モテない男というのは自信を持っていないものです。
何度かの失敗によって、すっかり自信と希望を失って
しまっているのです。


そんな男に「諦めるな!」だとか「変われ!」などと
言ったところで、何も効果などありえません。


「どうせ俺なんか・・・・」


そう固く思っているのです。


励ましても、叱っても、非難しても、同情しても
まったく意味はないのです。



自信というのは、直接他人から与えられることはあり
ません。
それは、経験や実績結果の中から培われるものです。
自ずと生まれてくるものです。
まあ、これは恋愛に限ったことではないのですけど。


だから、モテない男に必要なのは叱咤激励の千の言葉
ではなくて、たった一つの実績です。


実績というのを軽く見てはいけないのです。
世の中、実績は実績を招くものです。
昨今では、離婚経験者の再婚率の方が初婚者の結婚率
より高いらしいです。


それはそれとして、いきなり十分な結果を出せるくらい
なら、モテない男などやっているわけがないはずです。


小さな結果を積み重ねて、少しづつ実績をものにしてい
くしかありません。


それは判っているのです。

でも、モテない男の結果というのは、賽の河原で石を積
むようなものだったりするのです・・・・・・

モテない男じゃいけないのか?
モテなくてもいいじゃないか?


そういう質問があってもおかしくはないです。

宮沢賢治は生涯バージンでした。
アンデルセンはついに妻を娶ることができませんでした。

しかし、この二人は今もなお、多くの人に愛される作品を
残しています。


この二人はヒトとしては失格でしたが、人間としては価値
のある人生を送ったと言えるのかもしれません。


まあ、賢治は信念に基づいてバージンを通したわけだし、
アンデルセンはかなりの変人だったようなのです。


信念なら仕方ないのですが、アンデルセンの方は相手が欲
しかったけれど手に入らなかったわけなので、私を含めた
モテない男の一人と言えるでしょう。


違いは、普通は彼ほど社会的に成功したいという意識がな
い事と彼ほどの才能がない事。
もちろん、彼ほど変人でもないのですけど。


実をいうと、彼自身が成功したと思ったかどうかといえば、
どうも怪しいような気がしないでもないのです。
なぜなら、彼は十分に満足して死んだとは思えないので。


そうはいっても、アンデルセンはモテない男としては特別です。
多くの人を喜ばせたり感激させることができたから。
普通はそうはいかないのです。
たった一人でさえ、喜んでもらえないかしれないのです。
それゆえ、ヒトとしても人間としても合格点がもらえないか
もしれないのです。


人間は他の動物と異なり、本来持って生まれた任務以外にも価
値を創設することができます。
したがって、ヒトとしてはダメでも、人間として何等かの価値
あることを残せば、一応合格と言えなくもないです。
まあ、逆に人間としては酷いですが、ヒトとしてはOKという
男もいないではないですが。


そういう点から考えても・・・・
たぶん、モテない男はダメなのです。
何も残せないからです。

その多くは自信を持つことができず、ひょっとしたら持っている
かもしれない力を発揮することができません。


「女がいないぐらいで、だらしがない」

って思う人、それは、あなたが勝者だから。
強者の論理で判断されても困るのです。


「だからダメなのよ」
って思う貴女。

貴女は正しいのです。全く正しい。
ですが、貴女のお仲間に、ほんの少しだけ情け深いヒトがいると
その分、救われるダメダメな男も出てくるかもしれません・・・・・



願いは誰かと手をつなぐこと-THE LONELY GUY




モテない男というのは、いつの時代にも、どこの国にも
存在していました。
人間が洞窟で暮らしていた大昔にも、スペース・シャト
ルで宇宙を航行できる時代でも。


そんなモテない男=ロンリー・ガイを主人公にした映画
があります。
スティーブ・マーティン主演、アーサー・ヒラー監督に
よる1983年製作のアメリカ映画です。
タイトルはそのものズバリ、『The Lonely Guy』。



誰からも愛されず、誰からも必要とされない孤独な男。
そういう男になってしまったラリーの奮闘を描いた、少
しブラックなコメディです。


奮闘と書いたのは、ラリーは恋人を作るために色々と努
力をするからです。
シングルズ・バーに行って女性に声をかけたり、犬を飼
って公園を散歩して女性の注意を引こうとしたり、ジョ
ギングして健康さをアピールしたり。
もちろん失敗の連続です。


しかし、なんとか一人の女性に出会うのです。電話番号
を聞き出すことに成功するのです。でも、番号が書かれ
た紙ナプキンで汚れた口を拭いたりなんだりして、いつ
も番号を紛失してしまうのです。


このあたりの間の悪さが笑えますが、ロンリー・ガイの
不幸な境遇を軽く印象付けるもので、そういうものだよ
なぁと妙に納得してしまいます。


ブラックなのは、孤独に耐えられなくなったロンリー・
ガイたちが次々と身を投げていくのを当たり前のように
描写することでしょうか。
敗北者は消え去るのみという感じです。



ロンリー・ガイでありながら生きていくのは、かなりの
精神力が必要なのでしょう。
前向きの力強さではないのですけど。


そして、ロンリー・ガイから抜け出すのは、自力救済は
まず不可能です。

必要なのは、偶然の奇跡的な幸運なのかもしれません。

しかし、そんな奇跡的な幸運など簡単には来ないもの。


では、打つ手はないのでしょうか?


まったくないわけではないのかもしれません。

生きていたら、ひょっとしたら、諦めた最後の最後に
「棚からボタ餅」があるやもしれません。


それは、自分には向けられることがないと思うものを、
相手に対しては向けられるかどうかにかかっているかも
しれない、この映画を観ると、そんな風に思います。