむことはなかったでしょう.

 

まずは1974年の春,僅か11人での初出場,決勝に進出して(伝説のさわやかイレブンです,同年配の方々,覚えていますか)惜しくも報徳学園13で敗れます.しかしまぁ,これはイイでしょう.間違いなく,くじ運に恵まれた感はありましたが,11人で大いに健闘しましたし悔いなしですよ.つぎに,1979年夏の決勝戦,同じく近畿勢の箕島高校34で敗れます.でも,まぁまぁ,これもイイでしょう.相手は星稜との奇跡の18回戦を制したスーパーチームです.仕方がないじゃないですか.

 

そして最後に,想い出すのも忌まわしい,あの1983年夏の準決勝です.前年の夏,エース畠山(後に南海,またまた昭和や)を擁してついに初優勝,そこから快進撃を続け,ご存知エース水野(後に巨人)を擁して翌春も制し,史上初の夏春夏3連覇を狙う池田高校に相対するのは,これまたご存知,桑田・清原の1年生コンビを擁するPL学園です(やっぱりPLかー,イイ加減にしろー,と言いたい).

 

1982年夏,甲子園初優勝を決めた瞬間の蔦文也監督↓

喜びを表に出さず厳しい表情

 

1983年春,準決勝の明徳戦苦戦に水野も険しい表情

九死に一生を得て決勝では横浜商を降ろし夏春連覇

 

 

相手はPLなので一抹の不安はありましたが,エースと4番が1年生ですから,ほぼほぼ勝利を確信しておりました.しかし結果は・・・・.この試合については余りにも多くの場所で語られているのでここでは割愛しますが,茫然自失という4文字熟語を人生で初めて身をもって体験した出来事でした(これ,大げさな表現ではありません).

 

あの水野がホームランを3発被弾して06となった4回以降,試合経過を想い出そうにも記憶に残っておりません(最終スコアは07ですね).以前にYouTubeでフル映像を見たのですが,全く記憶が蘇りませんでした.単に記憶が飛んでしまったのか,途中でテレビ観戦を止めたのか,それも全く分かりません.まぁー,それほどの衝撃だったのです(その衝撃の記憶だけはシッカリと残っています).

 

 

こうして懐古すると,PL学園箕島高校って,ホントに奇跡のチームだったとしか言えません.特に箕島高校ですね.田舎の公立高校なのに,どうやってチーム編成していたんだろう.同じく田舎の公立であった中村高校(1977年春,高知代表,エースは阪急の山沖)も決勝で敗れています.まったくー,今更だけど,呪ったろかぁー.

 

本日の懐古はここで終了するとして,前回の高知商業編でも述べましたが,往年の高校野球ファンにとって今や伝説となった1983年の夏については,いずれ夏の大会までには詳しく懐古したいと思います(まぁー,いろいろな出来事のあった大会でした).