兼六園を語りたい⑧ 弱点 | Noriaki の ヒト・モノ・ココロ

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さて、最後に兼六園で御茶を呑みつつ思った事。

それは兼六園の「弱点」です。




兼六園の最大の弱点・・・それは兼六園が「文化財指定庭園」という所にあります。


一見、名誉に思えるこの名称ですが、どうしてこの名称が弱点なのか。

それは、「良くも悪くも変えられない」という所にあるんです。


これが、例えば建物だったり、絵画だったりならば話は別です。

しかし、庭園というのは、「人工的な生き物」という、非常にファジーな存在だったりします。

例えばですが、樹が枯れかけているとしましょう。

根元から伐れるかというと、伐れません。

なるべく保存する方向性になるわけです。

しかし、枯れかけた樹などというものは、庭園にとって邪魔なだけの存在なのですね。


例えば、樹が枯れたとしましょう。

当然、全体のバランスがあるわけですから、バランスをとるために変化を起こさないといけないはずなのに、変化ができない。

変化をすることを、文化財という名称が許してくれないのです。

それが、例え良い変化だとしても。


他にもあります。

兼六園は、全体的に剪定がクラシックで、自然系を良しとしています。

昔の庭園だから、恐らく昔のような剪定をしているという事なのでしょう。

しかし、それだと、特に赤松がどんどん大きくなっていく。

そして、赤松に剪定代がかかりすぎてしまい、他の樹の剪定がなおざりになっている。

で、赤松だけが大きく立派になっていって、結果としては樹木は赤松だけの庭になりつつあります。

兼六園は確かに赤松が立派で、それが売りなのですが、じゃあ赤松だけにお金をかければ良いのかというと、それは違うわけですね。

庭園とは、全体のバランスが大事なのです。


「兼六園とは、何故兼六園なのか。」


兼六園とは、「六を兼ねる」からこその兼六園なのです。

即ち、宋(昔の中国)の詩人・李格非(りかくひ)曰く


「洛人云う園圃の勝 相兼ぬる能わざるは六 宏大を務るは幽邃少なし 人力勝るは蒼古少なし 水泉多きは眺望難し 此の六を兼ねるは惟湖園のみ


※洛陽の人は言う。

  広々としていれば(宏大)静かな奥深さはなく(幽邃)、人工的であれば(人力)古びた趣は少なくなる(蒼古)。

  また池や曲水や滝が多ければ(水泉)、遠くは眺められない(眺望)。

  つまり、それぞれが相反するのだ。

  この相反する六つの景観(六勝)を兼ね備えているのは『湖園』だけである

  洛陽名園記より


兼六園とは、昔の兼六園を残すことに兼六園の価値があるのではない。

いつの時代も、「六を兼ねる」からこそ、兼六園なのだ。


と私は思うのですが、皆さんはどう思うでしょうか?w


因みに、現在の日本で一番とされている庭園は、兼六園ではなく、島根県の足立美術館です。


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