私は若い頃よくこう言われたものです。

「○○君は理想が高いから・・・」


身の程知らずという意味だったのかもしれませんが、私とし
ては心外でした。

好きになる相手を、可能性を計算してコントロールできるも
のとは思えなかったからです。


確かに私は才色兼備のような女性に惚れてしまう傾向があり
ました。
そういう女性は、他の男もほおって置くはずもなく、いつも
片思いになるわけです。


それでも、私は“高嶺の花”を追い求めていたように思います。



今になって考えるに、私は間違っていたと後悔しています。
私はなるべくしてモテない男になったのでしょう。


恋愛は才能だと思います。
しかし、それがあるかないかの判定は難しいものです。
明確に言えることは、「今現在ない」ということで、それは
現実から帰納的に出された結論なのですから。


もし、私が、「惚れる→交際」という思考から逃れることが
早くにできて、「交際→惚れる」ということもありうること
に気がついていたら、ひょとしたら恋愛の才能を育むことが
できたかもしれないのです。


まあ、タラレバなのですけど。



理想というのは、挙げ始めたら次から次へと出てくるものです。
そして自分で自分を縛り付けてしまうもの。


もちろん、好き嫌いはどうしたってあるものなので、いくらモ
テない男だからといって、全面的に撤回すべきではないと考え
ます。
そういうことではなくて、何が重要なファクターなのかを知る
べきなのだと思います。


私はそれに気付くまでに、すいぶんと遠回りしてしまいました。


もう、遅いかなぁ・・・・・

世の中には、モテない男が沢山いますが、モテない女の人も
皆無ではないような気がします。

モテない男の代表がブ男なら、モテない代表の女の人はブス。
で、いったい、ブ男とブスはどちらに希望があるのだろうと
いう疑問が湧いてきます。


ブ男とブスは、一般に仲が悪いです。どちらもお互いを馬鹿
にしていて、お互い対象外に設定し合っているようです。
したがって、美男美女カップルを見かけることはあっても、
ブ男とブスのカップルを見かけることはまずありません。


これは、男女ともに、自分にないものに惹かれるのと、連れ
て歩く恋人はできれば美しい方が良いという見栄の問題の両
方の理由がありそうです。


あるいは、美人やカッコいい男にフラれるのなら納得できる
が、ブスやブ男にフラれるのは屈辱だと思っているのかもし
れません。


一方、カッコいい男は、もはやそんなことはどうでもよいこ
とだと思えるらしく、案外不細工な女性でも気立てがよけれ
ば気にしないことがあるようです。

美人女性は言い寄ってくる男性が多いので、何も醜い男を選
ぶ必要がありません。


さらに言うと、女性は女であるだけで、すでにアドバンテージ
を持っているうような気がします。

こういうことをいうと顰蹙をかいそうですが、たぶんそうです。

ヒトを含めて生き物は、メスがオスを選ぶのが基本ルールなの
です。
一番わかり易い例は鳥でしょうか。
たいてい、メスよりオスの方が美しくて派手です。
もちろん、それはメスに選んでもらうためです。


ということで、たぶん、ブスの方がブ男より希望が持てるはず
だというのが私の結論です。


で、たぶん、これは正解のはずです。
なぜなら、年齢と恋人いない歴がイコールのような不幸な人は
圧倒的に男の方が多いはずだからです。
そんな女性は実は少ないのです。いわゆるブスといわれるよう
な女性でも、異性と交際したことがあったりするものなのです。
そりゃあ、例外もあるかもしれませんが・・・・・


昨年末は派遣社員の雇い止め問題が大きな話題になっていました。
テレビの特集番組を観ていると、結婚しようと考えているカノジョ
がいるけれど、職を失うので結婚できない、という男性を取り上げ
ていました。

そのとき私が思ったのは、
「ん? この男は本当に不幸だといえるのか?」
ということでした。


確かに不運ではあります。
でも、カノジョがいるのですよねぇ。


私には、就職するよりもカノジョができることの方がよっぽど難しい
ことのように思えます。


人の幸不幸は他人が判断することではありませんし、できないもので
す。
だから、不適切な表現をしたと思わないではありませんが・・・・・


しかし、不運にして職を失った人には同情が集まりますが、不幸にして

カノジョができない男が同情されることはありません。


派遣切りにあった人の手助けをするボランティアの人がいても、モテ
ない男を手助けするボランティアなど聞いたことがないです。
そんな男から金を巻き上げる商売はあるようですが。


人生はなかなか不公平にできているものです。


私が思うに、この場合、不運というのは一時的な問題ですが、不幸は
根源的かつ長期的です。
恋愛は才能であり、才能はあるかないかです。
欧米では、才能のことを“gift”ということがあります。
すなわち、神から贈られたもの。

贈られなかったのですから、不幸だし、不公平なものだという気がす
るわけです。



格差社会と、そこから派生した問題として恋愛格差という言葉がある
ようです。
しかし、恋愛格差は今に始まったことではないような気がします。

ある本によると、徳川政権下における江戸の町民の内、どこの長屋に
も嫁をもらえない男が必ずといっていいほどいたそうです。
また、中世ヨーロッパにおいても、状況は同じようなものだったとか。
その一方で、何度も再婚できる裕福なオヤジがいたらしいです。
かのレオナルド・ダ・ヴィンチの父も、そんな幸せオヤジだったらし
いです。


※正確にいうと、恋愛と結婚は違います。ですが、相手がいないとい
 う点は同じなので、多少混同して書いています。



はっきり言って、昨今の恋愛格差の核心は経済力です。
だから冒頭に挙げた不運な男性も、その後カノジョに捨てられるよう
なことがあれば、底辺世界の仲間入りをしてしまうかもしれません。


(ちなみに、その男性を捨てたからといって、そのカノジョを責めて
 はいけないとも思います。)


しかし、モテない男は、恋愛格差という言葉が生まれる前から存在し
ていて、経済力の有無とは関係なしにその底辺に生きている者です。
元々恵まれなかった者たちです。
本来はその点が少し違うのだろうと思います。

しかし、このご時勢では、そんな違いなど大したことではないのかも
しれません。
十把ひとからげでモテない男になることでしょう。


じゃあ、不公平だからといって、旗を立てて糾弾、是正を求めて行進
しよう! などと思っているわけでもありません。

モテない男の救済は社会問題、政治問題ではないからです。

(少子化対策の一環という考え方もあるかもしれませんが・・・)


思うに、モテない男を救えるのは女性のみでしょう。
ところが、モテない女性を救えるのは男だけとは限りません。
このギャップがまた痛いのです。



『ピーナツ』の中でスヌーピーがこんなような事を言っています。
“配られたカードで勝負するしかないこともあるものさ”

モテない男はワンペアさえないカードでポーカーをするようなものなの
です。
ポーカーならそれでも勝負できないわけじゃないのですが、恋愛はそう
いかないのですよねぇ・・・