昨年末は派遣社員の雇い止め問題が大きな話題になっていました。
テレビの特集番組を観ていると、結婚しようと考えているカノジョ
がいるけれど、職を失うので結婚できない、という男性を取り上げ
ていました。

そのとき私が思ったのは、
「ん? この男は本当に不幸だといえるのか?」
ということでした。


確かに不運ではあります。
でも、カノジョがいるのですよねぇ。


私には、就職するよりもカノジョができることの方がよっぽど難しい
ことのように思えます。


人の幸不幸は他人が判断することではありませんし、できないもので
す。
だから、不適切な表現をしたと思わないではありませんが・・・・・


しかし、不運にして職を失った人には同情が集まりますが、不幸にして

カノジョができない男が同情されることはありません。


派遣切りにあった人の手助けをするボランティアの人がいても、モテ
ない男を手助けするボランティアなど聞いたことがないです。
そんな男から金を巻き上げる商売はあるようですが。


人生はなかなか不公平にできているものです。


私が思うに、この場合、不運というのは一時的な問題ですが、不幸は
根源的かつ長期的です。
恋愛は才能であり、才能はあるかないかです。
欧米では、才能のことを“gift”ということがあります。
すなわち、神から贈られたもの。

贈られなかったのですから、不幸だし、不公平なものだという気がす
るわけです。



格差社会と、そこから派生した問題として恋愛格差という言葉がある
ようです。
しかし、恋愛格差は今に始まったことではないような気がします。

ある本によると、徳川政権下における江戸の町民の内、どこの長屋に
も嫁をもらえない男が必ずといっていいほどいたそうです。
また、中世ヨーロッパにおいても、状況は同じようなものだったとか。
その一方で、何度も再婚できる裕福なオヤジがいたらしいです。
かのレオナルド・ダ・ヴィンチの父も、そんな幸せオヤジだったらし
いです。


※正確にいうと、恋愛と結婚は違います。ですが、相手がいないとい
 う点は同じなので、多少混同して書いています。



はっきり言って、昨今の恋愛格差の核心は経済力です。
だから冒頭に挙げた不運な男性も、その後カノジョに捨てられるよう
なことがあれば、底辺世界の仲間入りをしてしまうかもしれません。


(ちなみに、その男性を捨てたからといって、そのカノジョを責めて
 はいけないとも思います。)


しかし、モテない男は、恋愛格差という言葉が生まれる前から存在し
ていて、経済力の有無とは関係なしにその底辺に生きている者です。
元々恵まれなかった者たちです。
本来はその点が少し違うのだろうと思います。

しかし、このご時勢では、そんな違いなど大したことではないのかも
しれません。
十把ひとからげでモテない男になることでしょう。


じゃあ、不公平だからといって、旗を立てて糾弾、是正を求めて行進
しよう! などと思っているわけでもありません。

モテない男の救済は社会問題、政治問題ではないからです。

(少子化対策の一環という考え方もあるかもしれませんが・・・)


思うに、モテない男を救えるのは女性のみでしょう。
ところが、モテない女性を救えるのは男だけとは限りません。
このギャップがまた痛いのです。



『ピーナツ』の中でスヌーピーがこんなような事を言っています。
“配られたカードで勝負するしかないこともあるものさ”

モテない男はワンペアさえないカードでポーカーをするようなものなの
です。
ポーカーならそれでも勝負できないわけじゃないのですが、恋愛はそう
いかないのですよねぇ・・・